11 彼女に相応しいものは
翌日の夜に夏樹が神殿の美羽の部屋を訪れると、先に友哉が来ていた。友哉はわざとらしく顔を顰めて見せたが、昨夜のようなキリキリした雰囲気はなかった。
夏樹が椅子に落ち着くと、友哉が言った。
「明日の昼に美羽を家に移す。俺が非番だからちょうど良かった」
「それなら、明日の夜は屋敷のほうに伺う」
「遠いんだから無理するなよ」
言外に「来るな」と言われているのかと思ったが、敢えて気づかない振りをした。
「朝は行けなくなるだろうが、夜は必ず行く」
夏樹はきっぱりと言った。
翌日、仕事を終えた夏樹は宣言どおりに藤森邸に向かった。
葉山公爵家のように古い家柄の貴族屋敷は宮殿から近い都の中心部に集まっているが、新興の富豪である藤森家の屋敷は郊外にあった。
藤森邸を訪れるのはやはり1年半ぶりだが、わずかな灯りが頼りの暗い道でも夏樹の足はそこまで迷わず辿り着いた。
夜であるにも関わらず、藤森家の家令は以前と同じように夏樹をすんなり玄関の中に通した。
屋敷の中に特に変わった様子は見られず、夏樹の記憶と唯一異なるのは、夏樹を迎える美羽の姿がないことだった。代わりというわけではないだろうが、紗夜子が出て来てくれた。
そのまま紗夜子とともに夏樹が2階にある美羽の部屋まで行くと、中には恵人がいた。恵人は寝台脇の椅子に座って、膝の上で本を開いていた。
「恵人、お勉強は自分の部屋でなさい」
「はあい。姉さん、またね」
不満そうな表情で恵人が部屋を出て行くと、紗夜子は美羽の枕元に近づいて娘の頭を撫でた。
「美羽、夏樹さんがいらっしゃったわよ。夏樹さん、ゆっくりしていってね」
紗夜子も去ると、夏樹は美羽の顔を覗いた。美羽は顔色が良く、表情も柔らかく見えた。
美羽は半年間もここから離されていたのだという。帰宅できたことが眠ったままの美羽に良い影響を及ぼすよう、夏樹は願った。
夏樹は顔を上げると、ぐるりと部屋を見回した。
寝具や窓掛、床の敷物などは適度に華やかで、あちこちに可愛いらしい小物が置かれている。やはり最後に来た時とあまり変わらないようで安心した。
それでも、以前から夏樹がこの部屋に入ると少しだけ落ち着かない気持ちになるのは、美羽に対する彼女の両親の愛情が感じられるからだ。神殿の部屋とは異なり、ここはまったくもって美羽に相応しい部屋だった。
夏樹が藤森邸を初めて訪れたのは、学園の3年生の時。藤森邸から程近い場所に位置する、騎士学校の見学に行った帰りに友哉に招かれてだった。
騎士学校に入ってからは、夏樹は友哉に誘われるまま、しばしば藤森邸に来ていた。
父の反対を押し切って騎士学校に進んだ夏樹にとって、藤森邸は自宅よりも居心地が良かった。しかし夏樹の一番の目的は、学園にいた頃のように偶然顔を合わせる機会のなくなった美羽に会うことだった。
もちろん、友哉はそれを理解していたし、美羽の両親と恵人にもふたりの関係は気づかれた。その中で、夏樹は美羽との距離を縮めていった。
夏樹が美羽に求婚したのも、藤森邸の庭だった。
美羽との将来について考えはじめていた夏樹の背を押したのは、友哉から言われた言葉だった。
「父に聞いたんだが、美羽にずいぶん縁談の話が来てるらしい。うちみたいな商家からはもちろん、貴族からも割と多いそうだ」
眉を寄せた夏樹に対し、友哉は口角を上げてみせた。その目が、「おまえはどうするんだ?」と訊いていた。
友哉がわざわざ「父に聞いた」と前置きしたのは、祐が友哉から夏樹の耳に入れさせたということだ。つまり、夏樹にその意思があるのなら、祐は夏樹を娘婿の候補として最優先で考えてくれるということでもあった。
