五 再会
篤信は柴犬のドンを連れて、およそ5年半振りの故郷の街を見て回る。行き先は特にない、ドンが適当に自分のルートを決めてくれる。
母校の高校、よく買い食いした駄菓子屋、お世話になった道場、友達の家、ドンは自分のルートをてくてく歩く今日はご機嫌なのか、元気がいい。
「よう見たら変わったところもいっぱいあるなぁ」
篤信は近所の街並みを見て思う。駅に着いた時よりも落ち着いてきたのか、街の変化に目が届いている。同級生のことを思い出した、普通に大学を卒業してたら同級生は社会人二年生だ。そんなに時は経っていたのか。そういや東京で県人会はしたけれど、神戸で同窓会に行っていない、そういや成人式もだ。篤信はわかっていながらも、五年半の長さを思わされた。
さらにドンは歩いて行き、一軒の家の方向へ向かう。その行き先はドンだけでなく、篤信もよく知っているのか
「ドン、そっちは止めとこうよ……」
と言いながらリードを引くが、ドンは決めた散歩道は変えたくないようだ。
「ほら、ちょっとぉ」
ドンが飼い主を曳き、一人と一匹は一軒の家の前に止まった。篤信がよく知っているしっかりした一軒家であるが、その佇まいは篤信の知るそれとは違っていた。
「え、そんな……」篤信が手にしたリードが自然に垂れた。誰も住んでいない、というよりそこは空き家になっているのだ。
ここは篤信が会いたい人が住んでいた家だ。大学を卒業するまで帰郷するつもりがなかったことから、ここで会ってしまうととても気まずい――、筈だったが篤信の眼前にあるのはどう見ても空き家だ。
ばったり出くわすことは回避されたが、今度はその消息が気になり出した。
「みんな、どこ行っちゃったんだ?」
篤信は足元で賢く待機しているドンを見る。
「なぁ、お前知っとうか?」
と聞き終わらないうちにドンは一声吠えて、我が道を走り出した。
「おいおい、どこ行くんだよ……」篤信はドンになすがままだ。
篤信はドンに連れられ、坂を下り始めた。篤信の視線には下校で戯れる小学生と、その先には神戸港が見える。
我が道を駆けるドンの行く手を数人のランドセルが阻む、ドンが子供たちに吠え始めると、篤信は慌ててドンが吠えるのを止めようとした。
「こら、何で吠えるんだよ!」篤信はリードを巻いてドンの顎をさする。
「あ、ゴメンね。ビックリしたろ」
いきなり吠えられた子供たちに謝るが、子供たちは何も無かったようにすぐ後ろを向いて冷たい視点を遠くに向ける。
「何だ?何かあるの?」
篤信も釣られて視点を子供たちに合わせる、その先には淋しそうに一人歩く同じ小学校の女の子が見えた。
「みんな、何しとう?」
不思議そうに篤信が尋ねる。
「あの子――」目で相手を差す。「嘘つきなんよ」
英語訛りのある日本語で答えた。外国人かな。
「嘘つき?それはいきなりだなぁ」
篤信の中では、知らない人をいきなり悪く言うという思考はない。それだけに悪意のありそうな言葉に引っ掛かるものがあった。
「何かしたの?あの子が」
ちょっと意地悪な聞き方をすと、さっきとは別の子が答えた。詳しくは聞かなかったが、その内容は「嘘つき」とは全く関係ない単なる誹謗中傷であることがわかり、篤信は「もういいよ」とそれ以上の返答は遠慮した。
「それで君らはあの子のアラを探すのに後付けてんの?」篤信から溜め息がこぼれた。
「何があったかは知らないけど、よってたかってコソコソするのはフェアじゃないな。言いたいことがあれば面と向かって言えばいいじゃないか」
篤信が睨みを効かすと、子供たちはバツが悪そうな顔をして反対方向へ行ってしまった。
「やれやれ……」
篤信は子供たちを追っ払うと、ドンがまた一声吠え、主人に散歩の続きを催促する。
「お前はマイペースだなぁ」
再び歩き始めたドンは嬉しそうだ。
さっきの小学生を散らしたドンは、今度はさっきまで前を歩いていた女の子の方を追い掛け、一目散に走り出した。
「おいおい――」篤信はドンを止めようとするが、リードは目一杯延びてゆく――。ドンは女の子に追い付き足元に顔を擦り付けると、その子はドンに気付いて歩いていた足を止め、後ろを振り向いた。
「あら、誰かなって、ドンじゃない」
