10 会えない日々
ーーとうとう、夏樹さまにお会いできない1年が始まってしまいました。次に夏樹さまにお会いできた後はずっと一緒にいられるのだと、自分に言い聞かせておりますーー
夏樹に会えない日々は、美羽には予想以上に辛かった。
夏樹に貰ってから肌身離さず身につけている首飾りに触れながら溜息を吐き、窓から庭を眺めて夏樹に求婚された時のことを思い出して溜息を吐き、夏樹が座っていた椅子や読んでいた本を見て溜息を吐いた。
3日に一度、美羽は夏樹に宛てて手紙を書いた。本当は毎日でも書きたかったのだが、恵人にとめられた。
「毎日手紙が届いたら、読んで返事を書かなきゃならない夏樹さんが大変だよ」
「そうよね」
馴れない場所で、仕事に就いたばかりなのだから、いくら夏樹でも、きっと毎日ヘトヘトに疲れているに違いない。離れたところにいる夏樹に迷惑や心配をかけることは、美羽の本意ではなかった。
ーーお仕事大変なことと思います。私からの手紙に毎回、返事を書いてくださらなくても構いません。どうか無理はなさらないでくださいーー
夏樹からの返事は月に2通程だった。
ーー美羽、いつも手紙をありがとう。美羽の手紙のおかげで毎日、仕事に励めていますーー
ーー美羽が都で元気に過ごしているようで安心しています。こちらは標高が高いので、この時期でも朝晩は冷えますーー
友哉からは倍くらいの頻度で家に手紙が届いており、正直に言えば美羽はもう少し夏樹にも書いて欲しかったが、同じ手紙を何度も読んで我慢した。
週に4度、美羽は夏樹の婚約者として葉山公爵邸を訪れた。謂わゆる花嫁修行のためだ。
美羽の父は、幼い頃から家庭教師をつけたりして、子供たちに貴族並の教育を受けさせ、社交界に出ても困らないための礼儀作法なども身につけさせた。
それでも、貴族と平民ではしきたりや習慣、そもそもの考え方などに違いがあった。美羽は夏樹の妻、さらには次期公爵夫人になるために、夏樹の母や葉山家が呼んだ講師たちから一つ一つ学んでいった。
時々、葉山邸を訪れる夏樹の姉とも親しくなった。葉山公爵ともできるだけ会い、少しでも話をするようにした。
花嫁修行のない日には、学園時代の友人に会うこともあった。
学園の同級生の中には卒業してすぐに婚約者と結婚した者も何人かあって、彼女たちの惚気話や婚家での苦労話を、美羽は羨みながら聞いた。
もちろん美羽も、婚約者の自慢話を聞いてもらった。
明香とは、家を行き来する仲になった。
「まったく、夏樹はこんな可愛い婚約者をよく1年も放り出しておけるわね。私が奪ってあげようかしら」
美羽の淋しさを理解して、明香は冗談を言いながら、美羽を抱き寄せた。
「明香さまにそんなことを言われたら、私も心が揺れてしまいます。誘惑なさらないでください」
笑ってそう返しながら、美羽は明香の腕の中で夏樹に抱きしめられた時のことを思い出していた。
ーー夏樹さま、お元気でお過ごしでしょうか。私は変わりなく過ごしておりますーー
ーー毎日、夏樹さまのことばかり考えてしまいます。早く夏樹さまに会いたいですーー
ーー昨夜は夢の中で夏樹さまにお会いしました。嬉しくて私が近寄っていくと、夏樹さまは冷たいお顔で離れていってしまいました。これが正夢にはならないと信じておりますーー
美羽は時に強がりを混ぜながら、日々の出来事と夏樹への想いを便箋に綴り、遠い地に送り続けた。
だが夏樹のことを想っていると、彼に会いたくて堪らなくなり、部屋でひとり泣くこともあった。
ーー美羽が私に会いたいと言ってくれるように、私も美羽に会いたいと思っていることを忘れないでくださいーー
ーーもうすぐ、美羽のそばに戻れますーー
夏樹も手紙の中では、徐々に彼の気持ちを素直に記してくれるようになった。
美羽は夏樹がどんな表情でそれを書いたのかを想像して、頬を緩ませた。
永遠に終わらないように思われた1年がようやく過ぎようとしていた。
夏樹が都に戻る日を指折り数えながら、美羽は祝言や、その後の新婚生活のことを思い描いていた。それは近い将来、現実のものとなるはずだった。
しかし、夏樹が帰ってくるより前に美羽のもとに現れたのは、想像もしていなかった訪問者たちだった。