9 皇女が巫女に選ばれる
夏樹の祖母は先帝の従妹であり、前回の『鏡の祭』では『鏡の巫女』候補のひとりだったはずだ。しかし、その頃の祖母はまだ6、7歳だったのでおそらく記憶はほとんどないだろう。
それに引退した祖父とともに領地で暮らしている祖母にすぐに会いに行くことはできないし、手紙ではやり取りに時間がかかりすぎる。
ふたりが都にいる時に話を聞いておけば良かったと思うが、まさか『鏡の巫女』が自分にこんな形で関わることになるとは想像もできなかったのだから仕方ない。
神殿の出口へと向かいながらそんなことを考えているうちにふと思い立ち、夏樹は皇立図書館に寄ることにした。図書館も宮殿に隣接しているので、神殿からの距離は近い。
図書館の中に入って国史の棚に向かえば、『鏡の祭』に関する本はすぐに何冊も見つかった。
夏樹は適当に1冊手にとると、その場で頁を開いた。だが、書かれているのはすでに夏樹が知っていることばかりだった。
別の本も中身を確認し、それから文化や宗教など該当しそうな他の棚も眺めてさらに何冊か拾い読みしたが、内容に大した違いはなさそうだった。
読み比べてもっとも細かく記述してありそうな本を選ぶと、夏樹は机に向かい腰を据えた。
本の前半に記されている、皇国の建国過程において初代の皇妃が護国の鏡を作り出した話、その後に『鏡の祭』が始まった理由と『鏡の巫女』の条件などは、貴族ならば子供のうちに教養として学ぶことなので読み飛ばす。
本の半ばあたりに、歴代の『鏡の巫女』についての情報が一覧になっているのを見つけて、夏樹は頁を繰る手を止めた。
それによると初代の皇妃は『鏡の巫女』には含まれず、美羽は12代目の巫女になるらしい。皇国の歴史を考えれば意外と少なかった。
先代までの11人は、すべて例外なく皇女だった。年齢は10代がほとんどだが、未婚という条件を考えれば当然だろう。
さらに頁を進めると、彼女たちが『鏡の巫女』の役割を終えた後にどうなったか、が書かれていた。
11人中9人は結婚していたが、巫女たちの夫になったのは何れも皇家の男だった。
残りのふたりは、本人の希望で生涯、未婚のまま鏡の神殿に仕えたとあった。
夏樹が気になったのは、初代の『鏡の巫女』に関する記述だった。彼女は『鏡の祭』を終えた直後に倒れ、数日間眠り続けたというのだ。しかし、どうやって目覚めたかには触れられておらず、夏樹は小さく溜息を吐いた。
目を上げると窓の外はすっかり暗くなっており、夏樹は本を戻そうと書棚の間の通路に向かった。
そこで、夏樹は友哉の姿を見つけた。友哉は仕事帰りらしく、騎士団の制服を着たままで、開いた本に目を落としていた。
「友哉」
夏樹の呼び声に顔を上げた友哉は、夏樹の持つ本をちらりと見た。
「夏樹もいたのか」
「美羽のところに行った帰りだ」
「おまえなら本で調べるより、誰かにもっと詳しい話を聞けないのか?」
「聞いておけば良かったと後悔していたところだ。おまえは巫女や祭のことを調べに来たんじゃないのか?」
友哉が立っているのは先ほど夏樹が本を選んだ棚ではなく、医学の棚の前だった。
「そのあたりはとっくに一通り読んだ」
そう答えた友哉が今は何を探しているのか、夏樹は訊かずとも察せらた。
「おまえならそうだよな。俺は今さらだ」
夏樹は再び溜息を吐いた。
「仕方ないさ。俺の方が都に戻ったのも、美羽が巫女になるのを知ったのも早かったんだ」
友哉は淡々と、そう口にした。
結局、目ぼしい本を見つけられなかったらしい友哉とともに、夏樹は図書館を出た。友哉が神殿へと歩き出したので、夏樹も一緒にそちらに向かった。
「何か訊きたいことがあるんじゃないか?」
夏樹の胸の内を見透かしたように、友哉が言った。
美羽に関して夏樹が知りたいことはたくさんあった。そのうちのいくつかは彼女の家族に尋ねれば確実に答えを得られるだろうことはわかっていたが、夏樹はそれをずっと躊躇ってきた。
