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第六話  :  それは、世界で一番優しい声



 結局――。


 作戦が終わって基地に戻ってきたのは、夜の八時でした。



 ジブンはリュックをつかんで輸送機を飛び降り、全力で自転車をこいで学校に駆けつけました。携帯電話は部屋に置いたままでしたし、そもそも寿々木くんの電話番号を聞いていなかったので連絡が取れなかったからです。



 そして、屋上に到着したのは夜の八時半でした。



 待ち合わせは朝の十時でしたので、十時間以上の遅刻です。普通に考えれば待っているはずがありません。だけどジブンは寿々木くんのおうちを知らないので、待ち合わせ場所にくる以外、他にどうしようもなかったのです。



 そしてやはり、暗い屋上に彼の姿はありませんでした。




「待ち合わせ、明日にすればよかったです……」




 ハワイに行くみたいに、飛行機に乗って昨日に戻れるのなら、今すぐ戻ってやり直したいです。でも現実は、そうもいきません。ベンチに寝転んだまま、暗い夜空を見上げます。薄い星が涙でじわりとにじんでいきます。



 寿々木くんは、きっと怒っていると思います。



 連絡もしないで約束をすっぽかしたら当然です。きちんと理由を説明すれば、もしかしたら許してもらえるかもしれませんが、極秘任務でハワイに行ってきたなんて言えるはずがありません。




 ほんと、もうやだ……。




「ジブンは……わたしは……いったい何をやっているのでしょう……」



 急に涙があふれ出しました。



 もうなにも見えません。



 今朝からなにも食べていないのでお腹の音が盛大に鳴り響きましたが、どうでもいいです。今はなにも食べたくありません。このまま腹ペコで死んでしまってもいいぐらいです。というか、ほんとにもう、このまま死んでしまいたい……。




「――おいおい、すごい音だな。まさかおまえ、何も食っていないのか?」




 えっ!?




 声が聞こえたとたん体が勝手に跳ね起きました。信じられません。いつの間にか目の前に――寿々木くんが立っています。



「よぉ。悪いな。ちょっとトイレに行ってたんだ」



「えっ……? な、なんで……? 寿々木くん、なんでいるの……?」



「なんでって、待ち合わせしたからに決まってるだろ」



「いや、待ち合わせって、十時間以上も前なのに……って、え? まさか寿々木くん、ずっと待っていてくれたの?」



「まあな。それより、あとで電話番号とメールアドレスを交換しようぜ。連絡が取れなかったから、さすがにちょっと心配したからな」



 どどど、どうしましょう……。


 寿々木くんがなにを言っているのか、まるで理解できません。



「え……? なんで? ほんとに十時間以上も待っていたの? どうして? ふつう、怒って家に帰るんじゃないの?」



「どうしてって、そんなの決まってるだろ。おまえは絶対に来ると思ったから待っていた。それがオレの『ふつう』だ。実際、おまえはちゃんと来たからな」



「で、でも十時間だよ? そんなに待たされたら怒って当然じゃないの?」



「別に。それだけの理由があったんだろ?」



 そういって、寿々木くんがハンカチをくれました。



「とりあえず涙をふけよ。そんなにボロボロ泣いていたら、落ち着いて話せないからな」



 そういって、今度は頭をなでてくれました。



 でも、どうしましょう。


 涙がぜんぜん止まりません。


 こんなに優しくされたのは、生まれて初めてです。なんだか心臓が痛いです。胸の奥がぎゅうっとして痛いです。約束を破ってしまったわたしなんかを、こんなに待っていてくれる人がいるなんて信じられません。


 痛いです。本当に痛いです。


 自分が情けなさすぎて、どうしようもなさすぎて、心の奥が痛いです。



 それなのに――。



 なぜか、胸の中が温かいです。


 こんなに苦しいのに、こんなに温かい気持ちになったのは初めてです。



 だから、涙が止まりません。



 こんなに優しい寿々木くんを、一人きりで待たせてしまった自分が許せません。ごめんなさい。本当にごめんなさい。そして、こんなダメなわたしをずっと待っていてくれてありがとうございます。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――。



「……寿々木くん」



「うん?」



「来るのが遅くなって、本当にごめんなさい……」



「おう。ちゃんと来てくれて、ありがとな」



 そう言ってくれた寿々木くんの声は、たぶん、世界で一番優しい声でした。




***




「へぇ。おまえ、急な仕事でハワイまで行ってきたのか」



 わたしが……じゃなくて、ジブンが泣き止むと、寿々木くんはすぐにレーションを温め始めました。レトルトパウチのレーションは、加熱袋に入れて水を注ぐと二、三十分で熱々に温まります。


