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21 長い夢

  『鏡の祭』が迫ったある日、鏡の神殿にいる美羽のもとを夏樹の父が訪れた。


「元気そうだな」


「はい、おかげさまで」


「夏樹から、近く帰ると連絡があった」


 美羽は目を見開き、それから微笑んだが、涙が出そうになって眉間に力を込めた。


「今でも夏樹がいいのなら、祭が終わってからもう一度ふたりで話せ」


「ですが、やはりご迷惑をおかけするわけにはまいりません」


 夏樹の父は小さく嘆息してから続けた。


「はっきり言って、あれはまだまだ不安の多い馬鹿息子だ。ただでさえ、あれの妻になるのは大変だろうに、平民から嫁ぐとなればさらに苦労するに違いない。それでもいいなら、葉山公爵家の力をもって今度こそ守ってやろう」


 半年前にも、夏樹の父は「守ってやるから嫌なことは拒め」と言ってくれたが、宮殿からの脅しに屈したのは美羽だった。

 今度もすぐには頷けなかった。自分は夏樹を傷つけてしまったから。


「夏樹さまは、もう私のことなど……」


「あの夏樹が簡単に気持ちを変えたりはできぬだろう。それを素直に口に出せるやつでもないが。とにかく、やはり直接会って話すことだな」


「……はい」


 美羽はゆっくりと頷いた。




 『鏡の祭』当日、美羽に渡された着物はやはり白色だったが、花嫁衣装のように光沢のある高級な生地で作られていた。

 それを身につけると、美羽は布地越しに首飾りの石に触れながら、半年振りに神殿の外に出た。


 神官見習いに促されるまま舞台に上がると、広場は多くの人々で埋め尽くされていた。鏡に聞いた話が本当なら、あまりに愚かな光景だろう。

 舞台の上には、半年振りに見る皇帝とその一族の姿もあったが、敢えてそちらには視線を送らなかった。


 舞台の中央で、鏡が待っていた。美羽はその前に立つと、いつものように鏡に触れた。


『来たな』


「やっと終わるのね」


『儂との約束を忘れるな』


「大丈夫よ。忘れてないわ」


『そなたが儂に望むことは決まったのか?』


「そう言えば、そんなことも言ってたわね」


『何だ、まだ考えていなかったのか。そなたが望むなら、女帝にもしてやるぞ』


「そんなものにはなりたくないわ」


『だったら、金がいいか? 一生遊んで暮らせる財産をやろう』


「お金は自分で稼いでこそ、だそうよ」


『あの父親らしいな。それならば、やはり葉山夏樹か。ちょうど、あそこにいるぞ』


 鏡の言葉を聞いて、考えるより先に美羽は広場を振り返っていた。

 学園で探していた頃に比べてずいぶん距離はあるはずなのに、夏樹の姿はすぐに見つかった。

 騎士団の制服姿だから、祭の警備をしているのだろう。夏樹も美羽を見ていた。

 だが、美羽は慌てて夏樹から目を逸らし、再び鏡に向かった。


「女性が一緒にいるわ」


 夏樹と向かい合うようにして、女性が立っていた。こちらに背を向けているので、顔はわからなかったが。


 夏樹が都に帰ると聞いてから半月ほどがたった。美羽は密かに期待していたが、夏樹からは何の音沙汰もないままだった。

 あの女性は、夏樹の新しい恋人なのかもしれない。やはり夏樹は、一方的に婚約の解消を告げた自分のことなど、もう何とも思っていないのだ。


『確かにいるな。だが……』


「もう、いいわ。始めましょう」


 美羽は振り切るようにきっぱりと言った。


『うむ。では始めるか。だがその前に、そなたの望みはどうするのだ?』


 美羽の頭にふいに浮かんできたのは、夏樹からの最後の手紙だった。自分は夏樹を傷つけたのに、「幸せに」と書いてくれた。

 だけど、美羽の幸せは夏樹と一緒にしかなかった。だから、せめて。


「夏樹さまの幸せを」


 その言葉に、鏡が笑ったような気配があった。


『そなたは、やはり織音に似ているな』


 鏡に触れるたびに感じてきた痺れるような感覚がしたと思うと、それは一気に強まった。何かが自分の中から溢れ出て、美羽の手を伝って鏡へと流れ込んでいく。


 いつのまにか美羽は光に包まれていた。周囲の景色がよく見えなかった。

 その中で、美羽はただ夏樹を想っていた。だから、鏡の言葉を理解するのに、時間がかかってしまった。


『おい、もういい。これ以上は危険だ』


 気づいた時には、舞台の上を風が吹いていた。


 頭に激しい痛みを感じて、美羽の意識は薄れた。




 名を呼ばれて目を開けると、夏樹の腕の中にいた。言葉を交わしたが、また強がってしまった。


 どうして自分はいつも夏樹に対して格好をつけてばかりで、本音を言えないのだろう。

 会いたい。気持ちを教えて。もっと手紙を書いて。そばにいて。離さないで。他の人のところに行かないで。

 さっきの望みだって、素直に「夏樹さま」と言えば良かったのに。


 そんな後悔とともに、美羽は暗い場所に沈んでいった。



  ◆◆◆◆◆



 美羽は夢を見ていた。

 出会ってからの、様々な夏樹の姿が現れては消えた。


 夢の合間には意識が浮上する感覚があって、そんな時には声が聞こえた。

 父、母、兄、恵人、花、明香や友人たち、それから鏡の声も。

 夏樹の声が聞こえたような気もしたが、気のせいだったかもしれない。


 夏樹のいない世界に戻るくらいなら、もうずっとこのまま夢の中にいたかった。最後に抱きしめてくれたことだけを覚えていたい。

 だけど、あの時の夏樹は美羽を必死に呼んではいなかっだろうか。まるで、夏樹のそばに何とか美羽を繋ぎとめておきたいというように。


 夏樹は待っているのだろうか。また抱きしめてくれるのだろうか。夏樹と一緒に幸せになれる未来はまだあるのだろうか。


「美羽」


 夏樹が美羽を呼ぶ声が聞こえてきた。はっきりと。


「待ってる」


「戻ってきてくれ」


 夏樹のそばに戻らなければと、美羽は思った。

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