13 彼女が決めたから
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後半です。よろしくお願いいたします。
地方にいた夏樹のもとに、美羽は100通近い手紙を送ってくれた。それに対して夏樹が返したのは、せいぜい20通程だった。
1年の予定だった地方勤務が延びることになって、夏樹はそれをやはり手紙で美羽に報せた。
次に美羽からの手紙が届くまで、いつもより時間がかかった。それまでも交通事情などで配達が遅れて何通かまとめて届くようなことはあったが、その時は、他の手紙や荷物はきちんと届いていた。
美羽に何かあったのかと心配していた夏樹が、ようやく受け取った手紙に書かれていたのは、短い別れの言葉だった。それはあまりに余所余所しくて、まったく美羽らしくない手紙だった。
夏樹の頭は手紙の文面はすぐに暗記してしまったが、その意味を理解することはしばらく拒否した。
数晩かけて、夏樹はそれまでに美羽から受け取った手紙を読み返したが、美羽の心変わりを匂わせるような記述はどこにも見つからなかった。
美羽との婚約解消に少しも納得できなかったのに、夏樹は受け入れる返事を書いて美羽に送り、それですべてを終わらせてしまった。
友哉に言われたとおり、縋りつくような真似をして美羽にみっともない姿を見せたくなかった。
なのに結局、半年たっても夏樹は美羽を忘れることはできなかった。
半年前の美羽から届いた手紙を読み終えて、夏樹は自分の愚かさに項垂れた。寝台で横になってからも、鬱々と考えて眠れなかった。
なぜあの時、美羽の手紙に感じた違和感の正体を、彼女に問い質そうとしなかったのか。なぜ、別れたくないと正直に伝えなかったのか。
そうしていれば、きっと美羽も本心を見せてくれていただろに。
夏樹は地方に赴任する自分を見送ってくれた時の、涙を堪えながら笑ってみせた美羽を思い出していた。あの時と求婚の時、そして『鏡の祭』の時、今までに夏樹が美羽の泣き顔を見たのはそれだけだった。
美羽はどんな顔で手紙を書き、夏樹からの返事を読んだのか。ひとりで泣かせてしまったのだろうか。
友哉も明香も、別れを切り出した美羽ではなく、それを大人しく受け入れた夏樹のほうを責めた。夏樹も今はふたりの気持ちがよく理解できた。
その一方で、夏樹の中には、目を覚ませば美羽がまた自分のところに戻ってきてくれるのではないかという期待が芽生えていた。
半年間も美羽に背を向けていたことを思えば、浅ましい考えだと夏樹は自嘲したが、それでもその希望を手放すことはできそうになかった。
その夜、ようやく眠りに落ちた夏樹の夢の中に美羽が現れた。しかし、美羽は泣いても笑ってもくれなかった。
彼女はただ、口をへの字に曲げて恨めしそうに夏樹を見つめていた。
翌朝、仕事前に美羽に会いに行けなくなった夏樹がゆっくりと朝食をとっていると、食堂に父母がやって来た。夏樹はしばらく父を避けていたので、まともに顔を合わせるのは『鏡の祭』の夜以来だった。
父は席につきながらジロリと夏樹を見た。
「水嶋が婚約を断ってきたぞ。どうやら、他にも候補の男がいたようだ」
「そうですか」
「そうですか、ではないだろ。おまえは公爵家の嫡男としての自覚はあるのか?」
「朝からそのようなお話は……」
父を止めようとした母の言葉は遮られた。
「夜も話をできるかなどわからんだろうが。こいつは私から逃げることばかり考えているのだからな。だいたい、毎日、何をしているんだ? まさか、あの娘のところに行っているのではないだろうな」
「美羽に会っています」
「何が会うだ。美羽が寝たままなのをいいことに、勝手に押しかけているだけだろうが」
父は鼻で笑った。図星を突かれて、夏樹は歯を食いしばった。
「言っておくが、美羽が目を覚ましたところで、おまえの嫁にはできんぞ。皇家が『鏡の巫女』を外に出すはずがないからな」
父の言葉に、夏樹は美羽の手紙を思い出した。『鏡の巫女』は皇家の男に嫁ぐということを夏樹は図書館の本で読んだが、美羽は人から聞かされたとあった。昨晩読んだ時にはあまり意識しなかった「ある方」という書き方が、急に気になった。
「美羽にも、その話をしたのですか?」
「だったら何だ?」
「どうせ私とは結婚できないから婚約を解消しろと、美羽に言ったのですか?」
「私はそこまでは言ってない。それを決めたのは美羽だ」
「美羽がそうせざる得ないようにしたのは父上でしょう」
夏樹が思わず食卓に両手をついて立ち上がると、父が嘆息した。
「まったく、美羽のほうが余程冷静な判断をするな」
「……当分の間は遅くなります。美羽が目を覚ますまでは通うつもりですから」
「おまえはまだわからんのか。婚約解消を最終的に決めたのは自分自身だろう」
「確かにそのとおりですが、私は今でも美羽以外の相手と結婚するつもりはありません。美羽が目を覚ましたら、もう一度、美羽の気持ちを確かめます」
父がさらに何か言おうとしているのを無視して、夏樹は食堂を出た。
まだ時間は早いが、一度部屋に戻って支度を整え、仕事に向かうことにした。
玄関ホールまで出たところで、母に呼ばれて足を止めた。
「美羽さんのこと、あなたに黙っていたのは謝るわ。でも、本当に美羽さんが望んだことなのよ。夏樹をこれ以上巻き込みたくないって」
「父上に余計なことを言われたせいでしょう」
「お父さまもあなたと美羽さんのことを心配していらっしゃるの。ああいう方だからわかりづらいかもしれないけれど」
母が父の肩を持つので、夏樹の心がさらにささくれだった。
「まったくわかりません」
「美羽さんは家に帰れたからよかったけど、 もし神殿に留め置かれて、面会も許されていなかったとしたら、どう? 美羽さんの生殺与奪を宮殿に握られた状況でも、夏樹は自分の考えを押し通せるの?」
珍しく、母の声が厳しく響いた。
「宮殿が『鏡の巫女』を殺すというのですか?」
「絶対にないとは言えないわ。美羽さんが皇女として扱われていないことは、夏樹も気づいたでしょう」
母の言葉に、夏樹の気持ちがスッと冷えた。
貴族の中には、財力を目当てに平民の富豪と積極的に姻戚関係を結ぼうとする者も増えているが、一方で、平民が自分たちに匹敵する力を持ちつつあることを良く思わない者もまだ多かった。
2年前、息子が平民から嫁を迎えることに反対した夏樹の父は後者だろう。
「美羽の何が気に入らないのですか? そこらの貴族などよりもずっと令嬢らしく育てられています」
「それは見ればわかる。だが、いくら貴族のように振る舞おうと、平民は平民だ」
「平民だろうと私の妻は美羽以外にありえません。美羽を認めてくださらないなら、私はこの家を出ます。跡継ぎには養子を迎えてください」
「おまえは本当にどうしようもないな」
父は呆れたようにそう口にした。
父子は顔を合わせるたびに言い争ったが、ふたりの意見は平行線のままだった。
それなのに、父がなぜ夏樹と美羽の婚約を早々に認める気になったのか、夏樹には今でもよくわからなかった。
その夜、藤森邸を訪れた夏樹は、眠る美羽に初めて呼びかけた。
「美羽」
そっと手を伸ばし、美羽の頬に触れる。
「美羽、ずっとそばにいてやれなくて悪かった。俺はおまえが目を覚ますまで、待ってるから。だから、戻ってきてくれ」