女の子は一目で自分に寄ってきた犬がドンであると言った。どうやら知っているようだ。暗い表情が優しくなったのが見てわかる。
「どしたの、散歩?」しゃがみこんでドンをあやす。篤信より慣れているようで、さっき以上に元気よく尻尾を振り振りしている。
篤信はリードを戻しながら駆け寄った。女の子も散歩の主の気配を感じ、そのまま上を向いた。いつもと違う青年がドンを連れているので、戸惑った表情で篤信の顔を覗き込むように見ている。わからないのか視点はあっていない。
「あの――、どなた、ですか?」
篤信は怪訝そうに尋ねる視線を感じながら、自分の記憶を辿る。濃いめの茶色い髪、白い肌、よく見ればわかる欧米系の雰囲気……。篤信の持つ記憶と目の前の少女の人物像が一致した。
「もしかして、悠、里ちゃん?」
「えっ?」少女は名前を呼ばれ驚く。
「久しぶり、というよりも覚えてないかな、僕のことを」篤信は照れ臭そうに笑う。悠里も悠里で自分の記憶を辿りながら立ち上がり、手にしていた眼鏡をかけ直して篤信の顔を間近に見る。記憶と人物が一致したのか、悠里の視点が定まると、難しい顔が笑顔に変わった。
「篤信兄ちゃん!」
「大きくなったね」
篤信は硬い笑顔で頷くと、悠里は篤信に飛び付いた。
篤信と悠里は、お互いの親のきょうだいが夫婦関係にあり、血縁関係はないが、親戚同様の付き合いがある。さらに二人は誕生日が同じで、年もちょうど一回り違いなので干支も同じだ。最後に会ったのは五年前の春だから、悠里が小学校に上がる直前である。しかし、悠里は篤信のことをちゃんと覚えており、そして篤信の帰郷を喜んだ。一方の篤信は恐縮に思った。
「篤信兄ちゃんはいつ帰ってきたの?」
リードを手にする悠里が質問する。
「今日だよ。悠里ちゃんはドンも覚えてるんだ」
ドンは悠里にえらくなついている。
「たまにね、西守先生の所行った時に散歩連れてってあげてるの」
悠里は屈託のない笑顔を見せる。さっきまでの暗い表情が嘘のように。
二人はそのまま歩き続ける。篤信は悠里が下校中であることは分かったが、記憶とは違う道を歩いていることに気付いた。
「学校ってこっちの方やった?」
悠里の表情が一瞬固まる
「最近ね、引っ越して転校したから――」
「そうやったんか、前の家見たら空き家になっててさ、ビックリしたよ」
篤信は一つ安心した。悠里とその家族には帰郷したら会いたかった人の一人だ。篤信の知る家は空き家になっていて、連絡も取れなかったからとても心配していた、とういより不安であった。目の前にいる小さな悠里を見てその不安は解けつつあった。
しかし、悠里の言い方と出会う前に会った彼女のクラスメートが少し気になるところであるが。
「それで今はどこに?」
「もう見えてるよ、そこに――」
二人は公園に差し掛かったところで足を止め、視線を公園の先に向けた。
「あ、お兄ちゃん」
悠里は公園の横にある文化住宅の二階通路にいる制服姿の兄を見て、指を差して篤信に紹介する。悠里より先に帰宅したのか、家の前で退屈そうに手すりに肘を掛けて頬杖をついている。
「あ、いけない。」
悠里は思わず声を出した。するとその声を聞いて、妹が帰ってきたことに気付き、遠くの目線が公園の方にいる悠里に向いた。
「あ、悠里」
帰宅してきた妹を見つけ、階段をかけ降りてきた。
「待ってたよ。家の鍵持っていってない?中入れないよ。」
「ゴメン、鍵置いてくの忘れちゃったぁ」
悠里は慌てながらポケットから鍵を出して兄に手渡した。
篤信は兄妹のやり取りを見て戸惑った。二人が住んでた元の家とのギャップ、兄の見た目等々、全体的に篤信の想像の範疇を脱していたからだ。
「頼むで、ホントに……。あれ、どなた?」
悠里の横に立っている、長身の人物に自然と目が移る。
「陽人君、陽人君だよね?」
その声を聞いてすぐに誰か分かった。
「えっ、篤兄?」陽人は横にいる悠里が頷いているのが目に入ると、自然に顔が綻んで以前の面影が見えた。
「久し振りやん。いつ帰ってきたの?」
篤信は自分よりも小さな兄妹に帰郷を歓迎された。二人はその経緯を知らないが、素直に喜んでくれたことに篤信は次第に顔が穏やかになっていった。