#プロローグ4
私立雪森学園 校門付近
屋敷から坂を下りて数分歩いたところにある私立高校、雪森学園。
この町唯一の高校として知られているミッション系の学校である。
そのため毎年受験率は120%越えという驚異の記録を叩き出していることで有名な学校となっており、マンモス校として一目おかれている存在だ。
成績も学費も中程度であり、生徒や生徒の親にも人気がある学校なのである。
もちろん、さくらも他の者と同じようにこの学園に通っている。
基本的に部活に入る者が半数以上いるがさくらはどこの部活にも入っておらず、帰宅部というマイナーなポジションについていた。
真っ赤なコートを羽織り、黒く長い髪が風になびく。
『マフラーを持ってくるべきだったか…』などと、寒さに耐えながら考えていると、学校へ向かう人たちの中に見知った後ろ姿を見つける。
さくらは一度ふぅっ…と息を吐き、その背中に向かってなるべく落ち着いた声色を意識して声をかける。
「おはようございます和泉君」
校門をくぐり抜けようとしていた和泉 梓は、さくらの声に気がつくと進めていた足をとめ、声のした方角に向き直る。
「ん?あ、おはよう、暁。なんだか今日は早いんだね」
黒いコートに身を包んだ梓は手を振りながらさくらの元に駆け寄り、空とは対照的な爽やかな笑みを浮かべる。
対するさくらは梓のような爽やかな笑みではなく周囲の目を気にして完璧に作られた上品な笑みを浮かべ、梓の癖のある小豆色の髪が揺れるのを横目に見ながら彼が来るのをゆっくりと歩きながら眺めていた。
「今日は軽めに朝食をすませたから早めに屋敷を出たのよ。…でも、失敗だったわ。あなたがいる、ってことはかなり早く来てしまったようだし…」
「うーん。たしかに、まだ七時半前だから少し早いの…、かな?」
「早すぎよ。…和泉君、あなた、いつもこんな早くに学校へ来ているの?」
呆れたような顔で梓に聞くと、梓は自分の頬をかきながら困ったように笑う。
「いや、ほら。いつもならさ、この時間に僕、部活があるから。だから、まあ、その、癖で早く起きちゃうっていうか…。目が覚めちゃうんだよね」
「ふぅん。…あれ?じゃああなた、今日部活は?もう始まってるころよね?」
「あー、今日は休み。午後の練習はあるけど」
「部活やってる人たちは大変ねぇ…」
「そうでもないよ?僕は弓道部だけど、やりがいがあって楽しいし。それに僕は、一応部長だしね」
それを聞いてさくらは少し首をかしげる。
「あら?それは初耳ね。ふふっ。あなたが部長かぁー。なるほどねー。和泉君、弓上手かったんだぁ。ふぅーん」
「え、なにその視線」
「別に。なんでもないわよ」
にやりと笑い、さくらより頭何個か高い隣の梓を見上げる。梓はなんだか居心地が悪くなり、微妙な顔つきになる。梓は自分の隣で意地悪く笑っているさくらにどう返していいかわからず、口を閉じてしまう。
「あ、黙っちゃった。和泉君は反応が面白いから、いじるのが楽しいのよねー」
「いやいや。僕ドMとかじゃないんだからさ」
「あら?いいんじゃない別に」
「よくないよ!僕だってれっきとした男なんだから。僕にだって男としてのプライドとか…」
「暁はわかってないよ…」などとぶつぶつ言う梓を「あなたのプライドには興味ないわよ」の一言で黙らせる。
「はぁ…」
さくらは自分の口から出る白い息を見て気温の寒さを思い出した。
ぶるりと身を震わし、二の腕を摩る。
「それにしても今日は寒いわねー。こんな空だし雪でも降るんじゃない?」
空を見上げると重い灰色がかった雲が広がっている。雨雲とはどこか違う雲にさくらはまたため息をつきたくなった。
「こんな日に体育があるクラスは可哀想だねぇ…。僕たちのクラスはないけど、日が出てないから教室はどこも寒そうだよね」
「そうね…」
ここで二人の会話が途切れる。
二人の間に沈黙が続くが、そこに重々しい気まずさはなかった。
