四 独りの通学路
昼下がりの放課後、学校から子供たちが次々と出てきては、ワイワイ言いながら家路に向かう、「今日は何して遊ぼうか」「塾へ行かなくちゃ」「公園でサッカーしようぜ」子供は寒いのも平気なようで、ほとんどみんな元気だ。
そんな子供たちが騒ぐ通学路、六年生の悠里は一人で家路に向かっていた。周りの子供たちとはあまりに対照的で、少し茶色がかった長い髪、他の子供たちに較べてわかる白い肌、眼鏡の奥に見える茶色の瞳……、その容姿も重なって、いくつかのグループになっている他の子供たちより、目立たないようにして一人歩く悠里の姿が目立って見える。
「はぁ――」悠里は溜め息をつく。表情は明るくない。
悠里はアメリカ人の祖母を持つクォーターだ。
とはいえ日本生まれの日本育ちで、祖母の住むアメリカにだって小さい頃に行ったことがある程度で、住んでいた訳でもなく、もうひとつの母国と言われても全くピンとこないし、悠里にとっては母国でもない。さらに両親の離婚によりその「母国」も遠い遠い所になってしまった。
一目で分かるほど見た目が他の子供たちと違う訳ではないが、よく見るとやっぱりわかる、こればかりは変えようがない。それがどうにもならないことは悠里はよく知っているのだが、自分自身について質問される度にそのどうにもならないことを思い出すことを余儀なくされる。
言葉の問題もある、悠里は英語が苦手だ。きょうだいの中で悠里だけが満足に英語が話せない。家で日本語と英語がごちゃ混ぜになった会話を聞くこともしばしばあるののだが、悠里には理解ができない。一番上のきょうだいとは自分の倍の年齢であるほど年が離れているためか、お互いに同列にいるとは思っておらず、それ故そんな時はいつも疎外感を感じている。更に、離婚して離れ離れになった日本語が苦手な父親とも満足にコミュニケーションが取れなかったこともあり、その事がコンプレックスで、悠里は英語には強い苦手意識を持っている。
悠里は家に向かって坂道を真っ直ぐ下りる。目の前には摩耶埠頭が見える。時折悠里はチラッと後ろを振り向くフリをして、そしてまたすぐに向き直る。
「何でこうなったんだろ――」もう一度溜め息。
「また今日もだ」
両親の離婚で近くではあるが引っ越しをしたので、秋から隣の学校に転校することとなった。環境の違う今の学校にもう一つ馴染めていない。小学校もあと半年、人間関係がある程度出来上がった状況で転校生が馴染むことは誰でも大変な事だ、初めての転校を経験することになってしまった悠里にとっては尚更である。悠里も今の状況が本意ではない。歩きながら打開策を考える。いつしか彼女の下校の日課になってきた。
転校初日、九月。黒板に書かれた悠里の名前。
先生に促されて挨拶をする。
「倉泉悠里です」ペコリと頭を下げる。「よろしく、お願いします――」
自己紹介を求められる。しかし、自分の事、転校の経緯、できれば言いたくない事が多いのに、クラスメートからは悠里自身が気にしていることを率直に質問をする。子供は興味があるほど純粋で、時には残酷だ。
悠里は正直に答えたが、クラスメートたちにとってとりわけ興味を惹く話題もなく、期待外れの表情をするのが教壇から見えた。誰も口には出さないが、悠里はその雰囲気で悟った。その第一印象で元々引っ込み思案な方であった悠里はさらに内気な子になってしまった。
それでも悠里には友達ができた。サラというヒスパニック系アメリカ人と日本人とのハーフで、髪と肌の色はクラスの子と比べても遜色ないが雰囲気で外国人とわかる感じの女の子だ。
彼女は日本語が時折英語訛りになる時があるが、そんなサラを見て悠里は羨ましく思っていると同時に、彼女の存在によって自分がクォーターであることについては誰も違和感を持たず、苦手な英語について質問をされることもないので、彼女には感謝のような感情があった。
そんな二人の関係は悠里の無意識な言葉からすれ違い始めた。
「私ね見た目こんなだけど、英語は苦手なの」
「そうなの……」
英語に関しては、家の中で負い目を感じている。だから、外では必要でない限り触れたくない話題だった。サラは少しガッカリしたのを悠里は覚えている。
それでも当初は似た境遇の身であることからか優しく接してくれていたのだが、悠里が他のクラスメートと変わらない身であることが分かるに連れ、悠里への興味が薄れて行き、次第にクラスの一人に変わって行った。
それからある日のこと、そのサラに授業中に
「嘘つき」
と言われてしまったのだ。強い調子の英語だった。クラスメートはキョトンとしていた。多分それが分かったのは悠里だけだろう。原因はわからない、全くわからない。悠里が転校してからのどんな記憶を辿ってもわからない。
それからの悠里は嘘つきのレッテルを貼られ、よってたかって無視をされ、陰口を叩かれる……。学校での悠里の待遇がどんどん良くない方向に変わってしまった。悠里はその理由を聞こうと思ったが、そう思ったときには彼女の周囲に仲間がおらず、もはやそんな雰囲気ではなかった。
悠里はそれでも我慢していたのだが、彼女の身上、両親の離婚、狭く小さな家にすんでいること、年の離れたきょうだいがいること、自分の事と違う事まで揶揄されるようになったのにはさすがに耐えきれない。家族に相談したら家族を困らせてしまう。最近では毎日、下校の時間に後をつけられ聞こえるか聞こえないかの声で悠里を揶揄する。
今日も後ろから人影を感じる。何やら言ってるのが聞こえるけど、聞きたくない。
「あいつの家ってな……」
「そうそう――」
聞いてないふりをするのが精一杯の抵抗。やっぱり聞こえてくる。でも振り返ったら思う壺だから、悠里は決して後ろを振り向かない、振り返ったら泣いてしまう……。
「どうしたらいいの――」
悠里は視線を上にした、眼鏡を外して両手に持つ、眼を大きく見開く、立ち止まる。後ろをつける者の足も止まる。
途切れかけた気持ちをリセット。
「いや、何か方法は、あるよ。絶対に――」
悠里は気持ちを切り替え再び考え出した。それでも悠里はサラを責めたりはしなかった。最初は仲良くできていたのだ、だからこうなってしまったのには原因がある。原因がある以上解決する方法はある。
人を責めても何も解決はしない――。
悠里が11年余りの半生で見てきた彼女なりの考え。本人には持論と言う認識はない。子を放置して身勝手に離婚をした両親だって責めたり恨んだりしたことは一度もない。人を責め立てて解決した問題などないことを家の中で嫌と言うほど見てきたからだ。ただ、相手を説得できるほど今の悠里は口が上手でない。そんな時はいつも気持ちを切り替えて何とか自分を保って来た。悠里本人が望んだ訳ではないが、辛い経験を力に変えることを無意識に覚えた。それは同じ経験をした者しかわからない。
悠里は前を向き直って再び歩き始めた。後ろから聞こえる話し声は聞こえなくなった――。