決断
駅のバスターミナルからバスに乗って帰るという彼女と、駅まで並んで歩く。
運命の人と思うのに、好きなのか、についてはハッキリ分からないのは何故か。好き、という事の意味を考えてしまう。
“好き”は、考えるもんじゃなく、感じるもの。
多分そう。でも、感じる事より先に、考えてしまう自分が、その感性を鈍らせている。何かを感じられるようになるまでは、まだ少し時間がかかりそうだった。
彼女がバスに乗り込むのを見届け、一人駅に向かう。動き出した歯車が、良い方向へと動いているように感じられる。
たった数日前の、あんなにダメな夜が、遠い昔の事のように思えた。
電車を降りた直後、彼女からのメールが届いた。
家に着いた事と、ご馳走になったお礼だった。
オレは、今駅に着いた事と、今日がとても楽しかった事を伝える。
こんなに素直に思いを伝えた事は、無かったかもしれない。自分の思いなんて、ムダな事だと思っていた。デートの後、今日は楽しかったね、なんて、伝えた所で何になる?今まで、そんな風に思っていた自分が、いかに小さい男だったか、情けなくなる。
たった二時間彼女と過ごしただけなのに、彼女のおかげでやっと今、大人になれた気がした。
気持ちに蓋をする事が大人なんじゃない。ちゃんと気持ちを伝えられる事が、大人なんだ。
家に着き、今日買った本を確認する。あの時、手に取った本を確かめもせず、買ってしまった。もともと買いたかった物とは違ったが、特別な一冊になる気がした。
日曜に“特別な一冊”を読み込んだ。読めば読むほど、理解できなくなる。昨日、ちょっと大人になれた気がしたが、脳内までは急には成長しないようだ。
読んでいる途中、彼女の事が頭に浮かび、思った事をメールで送る。
<バイト、今日までだよね。お疲れ様。昨日買った本、脳ミソ溶ける。>
本の写真も添付する。
30分程で返信が来た。
<あと四時間で終わりです。ここで、バイトしてて、本当に良かった!!!最後の最後で、松本さんに会えた事が、最大の収穫でした!!>
そして、喜び一杯のスタンプ。
<あ、その本、私が今一番好きな哲学者です。脳ミソ溶ける感じがスキ>
俄然、読む気がでてくる。
<素直に、嬉しい。>
<もうちょっと、脳ミソ溶かすよ。>
そう返信して、また本に向き合った。
一日、書くことも聴く事も忘れ読み続けていた。しかし、収穫が得られたのかどうか、分からない。
脳ミソが溶けきった所で、落ちた。
脳内筋肉痛状態で、アラームが鳴る前に目が覚めた。
いつも通りの流れで、仕事に向かう支度をする。
家を出て玄関に鍵をかける。
その瞬間、部長が頭に浮かんだ。
『あぁ。』
本屋の福祉コーナーで漏れた重いため息が、また漏れた。
完全に忘れていた。
落ち込んだ気持ちのまま会社に向かう。
筋肉痛の時って、筋肉動かした方がいいんだっけ?
うろ覚えな曖昧な知識で、会社まで考えてみる事にする。
会社に着いてもまだ、結論は出ない。
早急に決めなければならない話でもなかったが、ズルズルと先延ばしにしたくはなかった。しかしやはり、結論を出すには判断材料が少なすぎる。聞いておかなければならないことは、幾つかある。
朝イチで、部長の元へ向かう。
『おはようございます。あの、』
『あぁ、おはよう。なんだ、もう決めたのか。』
『いえ、ちょっと、聞いておきたい事があって。』
幾つかの質問の後、その回答から、殆ど答えは出ていた。
異動の話を断れば、今のままの仕事が続くだけで、何にも差し支えはないようだった。現時点では、部長の独断での打診であるから、今後の仕事に何ら影響はない。それなら、今までのオレなら確実に断っていたはずだ。
しかし、話を受ければ、暫くは東京での勤務になる。
それを聞いた時、すぐさま“行きます!”と言いそうになったが、思い止まった。しっかり、冷静に決断すべき事だ。
彼女との距離が近くなる、それだけで決めていいはずがない。
『もう少し、考えさせてください。』
今の所、全く興味も持てない仕事に、オレはやる気を見出だせるんだろうか。話を受けてしまえば、後戻りなんて出来ない。
まぁ、今の仕事だって、やりたくてやっているわけじゃないんだ。
先輩のツテで、運良く入社できた。将来のビジョンなんて、まるでなかった。今だって、ない。これからどうしていきたいのか、オレは。
半分以上、話を受ける方に気持ちは傾いている。それが女の為である事が、自分で納得できないでいた。
“東京に行く”為の、自分を納得させる理由が欲しかった。
行って、やっぱりダメだった、なんて事になったら、会社を辞めることになる。何の資格も特技もなく、強みなんて、何一つない。
新しい仕事、上手くやっていけるのか。
よくよく考えると、不安しかない。
“でも” “だけど”
後ろ向きな姿勢を否定する言葉が離れないのは“やってみりゃーいいじゃん”と思う前向きな自分がいるからだ。
それだけでいい。正当な理由なんかなくても、やってみりゃーいい。
ダメだったら、その時考えよう。
危機管理能力が無さすぎるかもしれない。でも、今まではありすぎた。ありすぎて、何にも挑戦できずにいた。自分を過小評価しすぎだ。もうちょい、自分を評価してあげよう。
オレだって、やればできるんだよ。




