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帰郷  作者: xxx
第一章 誰にだって上手くいかない時って、あるよね。
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六 暗黒の四年間

「狭いけど入ってよ。なんにもないけど」

陽人は突然の来客にも物怖じせず、篤信を部屋に勧める。悠里はドンを家の前の柵に繋ぐと、篤信の背中を押した。篤信は二人に言われるがまま、小さな家の玄関をくぐった。

 公園の横にある小さな文化住宅。二階の一室が現在の彼らの家だ。食卓のある居間の奥に部屋が二つ。家族で住むにはかなり手狭だ。東京にある篤信の下宿を少し大きくした程度で、彼らが以前に住んでいた家と比べて半分にも満たない大きさだった。

 しかし、目の前にいる二人は間違いなく高校生になった陽人と小学生の悠里だ、それは変わらない。ただ篤信の知っていたそれとのギャップがあまりに大きいので訳が分からず事態を理解するのに頭を回転させるもその落とし所が見つからない。

 悠里はテーブルの上を一応に片付けながら、篤信に席を勧めた。まだ動揺している様子の篤信を見て、陽人の方から話題を切り出した。

「ビックリしたでしょ?」篤信の様子を窺う「別に気ぃ使わなくて、いいよ」

「確かにビックリだ」陽人の言葉で幾分か緊張が解ける。「見ないうちにしっかりやってきたんだね。母さんも言ってたよ」篤信は二人が頑張っていることを伝える。

「ママ先生が?」

「私は先週会ったよ。ドンと散歩行った時」

 篤信のいない間も西守医院とは繋がりがある。陽人は小学生の間「ママ先生」と呼ばれる篤信の母からほぼ毎日ピアノを習うことで音楽の基本を教わったし、悠里は今もたまに西守医院を訪ねてはママ先生から料理を教えてもらったり、ドンの散歩に行ったりしている。今でも「陽ちゃん、悠ちゃん、ママ先生」の呼び名で通っている。

「まぁ、急いでないならゆっくりしてってよ」

陽人はそう言いながら奥の部屋に入って行く、

「何か熱いものでも入れるね」

悠里がテーブルの後にある台所で湯を沸かし始めた。日頃の作業なのか、慣れた動きで無駄が少ない。

 陽人が制服から普段着に着替えて部屋に戻って来た。度の強そうな眼鏡を掛けているのが少し滑稽に見えるが、小さい頃の陽人に少し近づいた。篤信の知る陽人は妹の悠里以上に近眼のイメージがあった。

「コンタクトは目が痛くなるんだ」

陽人は篤信の視線に気づいてそう言う。篤信が見ているのは、普段の陽人だ。二人とも飾らない、普段の姿を見せるということは、それだけ近い人物として迎えてくれているのだろうと篤信は思った。

「陽人君も一高なんやね」

さっきの制服を見て篤信が言う。

「そだよ。懐かしいですか?先輩」

「うん、懐かしいな、後輩」

「僕はやっと入れたクチだけど、篤兄の伝説は学校では有名な話なんだよ、先生も言うてる」

陽人は、篤信が高校時代からかなりの優等生だったことを説明する。

「いやぁ、それは大袈裟な。恥ずかしいよ」

 確かに篤信が優秀だったのは校内でも有名な話である。それを言う陽人も中学受験に挑戦したような少年であるから、篤信は素養については大きく変わらないと思っている。ただ、今の自分と較べると少し恥ずかしいのが本音だ。陽人たちにはそんなことも知らずに笑っている。

 悠里が入れた緑茶がテーブルの上に出される。悠里も陽人の横に座った。

「二人並んだら似てるよね」

篤信はニコリと笑う。髪の色、肌の色、二人揃って近眼なのが兄妹であることを証明しているように見える。

「姉ちゃんとは連絡取り合ってなかったの?」

陽人は姉のことを話題に出す。というのも二人の関係をよく知っているからだ。姉と篤信は年も近く、物心ついた頃から一緒にいたので、篤信が東京にいる時も連絡を取り合っているものと思っていた。

「それがね、取れてないんだ、最近」

篤信の表情が曇る。

「そうだったんだ。んでどれくらい」

「夏前くらいからかなぁ、それから一回こっちから電話したんだけど『現在使われておりません』ってもんだから、どうしたんだろうって……」

陽人と悠里はお互いに顔を見合わせた。二人とも篤信の言う頃前後の記憶を辿って互いに頷く。

「音信不通になったのは、意図的な事ではないと思うよ、ホントのところ」

陽人は続ける。「僕らがこうなってしまったことをなかなか言い出せなかったんじゃないかな」

「こうなってしまった?」

「西守先生とママ先生からは聞いてなかったの?」

陽人は今までの話の流れからして、現状を知っていると思ったがそうではないことがわかった。篤信の目に嘘はない。

「大体分かると思うけど、別に隠すことなんて、無いよ――」


 陽人は篤信の目をじっと見つめた。

「篤兄が東京へ行ってから今までの間にいろいろあったんだ。だって、5年半だよ、5年半」

 陽人はインタビューに答えるように淡々と説明を始めた。「姉ちゃんとの間では『暗黒の四年間』って言ってんやけどね――」

 篤信の上京後、陽人は六年生、悠里は一年生。一年ちょっとは家庭も円満で、篤信の知る倉泉家だった。そして、それからである。父がアメリカに拠点を移すこととなり、それから日本に帰ってくる機会がめっきりと減ってしまった。以後陽人の言う暗黒の四年間が始まる。

