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鬼神の番〜払いの力を失った贄嫁は、唯一の番として溺愛される〜  作者: 高八木レイナ


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四話 元婚約者と従姉妹の転落

 周囲の態度は、露骨に変わった。

 結婚式当日、英雄のように称えられていたはずの香織は、いまや誰からも目を逸らされる存在になっていた。

 

「……おはようございます」

 

 廊下ですれ違った鬼に声をかけても、返事はない。

 あるいは、わざと聞こえないふりをされる。

 

(どうして、こんなことに……)

 

 自分は、あんなに華やかに払いを行い、恒一の暴走を止めた。そして夜刀谷家当主の花嫁に選ばれたのだ。本来ならば、もっと歓迎されるべきではないのか。

 だが、夜刀谷家で妙な噂が広まっていた。

 

「本当に、あの人間が払ったのか?」

 

「恒一様の鬼化を防いだときの術は見事だったが……それ以後の払いの符の質が低いようだ。術式にも間違いが多い」

 

「香織様が輿入れしてから、恒一様の鬼の気が乱れている。このままでは、また暴走するのでは……」

 

「そもそも、あの場で最初に鬼神化を防いだのは……」

 

 囁き声が、耳に刺さる。

 彼らは、何かに気づき始めていた。

 香織が本当は《払いの力》なんて、ほとんど持っていないことを。

 これまでは一族の中でも大きな力を持つ澪に払いの符を作らせ、香織の功績にしてきた。

 澪を馬鹿にして己を卑下させるように仕向け、彼女の払いの力はわずかだと誤認させた。

 これまでは澪を小間使いのように使ってうまくやってきたのに、いまでは自分で符を作るしかなくなり、そのせいで間違えることが増え、払いも失敗を繰り返していた。

 

(こんなはずじゃなかったのに……)

 

 器量の良い香織を、誰もが愛してくれた。

 澪の両親にも愛想良く接し、そのかいあって血の繋がりのある澪よりも可愛がってくれたと思う。

 夜刀谷家でも、うまくやれると思っていたのに――。

 予想とは違い、まるで腫れ物のような扱いをされている。 

 しかも頼りになるはずの夫である恒一は、澪が屋敷を去ってからはずっと上の空なのだ。

 香織が甘えてくっついても、「ああ……」と気のない返事をされる。

 彼が澪のことを考えているのことは明らかで、香織は面白くなかった。

 

(澪のせいで、恒一様は罪悪感を感じていらっしゃるのだわ……優しいかただから……)

 

 しかも澪は公の場で、暁刃の番だと宣言されたのだ。

 澪を下に置いて虚栄心を満たしていた香織にとって、これは大変屈辱的な出来事だった。

 

(なんで、あんな女が暁刃様に選ばれるのよ……っ)

 

 しかも、昨夜は恒一に問われた言葉が耳に残っている。

 

『なあ……本当に、君は私を救ってくれたのか?』

 

 勘付かれたのだ。

 香織は顔に困った笑みを貼り付ける。

 

「私を疑っていらっしゃるの?」

 

 泣くようなそぶりを見せても、恒一は慰めることもせず、香織をただ冷たく観察していた。まるで嘘がないか見破ろうとするかのように。

 香織の背に冷や汗がつたった。

 ――疑われている。

 その夜刀谷家当主の疑心は、またたく間に屋敷中に広がった。

 

(澪のせいよ……! 絶対に許さないわ!)

 

「澪に会ったら、懲らしめてやる……っ」

 

 そのためには、まず彼女と会える口実を作らなければならない。

 香織は脳裏に策謀を巡らせて、口の端を歪めた。


 ◆


 それは確実に始まりつつある“終わり”だった。

 澪の元婚約者――夜刀谷恒一は、自室の中で一人、清酒の入ったお猪口ちょこを握り締めていた。

 勝手に指先が震えて、生温かい酒がこぼれ出る。

 手の甲の血管が浮き出て指先が黒く変色している。感情も制御できなくなりつつあった。額の奥が疼いて、手で触れると硬い突起がわずかに膨らんでいる。

 鬼の暴走の気配が出始めてしまったのだ。

 

(……なぜだ)

 

 ――理由は分かっている。

 澪を手放したからだ。

 あのときは香織が自分を救ってくれたのだと、彼女に言われるがままに信じてしまった。しかも澪が香織の手柄を横取りしようとしたのだと誤解までした。

 香織の美しい見た目に惑わされたとしか思えなかった。

 いまとなっては、香織が恒一を助けたという証言すら怪しい。

 なぜなら、香織は《払いの力》をほとんど持っていないことが分かったからだ。 

 恒一がそれに気づいた時には、もう香織と婚約した後だった。

 いまでは澪は夜刀神家当主の暁刃の妻として迎えられ、誰もがひれ伏す存在になっていた。

 最後に見た彼女は、穏やかで凛としていた。

 

(……綺麗だ)

 

 思わず、そう思ってしまうほどに。

 

(澪は私のものになるはずだったのに……!)

