タイミング
オレの方が先に食べ終わり、食後のコーヒーを飲みながら、本題と言えば本題、の話を始める。
『オレ、仕事で東京行く事になったんだよ。』
食べている途中で下を向いていたなみが、目を見開きながら顔を上げる。
『え?ほんとですか?』
『ほんとですよ。もう、敬語じゃなくていいしょ。』
『あぁ、でも急には、変えられない、よ、です。』
『なんじゃそりゃ。』
『ほら、おかしくなっちゃう。そんな事より、東京って、出張か何かですか?』
『いや、転勤。いつから行くか、どこに住むか、まだはっきり決まってないんだけどね。』
『近いかも、知れない?』
『こっちから神奈川よりは、ね。つーか、神奈川のどこ?』
『ちょっと待っててくださいね。』
そう言うと、食べかけていたものを急いで食べ終え、オレを見ながらペーパーナプキンでゆっくり口元を拭く。その目は“大丈夫でしょ”と言っているようだった。
それからようやく、バッグを自分の膝の上に乗せ、中から手帳を取り出す。女子大生らしい、かわいさ満載の手帳には、新しい住所が書かれていた。
その住所をオレに見せながら、スマホのマップで、どの辺かを教えてくれる。
かなり東京寄りで、オレが住むのがどこであっても近くなる事は間違いなかった。
『分かった。オレの方も、分かったらすぐ連絡するよ。』
『なんか、凄いですね。』
『いいタイミングだった。まさかね、そんな話が来るなんて思ってなかったし。』
『やっぱり、運命って、あるのかな。』
『たぶんね。』
“運命だよ”心の中だけで断言する。
オレ達は食べ終わっても、なかなか店を出る気になれなかった。満席の様子も、待ってる客がいる様子もなかったが、長居するのが申し訳なく、デザートを追加注文する。
なみの仕事の事、オレの仕事の事、本屋での出来事、今までは、どうでも良いとしか思えなかった些細な事のひとつひとつが、大事な事のように思えた。
大切な事を考えていると、ひとつ大事な事を忘れていた事に気がつく。親に、何も言ってなかった。すでに一緒には暮らしていないし今更、この歳になって、相談も報告もそれほど大事な事でもないようにも思えたが、出来たばかりの彼女に伝えた方が早かった事に、少々罪悪感を覚えた。
デザートが届くと、なみはメインの料理以上に目を輝かせ、今日いちばんの笑顔を見せた。
『あー、どれにしよう。』
大きな皿には、6種類の小さなデザートが一つ一つ丁寧に盛り付けされ、手を付けるのが申し訳ないほどで、ひとつの皿がアート作品のようだった。
『どれ食べます?』
『好きなの食べてよ。』
『えー、そんな事言ったら全部たべちゃう。』
『いーよ。食べて。』
『太っちゃう。』
やっぱり、そう言う所は気にするのか。今は気にしなくても全然問題はない体型に見えるし、なんならもう少しくらい太ってもいいんじゃないかとさえ思う。
『いいじゃん。ちょっとくらい太っても。食べれる時に食べた方がいいんだって。こーゆうもんは。』
『そーんな無責任な事言わないで下さいよぉ。』
『いーよ、責任はオレがとるから。』
会話の流れで出た言葉だったが、よくよく考えると、意味深い言葉だったような気がして急に恥ずかしくなる。
『フフッ、なんか、プロポーズみたい。』
『だよな。』
『え?プロポーズなんですか?』
『んな訳ない。つーか、いや、んな訳ないっつーのも失礼なんだけど、そんなつもりじゃなくて、ん?つもりもなにも、今、付き合ったばっかで。ねぇ。もぅ、何言ってんの?オレ。』
なみは大笑いしながら
『ほんとに、何言ってんですか。おっかしぃ。』
しばらく笑いは止まらずに、デザートを食べ始めるまで時間かかった。
ほんとに、何言ってんだか。恥ずかしい気持ちと、まんざらでもない気持ちが入り交じり、付き合い始めたばかりなのに、いつか、本当に言う時がくるんだろう、と何となくそんな気がした。
きっとその時には、その時のタイミングがくるのだろう。ただ、当然の事ながら、まだ今じゃない。
いつか来る、その時をオレが見逃しさえしなければ。




