少女漫画みたいな恋がしたい!
一.
「僕のどこがダメだった?」
胃袋にズシンと来るような重さを感じながら、僕は掠れた声を何とか絞り出して彼女に尋ねた。体育館裏は地面も溶け出すような暑さだというのに、まるで僕だけ世界から切り離されてしまったかのように、さっきから何だか温度を感じない。遠くの木陰から、蝉の声が土砂降りのように降り注いでいる。彼女の声を聞き逃すまいと、僕は下を向いたまま必死に耳を澄ませた。
「……ごめんなさい。涼太くんは少女漫画みたいにイケメンだし、高身長だし、スポーツも出来て優しくて、私のタイプど真ん中なんだけど……」
すると、彼女は少し申し訳なさそうに呟いた。
「でも涼太君は私が好きな少女漫画みたいに、余命半年って訳でも、何か特別な家系って訳でもないし……。記憶喪失でもタイムリープ中でもないから……本当にごめんなさい! 」
二.
「僕のどこがダメだった?」
彼女に振られてから一週間『前』。徹底的に体を痛めつけ、タンスに小指をぶつけた程度で致命傷の超虚弱体質になった僕は、ほぼ一生をかけて『タイム・トラベル理論』を実用化した。六七歳のある日、僕は世界で初めてのタイムマシン発明者になったのだ! これを特別と言わずして、何を特別と言うのだろう? 丁度よく痴呆も進行していたので一種の記憶喪失には違いない。勿論僕は、急いで『あの』一週間前に戻った。
「……ごめんなさい。今の涼太くんは確かに余命短いし、特別な家系だし、ボケてきてるしタイムトラベラーではあるんだけど……」
しかし、一週間前の彼女はやはり申し訳なさそうに呟いた。
「でも私……お父さんより上の年代の人はちょっと……本当にごめんなさい!」
三.
「僕のどこがダメだった?」
彼女に振られてから一週間『後』。落ち込みすぎて気分が地球の裏側まで突き抜けた僕は、そこでサンバと出会ってもう一度心を踊らせることができた。陽気なリズムに乗りながら、彼女が好きだと言う少女漫画やアニメを不眠不休で一心不乱に研究、実践した。そしてとうとう、僕は彼女の『理想』を体現することに成功したのだ。今度こそイケる。根拠のない自信が漲ってきた僕は、ふたたび例の体育館裏で彼女に告白した。
「……ごめんなさい。確かに涼太くんは心が病気っぽいし、何故かところどころポルトガル語になってるしアホっぽいし、『何時代の者だよ』ってくらい奇抜な格好してるけど……」
だけど悲しいかな、彼女はやはり首を縦に振ってはくれなかった。
「……でも私が好きな少女漫画の主人公は、そんな顔してないから! 本当にごめんなさい!」
四.
「僕のどこがダメだった?」
彼女に振られてから二週間後。落ち込みすぎて涙を流し続けた僕は、頬を伝う一筋が僕の顔に溝を作っていることに気がついた。涙の通り道として線ができてしまった顔面に、僕は試しにスクリーントーンを貼りたくった。顔がダメだと言うのなら、いっそ『コレ』と同じにしてやろう。細部まで無駄にこだわった僕は、それから三〇枚以上のトーンとGペンを駆使して自分で自分の顔を二次元化した。今度こそイケる。根拠のない自信が漲ってきた僕は、みたび例の体育館裏で彼女に告白した。
「……ごめんなさい。確かに涼太くんの顔面、気持ち悪いくらい私の好きな少女漫画の主人公にそっくりなんだけど……」
だがそれでも、彼女は僕に残酷な現実を突きつけてきた。
「……でもあんまり早くOKしすぎると、読者の興味を引けないから……」
「読者!?」
「本当にごめんなさい。単行本だと大体十三巻あたりだから……また今度、ね?」
五.
「僕のどこがダメだった?」
彼女に振られてから十三巻後。落ち込みすぎてトーンが全部剥がれてしまった僕は、それから一日一日、人生の一ページ一ページを悶々と過ごしていた。単行本一巻が大体百五十ページくらいだから、それから約五年後である。高校も卒業して離れ離れになっていた僕らは、よたび体育館裏で邂逅した。
「……ごめんなさい。確かに涼太くんは十三巻あたりまで待ってくれたんだけど……」
彼女はまるであの頃のように、何も変わらない瞳で僕を見上げた。と言うことはつまり、答えはあの頃と一緒である。
「でも諸々の事情で連載が復刻したの! 新しく始まった第二部は、『高校時代編』を経て次は『大学・社会人編』なのよ! ほら、見てコレ……」
六.
「僕のどこがダメだった?」
彼女に振られてから第一部後。落ち込みすぎて人生の第二部を投げ出しそうになった僕だったが、通りすがりの人に何故か『いつも見てますよ』と言う励ましを受け一命を取り止めた。もしかしたらあれが、彼女の言う『読者』だったのだろうか? 疑問に思いながらも、根拠のない自信を取り戻した僕はそれから約五年後、いつたび彼女に告白した。
「ごめんなさい……今仕事とか忙しくてちょっと……」
「えっ!?」
至極真っ当な理由で振られ、僕は驚愕した。あれだけ好きだった少女漫画は、もう見なくなってしまったのだろうか? 妙な胸騒ぎがして、僕は恐る恐る彼女に聞いてみた。
「だって、いつまでも少女漫画なんて……ねえ?」
「!」
そんな……。僕はその場にへたり込んだ。
この際、僕はダメでもいい。良くないけど、だけど、だけど漫画のことは嫌いになって欲しくなかった。忘れて欲しくなかった。
「漫画のどこが……」
顔を上げると、まるで漫画のように咽び泣く僕を一人置いて、いつの間にか大人になっていた彼女はどこかへ消えてしまった……。
七.
「僕のどこが……」
彼女に振られてから一週間後。落ち込みすぎて落ち込み慣れしてきた僕は、あれから不眠不休で一心不乱に少女漫画を読み漁っていた。体育館裏には、もう彼女は来ない。そりゃそうだ。十年以上経てば、誰だって変わる。もう彼女は少女ではなく、漫画に夢中になる歳ではないのかもしれない。
「だったら……!」
僕が描くしかない。
もう一度、大人になった彼女を夢中にさせるような、魅力的な少女漫画を。
僕はダメでもいい。良くないけど、だけどあれほど彼女が夢中になっていた漫画まで、無くして欲しくない。僕はいつぞやのスクリーントーンとGペンを引っ張り出し、原稿用紙を汚して汚して汚しまくった。むたび、ななたび、やたび……応募した作品が落選するたび、僕の心は落ち込みすぎて地球を突き抜けそうになった。だけど、ここたび、とたびとラテンのリズムに身を任せ、僕は何度も何度もサンバ漫画を描き殴った。
それから約五年後。とうとう完成した漫画を持って、僕は電話で何度も頼み込んで、思い出の体育館裏で彼女に会った。
「ごめんなさい……」
「僕のどこが……ダメだった?」
しかし、彼女の答えはやはり一緒だった。彼女は僕の漫画を一通り読んだ後、悲しそうに呟いた。
「確かにこの漫画は今の私の好きな要素を、一見全て兼ね備えてるけれど……」
「だったら……」
「でも私……ポルトガル語はちょっと……。本当にごめんなさい!」