 

 恒一は徳利とっくりを卓に叩きつける。飛沫が卓に広がった。

 澪がいれば、恒一は荒れ狂う己の鬼を鎮めることができていたはずだった。

 夜刀神家当主は鬼化が進んでいたのに、いまは番の澪がそばにいるおかげで、すっかりと落ち着いているらしい。

 身にまとう鬼の気や、結界が乱れることもない。

 香織にそそのかされた自分を悔やむばかりだ。

 

「もう……やり直せないのか」

 

 番を手放す鬼なんていない。暁刃は歴代最強と謳われるほど強い鬼の力を持っている。恒一に太刀打ちできるはずもなかった。

 

「あのときのことを謝りたい……」

 

 誤解して彼女にきつい言葉をかけてしまったことを。

 しかし本家に行っても門前払いを食らってしまう。

 

『当主様より、許可が下りておりません』

 

 使用人はそう言って頭を下げた。暁刃の結界があるため、強引に立ち入ることもできない。

 

(きっと澪は、束縛の激しい暁刃様に嫌気が差しているだろう)

 

 彼は使用人すら澪に近づけることを嫌がると聞いている。

 ――救ってあげたい。

 そう強く思った。

 

(そして、できれば君を……)

 

 あわよくば手中に入れたいと、大それた望みを抱く。とうてい叶わない夢だと知りながら――。

 そのとき、襖から声をかけられた。

 

「恒一様、よろしいでしょうか?」

 

 香織の声だった。あまりの不快さに恒一の口元にしわが寄る。

 

「何だ?」

 

「お部屋に入ってもよろしいですか?」

 

 恒一が答える前に襖が開くと、媚びた笑みを浮かべた女がいた。

 

「そんなにお酒を飲んでは、お体にさわりますわ」

 

 そう甘ったるく言って、恒一の腕を撫でる。

 恒一に拒絶されるとは微塵も考えていないその高慢さに、不快さが胃から迫り上がってくるのを感じた。

 少し前までは可愛いと思えた態度も、いまとなっては不愉快でしかなかった。

 

(澪ならば、いつだって私の気持ちに配慮してくれていたのに……)

 

 香織が何をしても、『これが澪なら……』と比べてしまい、ため息が出る。

 本音では『お前のせいで、私の鬼化が進んだんだぞ!』と叫び、徳利とっくりを投げつけて婚約破棄してしまいたかった。

 だが、相手はか弱い人間の女だ。さすがにそれを行うほど、恒一は非情にはなれなかった。

 すぐに香織と婚約解消するのも外聞が悪い。ましてや、一度は婚儀も中断して澪と婚約解消してしまった後だ。

 

(この女さえいなければ……)

 

 騙されたとはこのことだろう。香織恒一はやけ酒を飲んで、己を静めるしかなかったのだ。

 香織は困ったような顔をする。

 

「先ほど、お声が廊下まで聞こえましたの。『あのときのことを謝りたい……』と。恒一様は澪とお話をなさりたいのでしょう?」

 

「何が言いたい?」

 

 胡乱げに睨みつけると、香織はにっこりと微笑んだ。

 

「私達の祝言の日には、さすがに澪たちも参列してくれるでしょう。暁刃様も。ねぇ、式を早めませんか?」

 

 その言葉に、恒一の頭は真っ白になる。

 誰がお前なんかと、と一瞬口をついて出そうになったが、よくよく考えてみると、澪に再会できる手段はそれしかないように思えた。

 

「確かに……お前の言う通りだ」

 

 一族の前で、一度は澪と婚約解消したのだ。

 香織に言い寄られて浮かれてしまい客観的に己を見ることはできなかったが、恒一の名誉はすでに地に落ちていると言っても良い。

 香織と婚姻を結んでから離縁したって同じようなものだろう。

 いや、なんなら婚約解消を二度繰り返すよりは、一度は結婚したという実績があるほうがマシにすら思えてきた。

 

(確かに、もうそれしかない……)

 

「早めに婚儀を挙げることにしよう」

 

 恒一は絞り出すように言った。

 香織の瞳が獲物を狙う猛禽のように光ったことにも気づかずに。


 ◆


 深々と闇に包まれた寝室の布団の上に座り、澪は己の両手を広げて、じっと見つめる。淡く光る掌。そこにはわずかではあるが、《払いの力》が生まれつつあった。

 一か月前、恒一の鬼化を止めたときは、自分の《払いの力》を全て使ったと思っていた。

 だが、それは違った。

 枯渇していたのではない。ただ、眠っていただけなのだ。

 澪の体に刻まれた《払い》の印が、再び輝き始めていた。

 

(どうして……?)

 

 白峰の禁術は《払いの力》を失わせると聞いていたのに……。

 澪は隣で眠る暁刃の顔をじっと見つめる。

 

(もしかして、暁刃様のそばにいるから……?)

 

《払いの一族》は番の鬼のそばにいると、その力がより活性化すると聞いたことがある。

 

(だからなのかしら……?)

 

 窓の外には闇が広がっている。

 新月のためか小さな生き物たちもひっそりと息を潜めているように感じられた。

 ――いや、もしかしたら彼らは何か異変を感じていたのかもしれない。

 夜刀谷家の方角から、澪も異質に張り詰めた空気を感じていた。

 再び荒ぶる鬼が現れるのを察しているかのように、辺りを静寂が支配していた。

 

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