第二話 : 初めての優しい言葉
ジブンは今、死に至る病気にかかっています。
こんにちは、ジブンさん。
ジブンの名前は小々砂です。小々砂佳夕子と申します。そしてこれは、ジブンの脳内日記です。
ですが、非常に残念ながら、ジブンはたぶんもうすぐ死にます。今日も青い空に白い雲の爽やかなお昼休みの時間ですが、ジブンは校舎屋上のベンチに寝っ転がったまま、天国に旅立とうとしています。
ああ、恥ずかしい……。
すいません。お腹の音が激しく鳴り響いてしまいました。
ですが、仕方がないのです。今日は食べる物がなにもないので、お昼ごはんも朝ごはんも食べていません。ついでにいうと、昨日もなにも食べておりません。そうです。ジブンの病気は腹ペコです。ほんとにもう、カロリー不足でフラフラです。
ああ……。
せめて死ぬ前に一度でいいから、牛丼にタマゴをかけてみたかった……。
「――そうか。牛丼はないけど、おにぎりならあるぞ」
……はひ?
いきなり頭の上から声が降ってきました。
目を開けてみると、すぐそばにものすごい美少女が突っ立っています。長い黒髪に細い腰つきの、黒いセーラー服を着た女の子です――と思いましたが、あれ? この顔には見覚えがあります。間違いありません。この人はたしか、同じクラスの――。
「えっと……寿々木くん……?」
「そんなもん、見れば分かるだろ」
やっぱりそうです。この人は寿々木深夜くんです。長い黒髪のウィッグをつけて女装していますが、この仙葉学園女子高等部に入学した、たった一人の男の子です。なんで女子高に男の子がいるのかといいますと――。
「それよりほら。おにぎりやるよ。腹減ってんだろ?」
ああ、なんということでしょう。
ジブンが慌てて体を起こすと、隣に座った寿々木くんがアルミホイルで包んだおにぎりをくれました。もしかするとこの男の子は、女神さまかもしれません。
――で、話の続きですが、この学校は数年後に共学にする予定なのです。それでテストケースとして男の子を一人だけ入学させたのですが、それが寿々木くんだったのです。だけど今は女子高なので、女装しなくてはいけないそうなのです。本当に変な学校です。
「えっと、このおにぎり、本当にもらっていいんですか?」
「ああ。二個とも食っていいぞ。今夜はレストランに行かなくちゃいけないから、カロリーを押さえておきたいからな」
カロリー? どうやら細い体を維持するためのダイエットという意味のようですが、食べる物がないジブンにとってはうらやましいお話です。
「……それでは、せっかくですので、ありがたくいただきます」
お礼を言って、ぱくりと一口頬張ります。その瞬間、思わず目玉が飛び出しそうになりました。
やばいです。
このおにぎり、今までに食べたことがないほど美味しいです。作ってから時間がたっているはずなのに、お米がふわふわしています。しかも中の具はシャケとイクラです。シャケの塩気と歯ごたえと、イクラのみずみずしさが口の中で混ざり合って美味しすぎます。
「これ、すごく美味しいです。寿々木くんのお母さんはお料理が上手なんですね」
「いや。作ったのはオレだ。うちの親は二人とも出張中で、滅多に帰ってこないからな。それよりおまえ、なんで飯を食わずにこんなところで寝てたんだ?」
「そ、それはその……食べる物がないので、体力の消耗を抑えようとしていたのです……」
「つまり、生活が厳しいってことか?」
「はい……」
ああ……。素直に答えるのはとても恥ずかしいのですが、お金がないのは事実なので仕方がありません。
「ですが、明日か明後日にはお給料をいただけるはずなので、それまでの辛抱です」
「給料? おまえ、バイトしてるのか?」
「ええ、まあ……」
正確には就職しているのですが、それは一般人には秘密なのでお話しすることができないのです。
「なんのバイトしてるんだ?」
「えっと、おそうじ関係のお仕事です」
「へぇ、そうなんだ。どこで働いているんだ?」
「いろいろです。あちこちにおそうじに行きますので」
「なるほど。掃除の派遣ってところか。偉いんだな、小々砂は」
いえ。別に偉くはありません。そうしないと生きていけないだけです。
それに、ジブンと同じような境遇の子はけっこうゴロゴロいます。寿々木くんは知らないと思いますが、同じクラスの円堂朔奈さんも、ジブンと同じ仕事をしています。まあ、それも一般人には秘密なのですが――。
「ああ、そういえば、うちのクラスの円堂も働いているって言ってたな。しかも、あいつの仕事は暗殺者らしいぞ」
ごほっ! ごほごほっ! ごふほふほっ!