 ジブンは加熱袋から噴き出す蒸気を見つめながら、遅刻した理由を寿々木くんに説明しました。



「はい。えっと、会社の偉い人のペットを、ホノルル空港まで受け取りに行ってきたんです」



 本当はそんなに穏やかなものではありません。


 実は仲間のスパイが、極秘情報が入ったマイクロチップを犬の首輪に隠して日本に運び出そうとしたのです。ですが空港の検疫に引っかかって止められてしまったので、ジブンと円堂さんがその犬をこっそり盗み出してきたのです。ちなみにコードネーム『シヴァ』というのは、その犬が『柴犬』だったから付けられたそうです。



「まあ、仕事なら仕方ないよな。――お。どうやら温まったみたいだな」



 花壇のレンガブロックに立てかけていた加熱袋の蒸気が止まりました。寿々木くんはさばのトマト煮を、ジブンはウインナーカレーをパックのご飯にかけて食べ始めます。



「うお! すげぇ! なにこれ! レーションって超美味しいじゃん!」



「はい。けっこう美味しいです」



 ジブンもちょっと驚きました。以前からまずくはないと思っていましたが、こんなに美味しいと思ったのは初めてです。



「ほら、小々砂。一口食ってみ」



 寿々木くんが先割れスプーンにさばを一切れのせて、ジブンの口に突っ込みました。ですが、急に心臓がドキドキして味がまったくわかりません。



「そ、それじゃあ、こちらもどうぞ……」



 ジブンもお返しにウインナーをスプーンにのせて、寿々木くんの口元に運びます。気を抜くと手が震えてしまいそうなので全力の握りこぶしです。



「おお! そっちも美味いな! それじゃあ、半分こにしようぜ!」



 寿々木くんの提案で、お互いに半分食べて交換しました。ですが交換したとたん、またもや心臓がドキドキして味がわからなくなりました。



 でも――。



 今夜の食事は、今まで食べたごはんの中で、一番美味しいような気がします。





 こんばんは、ジブンさん。



 これはジブンの脳内日記ダイアリーです。


 今日は晴れた夜空に煌めく星の、素敵なディナータイムです。そして今夜が素敵だと思えるのは、たぶん、一人じゃないからです。きっと、円堂さんに言われたとおりなんだと思います。



 ジブンは――。


 ううん。


 今のわたしは――。



 きっと、彼に恋しています。





 好きという感情は、『尊敬』から生まれます。



 本作をお読みいただき、まことにありがとうございます。


 本作は、主人公である『小々砂佳夕子』の初恋を描いた作品になります。


 ですが、恋とはなんでしょうか。好きという気持ちはなんなのでしょうか。小々砂の初恋相手である『寿々木深夜』はこう言いました。



「――はっきり言って、誰かのために頑張るヤツってのはすごいと思う。オレはそういうヤツを尊敬する。だから、『好き』ってのは『尊敬』に近いと思うんだ」



 彼は『尊敬の念』が『好きという感情』だと考えています。もちろんこれは彼の考えであって、唯一絶対の答えではありません。好きという感情は一人ひとり違って当然です。ですが、寿々木深夜は尊敬できる人を好きになるという考えの持ち主なので、自分自身も『尊敬できる人間になりたい』と思っています。


 だから彼は、小々砂が十時間以上の遅刻をしても怒りませんでした。『遅すぎる。ふざけるな!』という考え方ではなく、『遅すぎる。何か理由があるんだな』と考えたからです。なぜならば、すぐに怒るニンゲンを彼は尊敬していないからです。感情のままに怒るヒト、怒鳴るヒト、人を馬鹿にするヒト――そういうニンゲンを、寿々木深夜は尊敬していないからです。そしておそらく、誰でもそう思うのではないでしょうか。


 そしてそのような彼の姿勢を、小々砂は好きになりました。尊敬して、大好きになったのです。


 食べる物がない、生活が苦しいと小々砂が正直に話しても、寿々木深夜は馬鹿にしませんでした。おにぎりを手渡し、夕食に誘い、わざわざ持ち帰り用の料理を渡しました。小々砂は彼に優しくしてもらい、とても嬉しいと思いました。ですが、優しくしてもらったから好きになったのではありません。寿々木深夜の優しい心を尊敬して、好きになったのです。



 好きという感情は、『尊敬』だけではありません。


 ですが、尊敬できる人を嫌いになる人はいません。もしも、『尊敬できる自分になりたい』と多くの人が願ったら、それだけ多くの幸せな恋が生まれるのではないでしょうか。



 最後になりますが、再度申し上げます。


 本作をお読みいただき、まことにありがとうございました。


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