作戦会議の行く末
サフラムの王都イシリスから南に150kmほど進むと、のんびりとした片田舎の街がある。
名をプランツといい、七年前にエルクが貴族になったとき、その所領と定められた。
ちょうどその頃、先代の領主は新しい領地を与えられ、プランツ領主の座が空白になっていた。
そこで戦功をあげたエルクを貴族に取り立てて、その座につけたということだ。
エルクは今までとは違う庶民重視の施政を行ったために、最初こそ商人達から不満を買ったが、今では周りから商人が集まってくる。
なぜなら、街がが賑やかになったことに皆が気づいたからである。
プランツは田舎でありながらも宝石が多く採掘される。さらに風光明美なところが人気で、商人や観光客がよく訪れる。
そこに目をつけたのがエルクだった。
プランツで、観光客が宝石を買えば割引をする制度を定め、地形を活かした宿を整備したことで、観光客が以前より多く訪れるようになった。
来る人が落としていくお金は、プランツの活性化につながり、街全体の雰囲気が良くなった。
このような革新的な領地経営が、サフラム王国内で少しずつ評判になりつつある今日この頃である。
しかし、この日のプランツの屋敷の様子はいつも違うようだった。
「……っ…。なんてこった……。カルロス、カルロスだと……。一応この国の将軍である騎士のくせしやがって!! くそっ…くそっ!」
予想外の事態を受けて、何度も何度も悪態をついて机を叩くエルクを咎める者はいない。
普段なら副官のエミ・カグヤが叱責を浴びせることもあるが、今は彼女も暗い表情のまま俯いていることしかできなかった。
今、エルクはプランツにあるエルク邸の執務室にて、副官カグヤから間諜の報告を受けた所である。
エルクは今までの情報から、フラシールの内通者がサフラム軍に潜んでいることを突き止め、その目星を数人にまで絞っていた。
当然その中には他の騎士団長や大貴族である侯爵らの名前もある。
そのため、誰が内通者であったとしても衝撃は小さくはない。
同僚か上司に裏切られるのはトラウマになるくらい辛いものであるからだ。
そして、結果として分かったのが、この国の騎士のトップに君臨するカルロスの裏切り。
情報を持ってきた間諜によると、カルロスが主体となって、貴族の引き抜きも始めているというのだ。
もとよりカルロスを信用していなかったエルクではあったが、それでも驚きは隠せなかった。
この国において騎士のトップということはすなわち王を除けば軍の最高指導者であるということだ。
そして、軍の上層部が寝返ってしまえばいくら強力な騎士団といえども無力になってしまう。騎士達は上の判断に従うものであるからだ。
こうなればもはや戦わずして負けが決まったようなものだ。
「カグヤ……。これどう対応したらいいと思う?」
「その……。あの、なんていうか……。私如きが意見してもいいんですか?」
「いいに決まってるだろ。お前は俺の副官だろ」
いつものようにカグヤは謙遜するが、エルクはそれより少し面倒くさそうな対応をしてしまう。
普段ならありえないことだが、今は不可抗力である。
「あ、はい。それではいくつか言わせていただきます……。まずカミラ陛下に報告するという案。次にカルロス将軍を説得する案。後は……そうですね、何も言わずに将軍を倒すぐらいですかね……。すみません…馬鹿で……」
「いや、それだけ考えてあれば大丈夫なんじゃないか?……まぁいい……。だいたい俺と同じ考えだ。特に最後の一案がある所とかな……」
「あ、ありがとうございます。それで団長はどうお考えなのですか?」
その簡単な問いに、エルクは準備していたようにすぐに答える。
実際、カグヤに意見を聞きながら自分でも頭の中を整理していたのだが。
「俺の考えではな、今カルロスを倒したとしたら、この戦はどっちみち負ける気がするんだよ。国内の勢力がバラバラになったら勝てる戦も勝てなくなる」
「そうですね。それで?」
「戦争が始まってからカルロスをじっくり監視する。普段あいつは自分の能力を過信してるよな。だから必ず寝返るタイミングを自分で決めるはずだ。狙うのはその時。絶妙な瞬間にカルロスを討ち取り、残りの兵を掌握する……。これでどうだ?」
