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19 鏡は嘘を吐く

 やって来たのは、貴文殿下の父である皇弟殿下だった。

 だが、夏樹が驚いたのは、その後ろに父の姿があったことのほうだった。父は夏樹を一瞥しただけで、表情は変えなかった。


「鏡の声を聞いたと言うのは、そなたたちだな。巫女の従兄の藤森友哉と、元婚約者の葉山夏樹、か」


 皇弟殿下は友哉と夏樹を順に見てから、確認するように夏樹の父を向いた。父は小さく頷いた。


「間違いございません」


「鏡の話とはどんなことだ?」


『その前に、儂の声を直接聞けるようにしてやるか。友哉、離れろ。夏樹はそのままだ』


 友哉が鏡から手を引いて数歩退がった。直後に夏樹がピリピリとした感覚を指先に感じたかと思うと、それはすぐに喉のあたりに移った。

 夏樹の意思とは無関係に、唇や舌が動きだした。


「儂の巫女を皇女から選ぶのは、もうやめる」


 夏樹の口から出た声は、夏樹のものではなく、耳障りな鏡の声だった。夏樹は何とも言えぬ気色悪さを感じたが、珍しく父もギョッとしていた。

 しかし、皇弟殿下は夏樹の口から出た言葉のほうに反応した。


「突然、何を言うのだ」


「皇家の者が持つ呪力はどんどん弱まっているゆえ、皇女から選ぶのはもう限界があるのだ。そもそも祭が60年に一度になったのも皇女たちの呪力に合わせてのこと。候補を広げれば80年に伸ばせるが、皇女に限定したままでは間隔をさらに短くしなければならなくなるだろう」


「それの何が問題なのだ。下賤な呪力を注いで何か起こったらどうする」


「呪力に下賤も高貴もあるはずがなかろう。祭の回数が少ないほうが儂の力が安定し、ひいてはこの国の平安が保たれるということがわからぬか? それとも、祭の回数が多いほうが、皇家の力を民に見せつけられて良いとでも考えておるのか?」


 皇弟殿下は言葉に詰まったようだった。


「巫女を出すことで自分たちの正統性を示そうとするなど無駄なことだ。最初の祭のように、そなたたち自身でもっとも大きな呪力を持つ皇女を見極めて儂に差し出せるならともかく、今では儂の言葉を盲目的に信じるしかできぬのだからな」


「盲目的にとは、どういう意味だ?」


「儂が選んだ者を疑いもせずに巫女に据えておるではないか。前回の祭の時、呪力量だけで決めるなら、この夏樹の祖母が巫女になっていた」


「だったら、何故そうしなかったのだ?」


「儂に幼児の子守りをしろと言うのか? それに、どちらを選んでも大した違いはなかった」


 鏡はそう言うが、夏樹にとっては大きな差だった。祖母が選ばれていれば、おそらく父も自分もここにはいなかったのだ。


「そして今回も、そなたたちの異母妹だと言ったらあっさり信じたな」


「な、まさか」


「美羽は皇女ではない。ただ飛び抜けて呪力を持っていたゆえ、誰よりも儂の巫女に相応しかったのだ。ああ、これは美羽にはまだ話してないぞ」


 あまりに淡々とした鏡の告白に、その場の誰もが耳を疑った。皇弟殿下がカッとした様子で口を開いた。


「何を勝手なことを。だからあのような事故が起こったのではないか。あの娘が目を覚まさぬのだって……」


「あれは美羽の持つ呪力が大きかったせいだ。1度にあまりにたくさんの呪力を動かしたために突風が吹き、美羽自身の体にも負担がかかった。初期の祭でもあったことだ。神殿前の広場はできるだけ広い空間で祭を行うためのもの。それなのに、あそこを観客で埋め、舞台を設けるなど馬鹿らしいことをはじめおって」


 鏡はフンと夏樹の鼻を鳴らした。


「本来なら、都から離れた何もない場所でやるべきなのだ。とにかく、その経験があって、先ほど言った80年分の呪力が、1度に動かして危険のない量だとわかった。だが、美羽はそれより多くを儂に注いでしまったのだ。まあ、そのおかげで次の祭は100年後で間に合いそうだがな」


「100年?」


「ああ。やはり美羽の呪力は織音に匹敵するものだったな」


「ただの平民の娘を初代皇妃に比すな」


「そなたこそ、今さら織音を崇めるなど笑止千万。そなたたちが巫女を出すことに拘るのは、祖先の罪をなかったものにするためであろう。儂から言わせれば、今の皇家に正統性などないわ」