夏樹は友哉経由で祐に縁談を受けないでほしいと頼み、それからすぐに美羽に結婚を申し込んだ。
思えば夏樹が自分の気持ちを言葉にして、面と向かって美羽に伝えたのは、あの時だけだった。
しばらくして、部屋に友哉が現れた。
「なんだ、もう来てたのか」
「ああ、邪魔してる」
「おまえが来たら聞きたいことがあったんだ」
友哉はそう言うと、美羽の首元まで覆っていた掛布団を胸のあたりまで捲った。
「これ、見覚えあるか?」
布団の下から現れたのは、首飾りだった。美羽の細い首に掛けられた華奢な銀色の鎖は、装飾品ではよく目にするものだ。
だが、その鎖についているものが、異質だった。歪な細長い三角形のそれは、石ではなく金属でできていると思われ、小型の刃物のように先が尖っていた。
「まったくない」
「やっぱりそうか。なんで美羽がこんな悪趣味なものをしているのか、誰もわからないんだ」
「こんなもの着けたままでは危ないんじゃないか?」
「そう思って外そうとしても、金具が外れないし、鎖も切れない」
「こんな細い鎖が切れないのか?」
「もちろん、色々と試したんだがな」
困惑した様子で言ってから、友哉は首を傾げた。
「もしかしたら、美羽には新しい恋人がいて、そいつに貰ったのかもな。宮殿に美羽を奪われたそいつの怨念が込められているせいで外せないんだ」
友哉の表情で、彼が冗談を口にしたことがわかったので、夏樹は友哉を睨みつけた。
「こんなものを恋人に贈らないだろ」
「だよな。それに、祭の直前までは、美羽は薄紅色の石の首飾りをしてたんだ。あれは可愛いらしくて美羽に良く似合ってたのに、どこにも見当たらない。贈り主を恨むあまり捨てたかな?」
今度の友哉の言葉は本気なのか冗談なのか、夏樹には判断がつきかねた。
薄紅色の石の首飾りは、夏樹が美羽に婚約の証として贈ったものだった。当然、友哉もそのことを知っている。
美羽がつい最近まであの首飾りを身につけてくれていたなら嬉しいが、見つからないというのは気になった。
「美羽なら、捨てたりしないで返してくるだろ」
「返したのか?」
「返してもらってない」
「ふうん。おかしいな」
友哉はそう言いながら掛布団を元に戻すと、部屋の向こう側にある机の方へ歩いていき、何かを手に取り戻ってきた。
友哉が差し出したのは手紙だった。夏樹が見慣れた字で、夏樹の名が記されている。宛先の住所は、先日まで夏樹が所属していた騎士団の地方駐屯地の宿舎のものだ。
差出人の名前を夏樹が確認する必要はなかった。
「侍女に聞いたんだが、宮殿に連れて行かれる前日に、美羽は手紙を2通書いていたそうだ。だが、実際に出したのは1通だけ」
「出さなかったものを、読んでもいいのか?」
「きっちり封をしてあるから、どちらを出すか迷っていたんだろうし、おまえ宛なんだからおまえが読んでも怒らないだろ。おまえのために見つけてやったんだぞ」
「美羽の部屋を勝手にあさるなよ」
「美羽がこういうものを仕舞うならどこかなんて、だいたいわかっていたからすぐに見つかった。手当たり次第に探したわけじゃないから大丈夫だ」
やはり、美羽が知ったら怒りそうな気がしたが、夏樹は友哉にそれを言うのはやめておいた。
夏樹にだって、こうして受け取ってしまった美羽の手紙を読まないという選択肢はなかった。
「ありがとう」
夏樹は手紙を懐に入れると立ち上がった。
紗夜子に夕食をとっていくよう勧められたが、夏樹はそれを断り自宅に帰った。
自室に落ち着いてから、夏樹は再び美羽からの手紙を手にした。少しだけ緊張を覚えながら、夏樹はゆっくりとその封を開けた。