フラシールにて
ここは剣と魔法と力に支配される世界。
その名もテアル。
血なまぐさいこの世界では、いつの時代もどこかで必ず力を求めて争いが繰り広げられる。
時には、人間同士。
そして、時には人間と魔物、あるいは魔人。
いつも人間は争い続けるのだ。
そんな恐ろしい世界には、大陸と呼べるようなものは一つしか存在しない。
まるで神様がそこで争うことを狙ったように。
まるで用意された戦場のように。
ここ最近テアルでは、人間同士、国同士の激しい争いが起こっている。
テアルの覇権争いに一歩リードしている国としては、ザンカルス王国、リーグ神聖王国、そしてフラシール帝国があげられる。
軍事力と経済力に長けたこの三国は、今でこそ目立つ行動はしていないが、水面下では激しく動いている。
その一角であるフラシール帝国でも、そんな動きが活発化していた。
☆
月が辺りを照らす明るい夜のことである。
とある王城の豪奢な通路を、一人の怪しい男が足音一つ立てずに歩いていた。
誰にも見られず、声をかけられることもない。
静寂な空間の先を、ひたすら目指すのみである。
男の服装は、まるで暗闇紛れるのが目的であるかのように真っ黒で、体に密着する作りである。動きやすさを重視している。
その体は決して大きいわけではなく、むしろ細い。
細いといっても単に痩せているのではなく、極限まで無駄を省いただけのことである。
その証拠に、柔軟な筋肉が体の要所要所に張り付き、美しい影を作り出している。
年齢は二十代後半ぐらいに見える。
しかし、すでにその男の黒髪には灰色や白色が混じっており、日々の苦労が窺える。
そもそも、この世界では黒髪を染めずに生きる苦労は並ではない。
黒髪というだけで皆の嘲笑の対象となり、当たりが強くなるからだ。
その風習の起源は、もともとこの大陸の人々には金髪や茶髪が多く、黒髪は周辺の島々の人々によく現れることにある。
つまり、今大陸にいる黒髪の人間は昔島々から渡ってきた人たちの子孫であるということが多いのだ。
自分達の方がえらいと思っている大陸人たちは、昔から黒髪を馬鹿にすることで自分たちの心を満足させていた。
その名残で今もなお、黒髪の人々は不当な扱いを受けているのだ。
この男は瞳までも黒く、苦労はさらに大きいに違いない。
眉間に浮かぶ深い皺もそれを物語っていた。
顔には布を巻いておらず、闇夜によく映える白色が眩しく光を反射する。
傷や日焼けのない肌は無機質な物のようで、どこか人間味を感じさせない不気味さがある。
一言で男の格好を説明するなら、それは暗殺者。
正体の判らない、怪しく、不気味な存在。
男が放つ鋭く尖った雰囲気もそう感じさせる要因の一つであることは間違いない。
例えて言うなら、街をそのまま出歩いたら十歩も行かないうちに通報されそうなぐらいである。
結局、そんな怪しい男は、誰にも見つかることなく目的の部屋にたどり着いた。
コンコン
シンと寝静まった王城に微かなノック音が響く。
男がドアをノックする仕草は一種の芸術のように流麗で、男の身体能力の高さを測ることができる。
また、男は魔力で封をされた封筒を持っており、重要性を表していた。
「……入るがよい」
「………」
ガチャ
重厚な扉を開け、男がまず目にしたのは、月明かりに身を委ねる老人の後ろ姿。
不思議と、男の視線は、開いた窓から吹きこむ風が揺らす長めの髪に注がれた。
「魔剣についての報告」
「ふむ……。手に入れたのか?」
「報告を見ていないから分からない」
老人は視線を感じながら振り向き、その髪もつられてひらひらと舞う。
男は視線を向けたまま、強大な魔力に包まれた封筒を渡した。
そして、封筒がその手を離れた瞬間、任務を達成した満足感からか、顔が少し、ほんの少しだけ綻んだ。
そんなことは知らず、封筒を護る強い魔力に老人は一瞬顔をしかめた。
じっと封印を見つめた後、今度は一気に魔力を集中させる。
パァン
小気味良い音がなり、老人の魔力によって、封印はいとも簡単に弾けた。
本来封印を解くにはややこしい魔方陣を描かなくてはならないのだが、老人の実力は並ではない。
「ふう……。まったく……。やっかいなことをしおってからに」
「………」
老人が報告を読み始めると、再び二人の間に沈黙が流れる。
あまりにも真剣な表情で読んでいるため、話しかけることが無粋に思われたからだろうか。
その間、手持ち無沙汰な男は、なんとなく部屋を観察することにした。
老人の地位に対してあまりに小さく、飾り気のない部屋。
絵画や骨董品といった嗜好品は皆無で、あるのは本棚と机のみ。
普段は整然としているが、今は床や机の上まで書類が乱雑に放置されている。
それぞれの書類には、男の理解出来ない言葉でなぐり書きがしてあった。
まるで研究者の部屋のようだと男が思った時、老人は報告を読み終え、書類に、”フラシール帝国宰相グロム”とサインをした。
「………」
「……また駄目だった。まだ手掛かりすら掴めていないそうだ」
老人は、そう言って肩を落とす。
そして、今まで幾度となく繰り返されたこのやり取りには深い失望を感じていた。
今までと何も変わらない。
しかし、それはどうしようもないことではある。
老人が ’’あの"剣について調べ始めて早五年も経つのだ。
大陸中を部下に調べさせ、手掛かりを集めようとしているのに成果はさっぱり上がっていない。
それに対し、危険な遺跡に部下を送り込んだりしているために被害も少なくはない。
もちろん自分自身も部下任せではなく、書物を研究し、実際に遺跡に赴いて調査はしている。
それでも見つからないのだから失望するのも当然なのだ。
老人は報告書に火を付け、再び背を向ける。
窓から火の付いた紙きれを落とし、その姿をじっと見つめる。
男は、そんな老人の姿を見て、つい声をかけたくなった。
普段ならありえない、唐突な衝動だった。
「……まだ調べるところはある。書物も残っている……」
「分かっておる。こんなところで諦めるわけにはいかない。なんとしても我が王のために手に入れなければ……」
(出来るだけ急がなければ…。陛下の命も無限ではない)
「これからも最大限努力してほしい。頼んだぞ」
「………」
自分の言いたいことを言って少し気分が晴れたのか、男は若干柔らかな表情で頷き、一礼する。
そして、優雅な姿勢から体を起こし、音も立てずに部屋を出て行った。
再び一人になったグロムはそんな若者の姿に、失望を忘れて少しだけ楽しそうに笑う。
その目は、宝物を見つけた子供のようにキラキラと輝いていた。
すでに、先程までの暗い気持ちにも一筋の光明が見えてきたようにすら思えていた。
「なんとしても"あの"魔剣を陛下の手に……」
老人は、先程言ったことを反芻し、さらに決意を固める。
打ちひしがれている暇など無い。ただひたすらに探すだけなのだ、と。
見つからないことなど考えない。
それでいい。
部下と自分を信じるのだ。
そう思うと、少しだけ心が軽くなった。
老人は、今なら何でもできそうな気がしていた。