「な、何を言うか」


「織音の血を引く子や孫を殺して奪った皇位と儂を受け継いできた事実をなぜ隠すのだ。後ろめたいからであろうが」


 初代皇帝の妃は織音だけではないのかと夏樹が考えていると、それを読んだように鏡が言った。


「確かに初代皇帝の妃の位は織音だけに与えられた。織音が儂に頼んだのが、あの男の作る国を護ることと、あの男が織音以外の妻を持たぬようにすることだったのだ。あの男は『英雄色を好む』という言葉を体現しているようなやつで、織音はそれに悩まされていたからな」


 鏡は忌々しそうに言った。どちらかと言えば、初代皇帝のことを蔑んでいるようだ。


「儂に呪力をすべて注ぐなどという自殺行為をしたのも、そのことに耐えきれなかったせいだろう。そんなことをしなければ、いずれ体の傷は癒え、皇妃としてあの男の隣に立っていたはずだ。もっとも、その場合、儂は力を持たぬただの鏡のままだったが」


「それを怨んでこんなことをしたのか?」


「怨みを晴らすためなら、もっと早くに他の形でしていた。儂はこの国のために良かれと思ってやったのだ。それから、すでに気づいているだろうが、呪力を残すために巫女を皇家で囲うことも意味がないぞ。外からもっと様々な血を入れたほうが余程いい」


「だったら、平民の娘を皇家に入れろということか?」


「平民の娘はいいが、美羽のことならどうだろうな。夏樹との間にできる孫くらいのほうが良いかもしれんぞ」


 勝手に孫の将来を決めるなと言いたいが、夏樹は口を動かせなかった。


「そうそう、言い忘れていたが、美羽は皇女でないだけでなく、未婚でもない。巫女は未婚である必要もないのだと証明したかった。本当は平民で既婚の男を選びたかったが、さすがにそれではすぐにわかってしまうからな」


「あの娘が結婚していたなど、聞いていないぞ」


「それは戸籍上のことであろう。儂が生まれた頃は結婚を役所に届け出たりしなかった。織音だって、最初は半ば強引にあの男の妻にされたのだ。ああ、美羽は強引にではないから安心しろ。それとも、夫のいる女をそなたの息子に娶らせるのか?」


 鏡がそんなことを言い出した理由はわからないでもないが、せめて友哉のいないところにしてほしかったと、夏樹は思った。友哉が今までに見たことのないほど剣呑な表情を浮かべて、夏樹を見ていた。


「友哉、落ち着いて考えろ」


 咄嗟に出せた声は、ちゃんと夏樹のものだった。だが、どちらにせよ今の友哉には無駄だった。


「そうだな。とりあえず、殴らせろ」


 仕方ないと、夏樹は覚悟を決めた。

 しかし、直後に夏樹の頬を打ったのは友哉の拳ではなく、父の平手だった。


「おまえは何をしているんだ。いくら婚約者でも、守るべき節度はあるはずだ。そんなこと、おまえはわかっているだろうに」


 夏樹を殴ったわりに、父の声はいつもと異なり平静だった。夏樹を見つめる目も穏やかに見える。

 父は皇弟殿下を振り返ると、頭を下げた。


「私の教育が足りず、申し訳ありません。巫女のことは、息子にきっちり責任を取らせますので、それでお許しください」


「とにかく、宮殿に戻って陛下に報告する」


 皇弟殿下は頭に血を昇らせたまま、足音も荒く部屋を出ていった。


 夏樹は父に向かって口を開こうとしたが、鏡のほうが早かった。


「儂も嘘を吐くと教えてやったのに、簡単に信じるとは本当に愚かだな」


 途端に、友哉が眉を寄せた。


「嘘、だったのか?」


 答えたのは父だった。


「夏樹にそんなことができるようなら、今頃はとっくに結婚していただろう。甲斐性がないばかりに、惚れた女に無駄な苦労をさせるのだ。別に殴ってやっても構わないぞ」


「あ、いえ。今はとりあえず、いいです」


「それならば、ご両親によろしく伝えてくれ」


 父も踵を返して、部屋を出ていった。夏樹は半ば呆然としていた。


「おまえの父上は、嘘だとわかっていて息子を殴ったのか」


 友哉はそう言うと、声をあげて笑い出した。


「何が可笑しいんだ?」


 夏樹はむっつりと訊いた。


「だって、それならさっき殿下に言ったことは、嫌味だったてことだろ。貴文殿下は気に入った女なら未婚だろうが夫がいようが構わず手を出して、責任なんか取らない方だというじゃないか」


「そういうことになるか」


 ともかく、あの場で父が夏樹の味方をし、美羽との結婚を再び認めたのは間違いなかった。


「だが、こんなことで、宮殿が美羽に手を出すことはなくなるのか?」


夏樹が疑問を呈すると、それと同じ口から答えが返された。


「絶対と言えることなどない。おまえは考える前に動け」

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