20 眠る彼女に伝える
夏樹と友哉は藤森邸に戻った。美羽の部屋に入ると、再びふたりで鏡に触れた。
『ご苦労だった』
「まったくだ」
夏樹は心から肯定した。
「あれでおまえは満足したのか?」
『皇家の意識を簡単に変えられはしないだろう。次は100年後だから、人間はそっくり入れ替わることになるとしてもな。それでも種は撒いた。あとはチョロチョロと水でもやりながら様子を見る』
「もう美羽を巻き込むなよ」
『おまえがこのまま巫女代理をしてくれるのか?』
「それも断る」
『まあ、美羽のおかげで呪力は豊富にあるからな』
「そう言えば、おまえは元に戻れるのか?」
友哉が尋ねた。
『今までやったことはないが、おそらくそれも呪力で何とかなるだろう』
「美羽が起きないことと、おまえが割れたことは関係あるのか?」
『まあ、あると言えばあるな』
「どういうことだ?」
『そなたたちに頼んだことは、もともと祭が済んだら美羽にさせるはずだった。もちろん、美羽の望みを叶えてやるのと引き換えだ。だが美羽が眠ってしまったので、代わりを夏樹にさせようと考え、憑代を使って美羽のそばにいることにした。だが、本来の形のままでは神殿の者たちにすぐ気づかれるゆえ、あの騒ぎを利用して、己の身を割ったのだ』
「自分から割れたのか? それなら、美羽は関係ないじゃないか」
『言わせてもらえば、今の美羽の状態は美羽自身の責任だぞ』
「そんなわけないだろう。美羽はおまえに巻き込まれただけじゃないか」
『そこは否定せぬが、儂は美羽に事前に色々と注意はしておいた。だというに美羽が暴走して、予定よりかなり多くの呪力を動かした。ゆえに、あの突風が吹いて美羽は怪我をし、さらに回復のために眠ることになった。とは言え、本来なら数日で目を覚ますものなのだがな』
「だったら、どうして美羽はまだ眠ったままなんだ?」
『それは、夏樹のせいだ。祭の時、そなた、女連れだったろう。それを見たせいで美羽は暴走し、不貞腐れて起きぬのだ。織音も嫉妬深かったが、美羽も相当だな』
友哉が冷たい目で夏樹を見た。自然、夏樹は友哉に言い訳するような形になった。
「あれは、違う。たまたま、あそこにいた明香が寄って来ただけで、だいたい、俺は仕事中だったんだぞ」
「へえ、明香嬢と。そう言えば、また婚約の話が出ていたとか」
友哉の目がさらに冷えて見えた。
「それは、もうなくなった」
夏樹は友哉に向かって断言してから、改めて鏡に尋ねた。
「それで、どうすれば美羽は目を覚ますんだ?」
『そなたが話しかけろ』
「は?」
『友哉や家族は美羽に話しかけたり、触れたりしておったが、夏樹は最近ようやくするようになったばかりだろう。そなたが美羽を待っていると、もっとしっかり伝えてやれ』
「本当に、そんなことで美羽は目を覚ますのか?」
『おそらく』
「おそらく? 俺たちはおまえの頼みを聞いただろ」
夏樹と鏡の会話をよそに、友哉が静かに尋ねた。
「美羽の望みは何だったんだ?」
『それは儂ではなく、美羽に直接聞いたらどうだ?』
「今さら、正論を言うんだな。まあ、俺たちに内容を言わなくてもいいから、美羽のほうの望みを叶えてやってくれないか」
『儂もそう思っていたが、美羽の望みは目を覚ませばおそらく叶うだろう』
「……何だ、そういうことなのか。もっとでかいことを望めば良かったのに」
そう言いながら、友哉は夏樹を見つめた。
『女帝にしてやろうかと言ったが、断られた。儂からすれば、美羽の血筋ほうが正統なんだがな』
「美羽が織音の血を引いているということか?」
『織音の孫がひとりだけ殺戮を逃れ、市井に隠れた。藤森家はその末裔の一筋だ。何なら、おまえが皇帝になるか?』
「やめておく。だが、それがわかるなら、美羽の実の父親が誰かも知ってるのか?」
『知っているが、育ての親が言わずにおることを、儂が勝手に話すのもな』
「うちの両親は美羽の父親を知ってたのか?」
『確信まではしていなかったゆえ、儂の嘘を否定できなかったようだが』
友哉が眉を顰めた。両親が大事なことを隠していたのが面白くないのだろう。夏樹なら、父親に何も聞かされないのはいつものことだが。
「ところで、どうやっておまえを神殿に返せばいいんだ? 以前、外そうとしても外せなかったらしいが」
『心配はいらぬ。用が済んだゆえ、勝手に帰る。ちなみに、あの首飾りが外せないのは、儂のせいではないぞ。美羽が無意識のうちに呪力を使って護っているのだ。おかげで儂は助かったな』
「そうか」
『他に何か言いたいことはあるか?』
「もう帰れ」
『冷たいな。まあ、これが永遠の別れではないからな。美羽が目を覚ましたら、一緒に会いに来るがよい。では、また』
その言葉を最後に、鏡の声は聞こえなくなった。夏樹が鏡から手を引くと、友哉がそれをそっと美羽の胸の上に置いた。
その途端、鏡は光に包まれた。もはや驚きもせずに、夏樹と友哉はそれを見守った。
光が消えると、そこにあったのは鏡ではなく、夏樹にも見覚えのある薄紅色の小さな石だった。
「そう言えば、憑代とか言ってたな。どうりで見つからないはずだ」
友哉の言葉を聞きながら、夏樹は再び手を伸ばしてその石に触れた。
「ふたりきりにしてやるが、おかしな真似はするなよ」
友哉が警戒心を露わに言ったので、夏樹は苦笑した。
「俺は甲斐性がないらしいから、安心しろ」
「……美羽を家に帰してくれたのは、夏樹の父上だと思うぞ」
夏樹が友哉を振り向くと、友哉は穏やかに笑っていた。
「俺が都に帰る少し前までは、美羽に会うのに宮殿の許可が必要だったらしいんだが、それをなくしてくれたのも夏樹の父上だろうと、うちの両親は考えてる。うちの父は美羽のために神殿に寄進したり、ずいぶん金を使ったようだし、大事なものを守るための力は色々あるんだな。おまえも宮殿に入ったほうが良かったんじゃないか」
「まだ騎士として何も成してないのに、早すぎるだろ」
「それもそうだな」
友哉が部屋を出ていくと、夏樹は石に触れていた手を美羽の頬に移した。
「今でも俺と結婚したいと思ってくれているのか?」
誰に認められようと、やはり美羽に頷いてもらえなければ意味がない。
「美羽、早く目を開けて、返事を聞かせてくれ」
夏樹はもう一方の手も美羽の頬に添えて、美羽の声が聞こえてこないかと、しばらくジッと待った。
それからも夏樹は美羽のもとに通い続けたが、美羽の様子に変化は見られぬままだった。自分の声が美羽にきちんと届いているのか、夏樹はたびたび不安になったが、それでも毎日、美羽に話しかけた。