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潜入任務

 「あーーーーもう!!」


 回廊を駆け抜けながら、千早は心の底から叫んだ。


 「待て!」男の怒声が回廊に響く。千早は女房装束の裾を抱え上げ、必死に駆けた。


 (なんで女房装束で走らなきゃいけないのよ!)


 術を使った後の体は鉛のように重い。背後から追手の足音が迫る。


 「そこの女房待つんだ!」


 その声に、千早の背筋が凍った。


 一週間前、陰陽頭(おんみょうのかみ)香茂直継(かものなおつぐ)から密命を受けた。


 桐壺(きりつぼ)女御(にょうご)光子(みつこ)――帝の妃の一人――のもとで怪異騒ぎが起きているという。命婦(みょうぶ)として潜入せよとのことだった。


 従五位下、女性としては破格の高位で、後宮でも一目置かれる身分だ。


 後宮は男子禁制のため、女性の陰陽師である千早しか調査できない。


 ――初めて後宮に入った時は、まさかこんな風に回廊を駆け回ることになるとは思ってもみなかった。


***


 「はぁ……なんてきれいな冷気なんだろう」


 牛車の中で、千早は袖の奥に漂う気配に目を細めた。春の陽射しを浴びているのに、指先だけがひやりと痺れている。普通の女房なら身を縮めるところだろう。


 けれど胸は、逆に高鳴っていた。まるで上質な怨念を見つけた時のような、あの甘い興奮に似ている。


 (いけない!今は陰陽師じゃなかった!)


 朱雀門(すざくもん)から北へ延びる大路を、牛車はゆるやかに進んでいく。(すだれ)の隙間から覗く景色は都の中心部らしい華やかさに満ちていた。千本の桜が咲き誇り、五条の橋が朝日に照らされ、御所の(いらか)が金色に光を放つ。


 だが千早の感覚は、目に見える美しさの向こう側を捉えていた。


 この都では、女も星を読み、怪異は人の心から形を得る。今、それを裏付ける冷気が、指先をひやりと撫でていた。


 独りごちながら、左の鎖骨にそっと手をやる。そこには生まれつきの痣――五芒星の小さな印があった。怪異が近づくと疼いて、危険を知らせてくれる便利な痣である。


 今日からしばらくは、従五位下の命婦・朝霞(あさがすみ)として過ごさねばならない。後宮での重要な任務なのだ。


 「朝霞様」


 外から供の声がかかった。


 「間もなく承明門(しょうめいもん)にございます」


 「は、はい!」


 返事が思ったより大きく響き、慌てて口を押さえる。


 (落ち着け、私……十八にもなって、こんなに緊張するなんて)


 承明門――後宮の正門。ここから先は帝の女御や更衣(こうい)たちが暮らす、都でもっとも華やかで秘密に満ちた場所。そして今、その秘密を暴く役目を、自分が担おうとしている。


 牛車の音が重々しく響き、やがて車輪が止まった。簾が上げられると、春の光が流れ込む。千早は外へ降り立った。


 「うわあ……」


 思わず息を呑む。朱塗りの巨大な柱が天を突き、白壁が陽光を跳ね返す。門の両脇に植えられた桜からは、薄紅の花びらがひらひらと舞っていた。


 だが同時に、肌を撫でる冷気があった。春の涼しさではない。底から忍び寄るような冷たさ。鎖骨の痣がじんと疼く。


 ――やっぱり、ここに何かがいる。


 この冷気は怪異の気配だった。普通の人にはよほど濃くならない限り感じられないが、陰陽師の千早には微細な異変も冷たい風として伝わってくる。


 けれど今は我慢だ。袖の中で組みかけた指を、千早は慌てて握り締めた。


 潜入任務の第一日目。


 陰陽師・千早の戦いが、今まさに幕を開けようとしていた。

お読みいただきありがとうございます。

平安風の後宮で、好奇心旺盛でちょっと変わった主人公・千早が、これからどんな怪異と出会い、どう成長していくのかを描いていきます。

よろしければ次回もお付き合いください。面白そうと思っていただけたら、ブクマや評価、リアクションで応援していただけると嬉しいです。

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