「お、おい、大丈夫か? ほら、これ飲んでいいぞ」
「す……すいません。ちょっとむせてしまいました……」
寿々木くんがパックのお茶をくれたので飲みました。おかげでのどの通りはよくなりましたが、どうしましょう。唇についていた海苔のカスが、ストローにちょっぴりくっついてしまいました。
――じゃなくて! なんで円堂さんのお仕事が一般人にバレているのですか!?
「あ……暗殺者、ですか……?」
「ああ。本当かどうかは知らないけどな」
ほっ。よかったです。どうやらまだ完全にはバレていない様子です。
「だけどあいつ、スカートの下にナイフを二本も装備していたから、案外本当なのかもな」
ごふっ! ごぶごぶぼっ!
「おいおい、またかよ。そのお茶ぜんぶ飲んでいいから、もっと落ち着いて食え」
「す、すいません。ありがとうございます……」
どどど、どうしましょう……。円堂さんの正体がほとんどバレバレです。というか円堂さん、なんで男の子にスカートの下を見られているのでしょうか? はっ! まさか……。
「す、寿々木くん。まさか、円堂さんのスカートをめくったのですか……?」
「いや。あいつがオレの前でいきなりスカートをめくってナイフを抜いたんだ。それで少しだけナイフさばきを見せてもらったけど、なかなか様になってたぞ」
まあ、それはそうでしょう。円堂さんはうちの部隊で一番強い人ですから。
――じゃなくて! なんで一般人にプロの暗殺スキルを披露しているんですか、あの人は!
「それよりおまえ、今夜ひまか?」
「えっ? あ、す、すいません、聞いていませんでした。なんのお話でしょうか?」
「だから、うちの親戚のおばさんがレストランをやっていて、そこに今夜、妹と一緒に呼ばれてるから、おまえも暇だったら一緒にこいよ。タダで腹いっぱい食べられるぞ」
なっ!? なんですとぉっ!?
「おっ! お夕飯がタダですかっ!?」
「まあな。ほら、ここだ」
そういって、寿々木くんが小さな紙をくれました。見ると、『レストラン・チヒロ』という名前と、裏に簡単な地図が描いてあります。どうやらお店の名刺のようです。
「おまえの分の席も用意しておくから、絶対に来い。予約は八時だから」
「えっ? でも、どうしてジブンなんかにごちそうしてくれるのですか?」
「おまえの名前は――」
急に寿々木くんが立ち上がり、ジブンをまっすぐ見下ろしました。
「小々砂佳夕子だろ?」
「え? ええ、そうですけど……?」
「そんな名前は、珍しいからな」
そういって寿々木くんは軽く微笑み、階段の方へと去っていきます。
(珍しい名前……?)
はて? 何がなんだかまったくわけがわかりません。たしかにジブンの名前は珍しい方だと思いますが、そんな理由でごちそうしてもらえるなんて初めてです。
(変な人……)
初めて見た時から、寿々木くんは本当に変な人でした。
一か月前、この学校に入学した時から彼はとても目立っていました。男の子なのに女子よりもかわいくて、それなのに男らしく堂々としていて、だけど運動音痴で足が遅くて力がなくて、本当に不思議な人です。
でも――。
彼の周りにはいつも人が集まっています。彼をにらみつけている人もたまにいますが、それ以上に笑顔でおしゃべりしている人の方が多いです。それがなぜなのか、理由はわかりません。
そして――。
本当になぜなのかまったくわかりませんが、なんだかジブンも少しだけ楽しい気分になりました。ついさっきまで死に至る病気にかかっていたはずなのに、心臓がいつもより元気に動いています。
だけど――。
ほんとになんで、寿々木くんはジブンなんかにごちそうしてくれるのでしょうか?
お父さんとお母さんが死んでから、こんなに優しい言葉をかけてもらったのは初めてです。