自論を語り、いかにも自信満々といった感じでドヤ顏をするエルクに、予想もしないところから鉄拳が飛んだ。
ゴッという鈍い音ともにエルクが軽くよろけると、さらに追撃として平手が入る。
今度はパァンという小気味いい音と共に、もみじのような跡が残った。
なかなかに強力な不意打ちである。
その不意打ちの主は、エルクの方を睨みつけながら勢いよく怒声を浴びせ始めた。
「エルクは馬鹿なの! 何でわざわざ危ない橋渡ろうとしてるのよ! いつもエルクの無茶に付き合ってきたけど……。いつもうまくいくとは限らないわ。今回ばかりは安全策でいくべきだとは思わないの!?」
「ぐ……。お前いつ来たんだ? 誰が呼んだんだよ……。」
「私ですが何か問題でも?」
「カグヤ……お前なのか……」
副官の無駄な気遣いに思わずため息が漏れる。
カグヤは、普段から、ある程度自由に行動させているためか、たまにこのようなことがある。
そろそろ過剰な気遣いは逆効果だと学んでほしい。
エルクは真剣にそう思うのだった。
「何か問題でもある? 確かに事前に何も言っていなかったけど、私とあなたの仲でしょ? それぐらいいいじゃない」
「ミーシャ……。別に来るのは構わないが、人の部屋に入る時ぐらいノックしろよ……」
さっきから一方的に絡んでくる少女、ミーシャ・エルネストは勝気なお嬢様風の貴族少女だ。
美しさとその態度のデカさはなかなかのもので、昔からよくエルクに絡んでくる。
小さい時はまだ可愛げがあったものの、今はもう年頃の娘であり、エルクもどう対処してよいか悩んでいた。
貴族であるため、無下に扱うこともできなければ、好意的に捉えることもできない。
決して嫌っているわけではないが、少し苦手と思っていた。
また彼女は「強靭」の名を持つテロア・エルネストの妹でもあるために、軍事に関しては詳しいことでもよく知られていた。
勿論自分自身の興味も少なからずあるようだが。
「エルク。私はあなたがいつも無茶をするのを止めなかったわ。でもね、私がいつでもそれに納得していたわけじゃないことは分かっていたでしょ?」
「ああ」
「……っ! それなら今回こそは安全にことを進めたい私の気持ちも分かってほしいの」
「分かってるさ……。お前の気持ちは……」
「分かってない! エルクはさっぱり分かってないっ!……いつもそう。好き勝手して周りに心配かけて……」
「お、おい。ちょっと待て。いつ俺がお前に心配かけたんだ?」
「い、いつもよ! まさかだけど……自覚がないの?」
「ああ。別に無茶をしてるつもりはないし、これといって危険に飛び込んだつもりもない。やるべきことをやってるだけだ」
「そういう行動が心配かけてるって言ってるのよ! いい加減気付きなさいよ!」
この辺りでミーシャは感極まったのか、声を上げて泣き出してしまう。
カグヤは気まずそうに部屋にいるだけで助ける気は毛頭なさそうだった。エルクの放つ助けてくれという視線を絶妙に逸らしている。
「ぅ…ヒグッ………」
「ミーシャ! 泣くのをやめてくれ……。なあ、分かったから……。少し落ち着け」
「ぇ……ズルッ……スンッ……」
「とりあえず泣きやめ! じゃないと話にならん。ほら!」
もはや凄むようにして泣き止ませようとするが、それには意味がない。
むしろ逆効果だということをまだエルクは知らなかった。
エルクの言葉によってさらに泣き出したミーシャは部屋の空気をより混乱させていく。
まさに壮絶な状況といえる。
泣いているミーシャは普段の不満も混じってしまい、自力で泣き止むことはできない。
エルクはあやし方を知らない。
カグヤは周りを無視して瞑想し始めた。
エルクは、この場所にいるなら戦場の方がましだと思い始めてすらいた。
そんな部屋に入ろうとするお人好しはやはりこの人しかいないだろう。
ガチャ
「エル…ク…?何だこの部屋の状況……」
カグヤに呼ばれたルーナが救世主として登場したのだった。
カグヤがルーナを呼んでおいたことは、まさしくエルクを救うことになったのだった。