人生の中で梓のようなタイプに出会える確率は限りなく少ないとさくらは考えている。
(和泉君って、一緒にいて気が楽なのよね…)
これはさくらの偽りのない本心だ。
さくらは幼い頃に親を失い、本音で話せる人などさくらにはあの人ぐらいしかいなかった。
だから限りなく本音で話せる梓との関係は大事にしていきたいとさくらは思っていた。
ただ一般人である以上、梓には絶対に話せないことがさくらにはあった。
自分が梓を信用してないわけではない。
むしろ梓はさくらが信用できる数少ない人物だ。
それでも、さくらと梓には決定的に違うものがあった。
それは__、
「暁___?」
ハッ…!と、梓の呼ぶ声でさくらは現実に戻される。
「あ…あぁ、ごめんなさい…。少し考えごとをしてたの」
それを聞いて梓は眉を寄せ心配そうな顔でさくらを見る。
「…暁。最近なにか困ったことでもあったの?僕でよかったら相談にのるよ?」
さくらは首を横に振る。
「別に、大したことじゃないの。それより早く行きましょう?時間が勿体無いわ」
梓はあまり納得がいかないようだが、さくらはそれに気づかないふりをして、心の中で「ごめんね」と梓につぶやいた。
♦︎
「じゃあ、僕職員室に用事があるから」
「ええ、じゃあまた」
さくらは梓と職員室前で別れると階段で副担任の本堂寺 瑚灯と鉢合わせる。
「おっ! 暁はんやんけ。おはようさん」
「本堂寺先生。おはようございます」
「今日はずいぶん早いんやね。毎度はようちびっとゆっくりではおまへん?」
「ええ、まぁ…。今日は家を出るのが早かったものですから」
「そうやったん。…ほな暁さん。また後ん古典ん授業でね」
「はい。それでは失礼します」
それ以上用はないので、さくらは毎度ながら作られた笑みで、礼儀正しくぺこりと頭を下げるとこの場を去ろうと瑚灯の横を横切ろうとする。
「うん。あ、ちょい、ちょい暁さんちょい待って」
が、突然呼び止められさくらの顔が少しこわばる。
「え、あ、はい。なんでしょうか?」
さくらはどうもこの人が苦手だった。
この、なぜか胡散臭い笑みとか、心の内を見られてしまうようなつり上がった目。
悪い人ではないがたまに、「この人には自分の本性が知れてるのでは?」と思うときがある。
(人の好き嫌いなんて理屈でどうこうできるものではないけど…)
とにかくさくらは瑚灯のことが苦手だった。
瑚灯は目を糸のように細め、口元に弧を描くと、開かれた口から流暢な京都弁がさくらの耳に早口な口調で流れるように聞こえてくる。
「三階ん会議室にせーと会長がおるんせやかて、こん書類わしさいぜん届け忘れてしもてね。かわりに届けて欲しいんや」
「……」
(…は?)
思わず心の中で突っ込む。
「…ええっと、あの、本堂寺先生…。もう少しわかりやすくお願いします」
彼の放った呪文のような言葉にさくらは顔がひきつるのを感じる。
彼の出身が京都なのはさくらも聞いたことがある。
そのせいか彼のしゃべる京都弁はときどき何を言っているのかわからなくなるときがあり、返すときにさくらはどう返していいか戸惑うときが多々あった。
今まさにその状態であるのだが…。
「ああ。かんにん、かんにん。えぇーとな、三階の会議室に生徒会長がおるから、この書類を届けて欲しいんや。…頼まれてくれへん?」
最初からこの反応を待っていたのか、目の前の彼の表情はにやにやと面白そうにこちらを見ている。
(和泉君をいじるのは好きだけど、人にいじられるのは苦手だわ、やっぱり。)
顔に出さないよう、一旦心を落ちつかせ彼に負けじと少し皮肉をこめた笑顔で対応する。
「そういうことでしたら。わかりました。この書類を生徒会長に届ければいいのですね」
「おん。ほな暁はん。頼むわ」
「はい。おまかせください」
渡された書類を受け取り、今度こそ瑚灯と別れる。
「やっぱり、あの人の相手は疲れるわ_」