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15 割れた鏡は

 翌日、仕事を終えてから夏樹は鏡の神殿に向かった。美羽の使っていた部屋に忘れ物がなかったかを確認しようと思っていた。例えば、寝台の下に首飾りが落ちてはいなかったか、と。


 神殿に着いても、相変わらず人の姿は見えなかった。夏樹は気配を頼りに本殿の中に入り、そこからさらに、今まで足を踏み入れたことのなかった廊下へと進んだ。

 すぐに話し声が聞こえてきて、ひとつの扉の前で足を止めた。


「何故、勝手なことをしたのだ」


「宮殿が許可を出したのではありませんか」


 どちらも男の声だが、丁寧な言葉遣いのほうが歳は上のようだ。


「そんなはずはない。すぐに元に戻せ。それから、もう平民などとは関わらせるな」


「しかし、眠ったままでは世話をするのも大変です。このまま家族に任せてしまったほうが……」


「巫女の家族が平民のわけがなかろう。そなた、すっかりあの平民に買収されたか」


「ば、買収などされておりません。滅多なことを仰らないでください」


「だが、だいぶ金を掴まされたのであろう」


「あれは寄進を受けただけにございます」


「だったら、その寄進とやらで巫女の世話をする者を雇えばいいだろう。鏡が割れたことと、巫女が寝たままであることは無関係ではあるまい。とにかく、何としてでも鏡を元に戻すのだ。それさえできれば、巫女はどうでもいい」


 会話が終わりそうな雰囲気を感じ、夏樹は本殿まで戻ると柱の影に隠れた。

 たいして待たぬうちに廊下からふたりの男が現れた。ひとりは鏡の神殿の神官長。もうひとりは皇弟殿下の次男である貴文殿下だった。

 ふたりは神殿の外に出ていったが、すぐに神官長だけ戻ってきて、再び先ほどの廊下へと消えた。


 夏樹はそのまま神殿を後にした。外はやや肌寒かったが、体が震えるのは怒りのせいだった。

 母の言葉は正しかった。皇家の人間にとって、美羽の命など軽いものだ。二度と美羽を宮殿に奪われるわけにはいかない。

 夏樹は無意識のうちに走り出していた。




 藤森家の屋敷に着き、家令の案内で美羽の部屋に通されると、寝台のそばの椅子には友哉がいた。

 振り向いた友哉は夏樹を見ると、揶揄うように言った。


「どうしたんだ? いつも以上に顔が怖いぞ」


「神殿に寄ってきた」


 夏樹の言葉に、友哉の顔もやや硬くなった。


「それで?」


「神官長と貴文殿下が話していた。宮殿はまた美羽を神殿に戻すつもりだ」


「何でだよ。わざわざ宮殿の許可は得たんだぞ」


 友哉の声に苛立ちが表れた。


「殿下はそれを否定していた」


「だとしても、今の美羽を神殿に置く意味なんかないだろ。それとも、神殿にいれば目を覚ますのか?」


「鏡が割れたらしい。それを元に戻すために美羽が必要だと考えているようだ」


 友哉は少し間を空けてから、口を開いた。


「鏡が割れたから、美羽は寝たままなのか?」


「わからないが、関係があるのかもしれない」


 友哉は美羽のほうに視線を戻した。夏樹も友哉の横に立ち、美羽の穏やかな寝顔を見つめた。

 おそらく、友哉は夏樹と同じことを考えたのだろう。立ち上がると、掛布団を少し捲り上げた。現れた美羽の胸の上には、あの歪な首飾りがある。

 友哉がそれを手に取った。


「まさか、これは鏡なのか?」


 友哉の独り言のような問いに、夏樹は答えた。


「そう見えなくもないな」


 夏樹もそれに手を伸ばした。

 夏樹の指先がそれに触れた瞬間、ピリッとした衝撃があった。咄嗟に夏樹がそれをしっかり指で掴み、友哉も放そうとしなかったのは、美羽の胸の上に落としたりしないようにだった。


『やっと儂に触れたな』


 聞こえてきたのは、不気味で耳障りな声だった。

 夏樹は思わず周囲に視線を走らせ、同じように辺りを見回していたらしい友哉と目が合った。


『夏樹だけのはずが、友哉にも聞こえているのか。一緒に儂に触れたせいだな。まあいい。そのままでいろ』


「いったいおまえは誰なんだ? どこにいる?」


 友哉が低い声で言った。


『わかっているのであろう。そなたたちの手の中だ。美羽は儂が言わずとも理解したが、やはりあれが特殊なのだな』


「おまえは鏡、なのか?」


『そうだ』


「何で、鏡が話せるんだ?」


 夏樹の問いに、友哉が返した。


「美羽が、巫女には鏡の声が聞こえるんだと言っていたが」


『儂は織音から呪力を受け取る前から言葉を得ていた。織音のものになった時点で、儂が作られてから相当の歳月を経ていたからな。だが、儂の声を聞けるのは織音だけだった。織音に呪力を注がれて他の者とも話せるようになったが、それには呪力を使うゆえ、どうしても必要な時に、儂の決めた相手とだけだ。友哉は例外中の例外だな』


「織音って誰だ?」


 今度は友哉の疑問に、夏樹が返す。


「確か、初代の皇妃だ」


『ほう、知っていたか。さすがは皇家の血を引く公爵家の嫡男だ。話を戻そう。本来なら儂の声は儂の巫女にしか届かない。今は儂の中に呪力が有り余っておるからこんなこともできたのだ。そなたがちっとも儂に触れぬゆえ、儂の声も今まで届かず、どうなることかと心配したがな』


「鏡と話せたら何だと言うんだ? 美羽を起こしてくれるのか?」


 夏樹が訊くと、鏡は何でもないことのように言った。


『儂の頼みを聞くなら、その後に方法を教えよう』


「本当か?」


『本当だ』


 夏樹は友哉と再び目を合わせた。鏡の言葉など、信じていいのだろうか。だが、どうすれば美羽が目覚めるのか、わからないままなのだ。

 友哉が口を開いた。


「おまえの頼みというのは何だ?」


『儂は皇帝に話がある。とりあえず神殿に行って、儂の本体に触れるのだ』


「鏡の声が聞こえるなんて、誰も信じないだろ」


『宮殿と神殿の主だった者は儂が言葉を持つことを知っている。誰が信じなくても、儂の欠片を持っているとでも言えばやつらは信じるだろう』


「だが、俺たちに皇帝陛下を引っ張り出せるのか?」


 友哉が夏樹を向いて言うと、鏡が答えた。


『まあ、皇帝本人ではなくても、近い者なら構わん。そいつから伝わるだろう。神官長に呼び出させろ』


 しばらくの沈黙の後で、友哉が尋ねた。


「夏樹、次の休みはいつだ?」


「明後日だ」


「なら、俺も誰かに代わってもらう。明後日、行くぞ」


「ああ」


『決断が早くていいな』


 それは友哉が一緒に聞いていたからに違いなかった。

 おそらく、自分ひとりなら迷ったかもしれないと夏樹は思う。鏡の声を聞いたなど、自分がおかしくなったと疑ったかもしれない。

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