優しさ
『あ、見つけた“いい人”って、お前のおかげでもある、かも。あの焼肉屋に行ってなかったら、たぶん、繋がってない。』
『はっ?マジかよ。じゃあ、オレに一生感謝しろよ。』
『フッ、おぉ。』
昼の休憩時間はとっくに過ぎていた。
食べた物を片付け、急いで仕事に戻る支度をする。
たぶんオレたちの心の中は少しだけ軽くなっていた。
池の底に沈んで埋もれていたゴミが、キレイに取り除かれた気がした。
今なら、すげー書き進められそうな気がした。
でも、仕事がある。
現実は、厳しい。
仕事を辞めて、書くことに集中したいけど、それじゃあ生活できない。
遠藤は、二次元じぁ人気な同性愛でも、リアルでは、それを隠して生きている。
思ったようにはいかないし、結果がハッピーエンドな事ばっかりじゃない。だから人生は楽しい、なんて言えるほど、余裕はない。
『さ、仕事、仕事。』
遠藤が先にドアの前に行く。
後ろにいたオレの方に振り向き、オレをマジマジと見つめる。そして、ニッコリ笑う。
一度大きく深呼吸すると
『行くか。』
そう言ってまたドアの方に向き直り、ドアを開けた。
一瞬、何かされるかと思った。ほんの一瞬だ。ビクついたオレの表情を、遠藤は見逃さなかったに違いない。
遠藤の背中を見ながら、抱き締めてやる位ならできるかもしれない、そう思ったが、中途半端な優しさは、かえって遠藤を傷つけるだろうと思い直し、差し出しそうになった手を引っ込めた。
ここ最近、本当に考える事が多すぎる。
今までも、ムダに考えすぎる事ばかりだったが、オレは一体、何を考えてたのか。今考えている事も、十年後二十年後には、思い出すことも出来ない些細な事になるんだろうか?
でも、今のオレは、その時々で考えて、決めた道を進んできた結果なんだ。
午前中に引き続き、また気合いを入れて仕事に望む。
今になって、ようやくこの仕事の面白さに気付く。
オレがしてきた事に、意味があるのかどうかなんて分からない。
上から言われた事をただ、ハイハイと思ってやっていた。
でも、嫌いじゃないから続けてこれたのかな。
何にも考えてないようでも、オレの人生は進んでいく。
考えてないようで、考えてる。
小さな選択と決定の繰り返し?
大きな選択肢が人生の分岐点になる?
違うな。目の前の選択肢を大きいと感じるか小さいと感じるか、そこに選択肢があると気付くかどうか。全ては自分次第。
もう、決めてしまったから、早く部長に伝えたかった。
目の前の業務を一つ一つ終わらる。
これが終わったら。
そう思っていた時、なみからのメッセージが届いた。
<準備完了>
の文字と共に添付されていた写真には、段ボールに積みこまれた哲学書が写っていた。
その隣の小さな箱には、なみがコレクションしたらしいボールペン、万年筆、付箋やメモ帳、ペンケース、カッター、はさみ、のり。
何だか大人のお道具箱のように、デザイン重視の文房具達が、綺麗に整理され入れられていた。
仲間だったのか。
妙な納得感と、彼女と一緒に暮らしたら、家中、本と文房具に囲まれた理想の家庭が、なんて事を考えてしまった。
“いやいやいやいや。何考えてんだ。オレ。”
先走りすぎた妄想を中断させ、目の前の仕事に取りかかる。
これが終わったら。そう思っていた仕事を終えた時、部長の方がオレの所に来た。
『ちょっといいか。』
『はい。今ちょうど、部長の所に行こうと思ってました。』
『おぉ、そうか、なんだ?』
『あ、いや。部長は?』
『これな。例の。事業計画、の手前だな、まだ。』
手に持っていた資料を机に置き、広げる。
『展開する地域とコンセプト位じゃないか、決まってんのは。』
広げられた資料を手に取り、目を通す。
本社で作られた資料であることが分かる。
『行くとしたら、本社になりますか?』
『まぁ、そうだな。それも一時的だろうし、具体的な事が決まってきたら、また何処に拠点を置くか決まると思うんだがな。ま、これも参考に、と思ってな。』
『部長。オレ、行ってもいいですか?』
『お?あ?なんだ、もう決めたのか。いいのか?』
やっぱり、エリートコースじゃなく、チャレンジコースなんだろうと思わせるような“いいのか?”の確認に、それでも自分の心は動じなかった。
『やってみたいです。』
自分と部長に対して、しっかり意思表明をする。
『いつから行くことになるか、まだ分からんけど。まぁ、こっちの引き継ぎもあるから、そんなに直ぐにではないだろうが、じゃあ、そのつもりで頼む。』
静かに深呼吸してから答える。
『はい。』
部長がいなくなってから、再び資料に目を通す。
新しい仕事。
色々なチャレンジが始まる。もう始まっている。
なみと話がしたかった。
メールを送る。
<また、会えるかな?>




