第1章「勇者の誕生」 第1話:封印の剣、目覚めの少年
東京の空は、どこまでも灰色だった。梅雨の雨がようやく上がった午後、風間アキラはいつものように学校からの帰り道を歩いていた。制服の胸元には、少し湿った空気がまとわりつく。本当なら、帰ってすぐにゲームでも起動して、現実逃避の時間に没頭しているはずだった。だが今日のアキラは、少しだけ足を止めた。
坂道の途中にある図書館。その古びた建物は、いつ見ても人気がなく、まるで時間から取り残されたようだった。
「なんとなく……寄ってみるか」
そう呟いたのは、自分でも理由がわからなかった。
図書館の奥、誰もいない閲覧席の一角。埃をかぶった一冊の書物が、まるでアキラを誘うかのように開かれていた。タイトルは『異界ノ門』——手書きの文字で書かれたその表紙は、ただならぬ雰囲気を放っていた。
「オカルトか? まぁ、暇つぶしには……」
パラリとページをめくった瞬間、文字が光り始め、視界が一瞬にして白く塗り潰された——
◇
目を覚ましたとき、そこは見知らぬ森だった。
「っ……どこだ、ここ?」
木々は異様に高く、空は赤く染まっていた。足元に広がるのは苔むした地面。見たことのない蝶が飛び、風には微かな鈴の音が混じる。
アキラの心臓は早鐘を打ち、喉は渇ききっていた。現実離れした光景。だが、頬に触れる風も、足元の感触も、あまりにリアルだった。
そのとき、ローブを纏った老人が木々の間から現れた。
「ようやく来たか、選ばれし者よ」
「……誰だよ、おじいさん」
「名はグリモア。古き時代より聖剣を守りし者だ」
訳が分からず後ずさるアキラに、老人は微笑を浮かべた。
「恐れるな。お主は導かれたのだ、この世界『エルダリア』へ。運命の時が来たのだよ」
グリモアに導かれ、アキラは森を抜け、やがて堅牢な城塞都市へと足を踏み入れた。石造りの壁、飛び交う荷馬車、空を舞う魔導師のような存在。すべてが夢の中のようで、しかし確かに現実だった。
聖堂の奥、アキラは巨大な剣と対面した。それは黒檀の台座に突き立てられ、刀身には七つの鍵穴が刻まれていた。
「これが……」
「聖剣ソウルバースト。かつて世界を救った英雄の剣。そしてお主が、その継承者だ」
信じがたい言葉。しかし、アキラが剣の柄に触れた瞬間——
剣が、淡い蒼光を放った。
「っ……!」
視界に過去の記憶が流れ込む。知らないはずの戦場。見知らぬ剣士の姿。そして、破壊の象徴のような黒き魔人の影。
「お主は“選ばれし勇者”の血と魂を受け継ぐ者。この世界を滅びから救うため、七つの聖鍵を集めねばならぬ」
だがアキラは首を振った。
「無理だよ……俺は、ただの高校生で……剣も、魔法も……」
「ならば、まずは学ぶがよい」
それが、アキラの修行の日々の始まりだった。
◇
訓練場では、剣術と魔法の基礎が叩き込まれた。最初は木剣を握る手も震えていたが、徐々に体が動くようになっていった。教えられたのは、風の流れを読む剣技——『風舞剣』の型。
「剣は力で振るものではない。風のように流れろ」
剣術師範の言葉に、アキラは何度も転び、泥だらけになりながらも食らいついた。
一方、魔法は気流の操作から始まった。小さな風を生み、紙を宙に浮かせる。それだけでも頭痛がした。魔法は精神力と集中が命だった。
ある夜、アキラは訓練場の隅でひとり座り込んでいた。
「……俺、帰れるのかな……」
そこに現れたのは、体格のいい獣人だった。金色のたてがみを揺らし、ライオンのような顔立ちをした男——リオ。
「へっ、泣き言か? なら帰ればいい。ここは甘くねぇぞ」
「お前、誰だよ……」
「リオ。獣人部族の戦士だ。……ま、興味はねぇが、あんたが聖剣の使い手ってんなら、ちょっとは期待するぜ」
その豪快な態度に、アキラは少しだけ笑った。
また翌日、見習いの魔法使い・ミナと出会う。彼女は銀髪の少女で、控えめな声と鋭い眼差しを持っていた。
「あなたが……アキラさん? ……よろしく、お願いします」
その夜、城塞都市を魔族の前哨部隊が襲撃した。炎が街を包み、混乱の中、アキラは初陣に臨むことになる。
「逃げちゃダメだ……俺が、やらなきゃ……!」
リオと共に前線へ。ミナの結界魔法が民を守る中、アキラは剣を握り直した。剣技と風魔法を重ねる——
「風よ、俺の刃に宿れッ!」
突風と共に放たれた一閃が、魔族の一体を吹き飛ばした。
戦いの後、アキラは疲れ果てて座り込んだ。だが、その瞳は以前よりも確かに、前を見ていた。
グリモアは彼に言った。
「これより、お主は七つの聖鍵を求め旅に出るのだ。第一の鍵が眠るのは、風の山岳——かつて聖剣に仕えし道場にて」
「……わかった。やってやるよ」
そうして、風間アキラは“勇者”としての第一歩を踏み出した——
その胸に、仲間と共に進む覚悟を抱いて