2 最初の印象
美羽は2歳上の兄友哉から、夏樹のことを「学園で1番親しい友人」と聞いていた。だから、顔も知らない夏樹に対して勝手に親近感のようなものを抱いていた。
学園に入学した美羽は、学食で初めて夏樹と相見えた。14歳の美羽には、兄と同じ歳のはずの夏樹がとても大人びて見えた。
「これが妹の美羽。美羽、夏樹だよ」
友哉から互いを紹介された美羽は、夏樹にようやく会えたことが嬉しかった。
しかし、夏樹の態度はとても素っ気ないものだった。友哉の紹介の仕方だと、おそらく夏樹も美羽のことは聞かされていただろうに。
「ああ」
そう言って美羽を見下ろした夏樹は、仕方なくという様子で名乗った。
「葉山夏樹だ」
「それだけかよ」
友哉が苦笑するが、夏樹に再び口を開くつもりはなさそうだった。
兄の友人と聞いて想像していた夏樹と、実際に会った彼との違いに少し驚きながらも、美羽は笑みを浮かべた。
「藤森美羽と申します。兄がいつもお世話になっております」
美羽はすでに昼食の盆を手にしていたため、頭だけをペコリと下げた。
「そういうことで、妹のこともよろしく頼むな」
友哉はふたりの顔を順に見ながらカラリと笑った。
ふたりと分かれてから、美羽は仲良くなったばかりの同級生たちがいる席に向かった。同級生たちは早速ふたりを話題にしていた。
「美羽さんのお兄さまもご友人も素敵ね」
「でも、葉山さまは少し怖そうな方だわ」
「公爵さまのご嫡男ですもの」
美羽はこっそりと少し離れた席に向かい合って座る友哉と夏樹を窺った。美羽の位置から見えるのは友哉の背中と、箸を手にしている夏樹の姿だった。
ふたりの周囲には他にも同級生らしい人たちが数人いて、会話が交わされているようだった。
夏樹の表情は先ほどとあまり変わっていなかった。少なくとも夏樹が美羽に素っ気なかったのは、下級生だからとか女だからではないようだ。
しばらく夏樹の姿を見ているうちに、美羽の視線に気がついたのか、ふいに顔を上げた夏樹と目が合った。不躾なことをしてしまったと美羽は焦るが、もう遅い。
とりあえず、美羽は謝罪のつもりで再び頭を下げた。だが美羽が頭を上げたときに見えたのは、笑いながらこちらに向かって手を振る兄だった。当然、夏樹から「妹がこちらを見ている」とでも教えられたのだろう。
美羽は小さく手を振り返してから、中断していた昼食に急いで取り掛かった。
その日の午後、面白くもなさそうにこちらを見ていた夏樹の姿が、残像のようにたびたび美羽の脳裏に現れた。
その後、学食や廊下などで友哉と夏樹が連れ立っているところに、美羽はたびたび出会した。美羽があまり意識しなくても、学園内でふたりは目立つ存在だった。
まず友哉も夏樹も上背がある。夏樹の方が僅かに高いようだ。
そして、ふたりとも整った顔立ちをしている。友哉はどちらかと言うと中性的で、常に笑みを浮かべているので柔らかい印象だ。
一方の夏樹は男っぽいが、それでも品の良さが感じられるのは皇家とも姻戚関係のある公爵家の血筋ゆえだろう。
美羽が夏樹と顔を合わせても、挨拶を交わすくらいだった。美羽と友哉の会話に、夏樹が入ってくるようなことはなかった。
友哉が夏樹の前でも平気で美羽の頭を撫でてくるので、美羽は少し恥ずかしかった。
「葉山さまって、笑うことはあるの?」
ある晩、ふたりきりの時に美羽が友哉に尋ねると、友哉は可笑しそうな顔をした。
「たまにはあるかな」
「どんな風にお笑いになるの?」
「意外と普通だよ」
上手く想像できなくて、美羽は首を傾げた。
「夏樹はあのむっつりがいつもの顔だから、それを理解してめげずに付き合っていれば、そのうち見る機会もあるだろ」
「つまり、兄さまはめげずに頑張ったのね」
「そう言うことだな」
友哉はどこか自慢げだった。
しばらくして、美羽は初めて学食で友哉と一緒でない夏樹に会った。いつものように挨拶を交わした後で、さらに夏樹が口を開いた。
「友哉は用事があるとかで職員室に行ってるぞ」
美羽は無意識のうちに眉を顰めていた。
「私は別に兄の姿が少し見えないくらいでは心配いたしません」
「そうか。兄とは違うんだな」
美羽は周囲の流れに乗る形で、昼食を載せる盆を手に取り夏樹の横に並んだ。
「葉山さま、ご兄弟はいらっしゃいますか?」
「姉がいる」
「いつもお姉さまのことを把握していないと不安ですか?」
「いや、まったく」
「そうでございましょう? うちの兄は過保護すぎるのです。早く恋人でも作って妹離れをしてほしいものです」
「なるほど。妹も大変だな」
美羽がちらりと夏樹の横顔を見上げると、口元が少しだけ緩んでいるようだったが、笑顔というには物足りなかった。
ともかく、大した内容ではないものの、初めて夏樹と会話らしい会話を交わせたことで、美羽の心は浮きたっていた。
美羽が夏樹と会話を交わす機会は徐々に増えていった。
美羽の目は友哉ではなく夏樹を先に映すようになった。美羽が見つめていると、夏樹も美羽に気づいて視線を返してくれた。