 父は半ば別居、母は仕事に重点を置くばかりで家庭は放ったらかし、残された子供たちはどうなるか?想像に難くないでしょう?と陽人は篤信の目を再び見る。

「僕の知らない間にそんなことがあったなんて――」篤信の顔にショックが見える。それを見た上で陽人は続ける。

 陽人は多感な中学生の頃だ。受験に失敗したストレスもあり、この頃は両親はおろか、今横に座っている悠里には辛く当たり、口を聞いた記憶がないくらいだという。強いて言えば年の離れた姉がかろうじて陽人の暴走を繋ぎ止めていたくらいか。しかし、相手をしてくれる人もいなかったことから、無気力な奴になってしまったかな、と陽人は冗談混じりに言う。

「その『四年間』の後は?」

「あまりいいことじゃないけど」今度は悠里がが口を開いた。「今年の夏にね、お父さんとお母さん、離婚したの」

 言いにくそうに、でもしっかりと言う。陽人の言う『暗黒の四年間』はここで終わる。それから父はアメリカへ、残された家族四人は家を引き払い、近くのボロ文化に引っ越し、現在に至っているのだという。

「そうか、確かにいろいろあったんだね……」篤信はさらっと近況を報告する兄妹に驚きの色を隠せない。篤信にしてみれば人生を変えるような出来事を経験してるのに、ケロっとしているように見えるのだ、篤信には。

「私はね、離婚することは良いこととは絶対に思わない、でも――」悠里は少し俯いて、テーブルの上を見る。

「離婚があったからきょうだいの距離は近くなった。もしあのままやったら、こうしてお兄ちゃんとも話してないと思う。」

悠里が言うには、離婚を機にきょうだいはお互いに協力するようになり、横にいる兄とも接する機会も増えたという。

「悠里とは部屋も同じだし、ケンカもしてらんないでしょ?」

陽人は悠里について話を続ける。

 どう考えたって悠里が一番可哀想だったと思う、あの「暗黒の四年間」みんな好き放題ほったらかしだった。悠里は当時まだ二年生だった。頑張っても認めてくれる家族もおらず、それでも彼女は毎日一生懸命だった。授業参観だって、運動会だって両親が見に来た記憶がない。思春期だったとはいえ、今まで辛く当たるか相手にもしなかった妹に対して罪悪感のような何かが陽人の心に残っていることを篤信に語る。

「みんな、今まで辛かったろう」

 篤信は二人の顔を見ようとした。二人の顔は対照的で、全く表情を変えない兄と奥歯を噛みしめ目を大きく見開いて一点を見つめる妹と。

「―ところでさ、答えにくい質問なんやけど」

篤信は陽人の方を向いた。陽人はそれだけで篤信の真意がわかったようで、

「原因でしょ?」一度深く息を吐いたあと、悠里と一度目を合わせて話を続けた。

「僕たちにはどうでもいいことだし、それについては考えないコトを僕らきょうだいで決めたんだ」

「どうでもいいことって――」

「僕たちにはどうすることもできない出来事だった、だから考えても変わらないことでしょ?」

陽人は大きく息を吐いた。そしてしっかりとした口調で、「だったらこれからを良い風に考えたら言いと思う。」と言った。

「お父さんとお母さんのせいにしても何にもならないよ」

悠里も人を責める事は無益であることを言いたいようだ。

 篤信が最後に見た陽人と悠里はまだ小さい子どもだった。悠里は小学校に上がる前だったし、陽人は今の悠里を男の子にしたような、きょうだい構成も重なり、女子的な一面がある近眼のピアノ少年だったが、今は二人ともしっかりとした眼光をしている。辛い経験が二人の芯を強くしたことはよくわかる。

「お姉ちゃんは、篤信兄ちゃんに心配させたくなかった……」悠里が呟く。

「もしくは言えるだけの整理が出来てなかったんじゃないかな。」陽人が付け加えると篤信は無言でゆっくりと頷いた。篤信が帰郷を決めた理由の一つが解決する感触を得た。今まで重い表情をしていた篤信は徐々に元気を取り戻していた。

「そういや、お姉ちゃん……いや、朱音ちゃんは?」

篤信は陽人たちの姉の所在を恥ずかしながら聞く。

「元町で翻訳の仕事してるよ」

「もうすぐ帰って来ると思うんだけど――」悠里はチラッと壁の時計を見た。辺りは暗くなり始めていた。しばらくすると玄関前に繋いでいるドンの吠える声が聞こえた。


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