歯車
彼女はちょっと困りながら笑う。
『お詫びされるほどの事でもなかったですけど、』
『いや、こっちも、大したもんはご馳走できないけど、』
二人で目を合わせて笑いあうのは、初々しすぎて気恥ずかしかった。
『食べたいもの、あるかな?』
これから先の事なんか、全く考えられない。だけど、自分と、この“点”を、どうにか繋げたい。
幸い、彼女は行きたかった店がある、と、行き先を指差さし案内を始めてくれた。
やっぱりリードされちゃうのか、オレ。
彼女がいた時はいつもいつも、任せっぱなしだった。何かを決める事が面倒だったのに、何にでも賛成してくれることが、優しいと思う女も多かった。オレもその方が楽だった。
こんなんだから、仕方ない。今更急には変われない。
“オレだって、やればできることは、一個ずつ増やしていけばいい”
自分に言い聞かせながら、彼女の案内に従う。
彼女が選んだ店は、普段オレ達が行くような、安い居酒屋だった。
何で、こんな店?と思っていると
『行ってみたかったんです。』
それだけ言って、オレに先に入るよう促した。
オレへの配慮か、本心かは読み取る事はできなかったが、多少気持ちが軽くなった。
週末は込み合って、うるさく、話し声はだいぶ近寄らないと聞き取れない時がある。カウンター席しか空いておらず、カウンターに隣り合って座る。
彼女は嬉しそうにメニューを見ながら、食べたい物を選んでいく。
途中、支払いをするオレに気を使ってか、頼んでいいか確認してくれる。ここなら、何を頼まれても問題ない。
『明日で、バイトも終わりで、四月からは仕事で神奈川に行く事になって、もう、会えないと思って諦めてました。』
さっきも言っていた事を、更に詳しくオレに説明する。
『何で、オレ?あの本屋で?』
素朴な疑問だった。
『哲学。好きなんです、私。あの辺のコーナー、私担当で。最近よく見かけるようになった、えっと、松本さん、凄く楽しそうに本、選んでたから、気になってたんです。それに!その後ステーショナリーコーナーで、ボールペン見てる時も楽しそうで。』
恥ずかしすぎた。誰かに、そんなに見られているなんて、知るはずがない。田島のルックスを持ち合わせていたら、いつ誰に見られていてもおかしくないが、オレは自分の見た目くらい、分かっている。
しかも、楽しそう、って。遠藤にも気付かれていたが、案外感情が表に出る人間だったのか、恥ずかしい上に情けなくも感じていると、困惑したオレの表情を見て、
『あ、ごめんなさい。気持ち悪いですよね。私、ストーカーみたい。でも、なんか、私に似てるかもって、思って。』
『あ、いや、何か恥ずかしいっつーか、あぁ、うん、恥ずかしい、なって。』
本当の気持ちしか、出てこない。本当の気持ち、
『でも、嬉しい、かも。』
これもまた、本心。
騒がしい店内、初デートには相応しい場所ではないと思うが、うるさくて聞こえない時に、二人の距離が自然と縮まるのにはいい店だと思えた。
正直、哲学が好きだと思われていたら、それはちょっと違うし、哲学的な中身の話になったりしたら“何も知らない”事にがっかりされるんじゃないかと思った。そこはきちんと伝えるべきか悩んでいると
『もともと、哲学なんて、全然興味なかったんです。本は大好きで、良く読んでたから、だからあそこでバイト始めたんですけど。全然興味もないコーナーの担当になっちゃって。最初はちょっと憂鬱で、バイトも辞めようかと思ったんですけどね、辞める前に、ちょっと読んでみるかと思って読んだら、面白かったんですよね。なんだか。』
女の子って、よくしゃべるな、などと、また話の中身と関係ない事を考えてしまう。ただ恐らく、鉄女ならぬ哲女、のような感じではなさそうで、オレが悩んでいた事は伝えなくとも大丈夫だと思えた。
そして、よくしゃべる女の子は、また話を続ける。
『何かのきっかけで、新しい事を始めると、何だか歯車が動き出すみたいに、どんどん色んな事が回り出すみたいで、哲学の本を読むようになって、自分の中の色んな事が動き出した気がするんですよね。』
恐らくポカンと口を開けてアホヅラしていたオレを見て、
『なーんて、何を言ってんでしょうね。私。』
いや、分かるよ。分かったよ。今のアホヅラは、納得のツラだ。
オレを、“私に似てるかも”と言った彼女の気持ちが理解できた。
今オレも、彼女は“オレに似てる”と思えた。
ここ最近の、急激な物事の変化は、まさしく歯車が動き出したようで、何なら、本来は小さな歯車が段々に大きな歯車を動かしていくはずが、池の水が一気に放流された事で、一番大きい歯車から動き出し、それから回りの小さな歯車が急回転を始めたような感じかと思った。
オレ達は、似てるのかな。