美羽と婚約を解消した自分がどこまで踏み込んで良いのか夏樹にはわからなかった。さらに、1年半の空白のせいか、もしくは現在の状況のせいなのか、美羽の家族の中でもっとも夏樹に近しいはずの友哉の態度に何か屈託のようなものを感じることも理由だった。
だが、友哉の方から振ってきたのだからと、夏樹は疑問を口にした。
「美羽が皇女だって、知ってたのか?」
「いいや。美羽を産んだのが叔母、つまり父の妹だってことは、美羽が学園に入る前に父から聞いたけど、父親については両親も知らなかったんだ。どちらにしても、俺にとっては美羽が妹で、大事な家族であることに変わりはなかった」
夏樹は初めて会った日の美羽を思い出した。まだ幼さの残る顔に笑みを浮かべて挨拶した美羽がそんな事情を抱えているなど、夏樹はまったく気づけなかった。
「美羽がおまえに話さなかったのは、悪気があったわけじゃない。美羽にとって父親はうちの父だけだから、別にいるなんてこと美羽自身も忘れていたんだ」
「別に気にしていない」
「だけど、どうせならこんな形ではなく、美羽本人の口から聞きたかっただろ?」
「それは、否定しないが」
「で、話を戻すが、半年前、美羽は皇女だと突然言われた。思いも寄らなかった、と言いたいところだが、叔母は宮殿で侍女として働いていたそうだから、両親は相手もそこにいたのだろうとは考えていたみたいだ」
「だとしても、やはり驚いただろうな」
夏樹がポツリと零すと、友哉は頷いた。
「俺はその頃は都にいなかったし、その後も帰って来られるまでは手紙で知らせてもらうしかできなくて、本当にイライラしたもんだ」
友哉が口にした言葉の意味を、夏樹はしばし考えた。
「もしかして、友哉も地方勤務が延びたのか?」
「ああ、4か月な」
美羽が巫女に選ばれたのが半年前。本来なら、ちょうどその頃都に帰る予定だった夏樹に、地方勤務の延長が告げられた。
そういうことも稀にあると聞いていたので、当時の夏樹は大人しく受け入れた。
それが夏樹だけでなく、友哉もだったのなら。
「偶然、ではないよな」
夏樹が眉を顰めて友哉を見ると、友哉も睨むようにこちらを見つめた。
「当たり前だろ。美羽は最初、巫女になることを拒否したんだ。それに、こっちに帰ってから調べてみたら、延長されたのは俺たちだけだった」
「都合良く地方にいたせいで、美羽を脅すための人質にされたってことか」
「それに気づいたところで、美羽の気持ちを考えれば、騎士団を辞めることはできないし、下手に動いて罰を受けるわけにもいかなかった」
「……だったら、あの最後の手紙は」
夏樹が呟くと、友哉がさらに目つきを険しくした。
「美羽がおまえと別れたと聞いて、俺はおまえに腹が立って仕方なかった。というか、今もそれに関してはおまえを許せない」
「だが、あれは美羽が……」
「美羽が手紙に何と書いたか知らないが、おまえはそれをあっさり受け入れたんだろ。おまえのことだから、縋ったりするのは格好悪いとか考えたのかもしれないけど、半年もたってからあたふたしてるほうが余程格好悪いからな」
明香以上に容赦のない友哉の言葉を、夏樹は黙って聞いているしかなかった。再会してから感じていた友哉の屈託に、夏樹はようやく合点がいった。
美羽からの手紙に違和感を覚えながらも、夏樹がたった一言の返信ですべて終わらせてしまったことを思えば、友哉の怒りは真っ当だった。
友哉は自分を鎮めるように、大きく息を吐き出してから言った。
「夏樹、俺と美羽が従兄妹だってことの意味、わかってるのか? 結婚が認められるってことだぞ」
夏樹は目を瞠った。
「美羽はおまえの妹だろ」
「大事な妹だからこそ、頼りない奴に任せるくらいなら、ずっと俺のそばに置いといたほうが安心だ」
友哉は夏樹に背を向けると、神殿の中へと消えていった。
夏樹はそれを見送りながら、美羽の「大切な方」は友哉なのではないかと考え、だがすぐにそれを打ち消した。