7:『夏の悪魔』2:夏を迎えた男の話
「あはははは!こんなの初めてっ!!」
はしゃぎまわるハイレイン。
「でもこの国の名前聞いたことがあるわ。先代様と私達……それにベルルムが揃った場所じゃなかった?」
「ああ……何か思うところがあったのか」
首を傾げるパクスの言葉に頷くエテレイン。
旅路の途中で尋ねた国は、北と南の狭間に位置する。四季神の影響を受けやすい気候の国だった。
今度はどんな物置小屋に通される物かと思いきや、出迎えたのは優しげな笑みを湛えた若者。聞けば彼がこの国の王だという。
他国の長のように宝石を鏤めた金細工の王冠ではなく、その辺りで摘んだような花冠を乗せた彼は、子供のように無邪気に見えた。
その幼さを感じさせる雰囲気から少年かと思ったが、次の年にはもう成人する年だとか。形容するなら青年に属する部類だろう。
そんな若い王に通された部屋は一級品。国の風土を残した長閑さを感じさせる造りではあるが、傲らない豪華さがそこにはある。自然の持った美しさを十二分に引き出した調度品達は心安らぐ匂いがする。窓の外の景色も見事なものだ。夏が訪れたというのにその景観を失わない何かがある。
穏やかに迎えられたからだろうか。悪魔の心も穏やかで、夏の日差しも適度の熱さ。じっとりと張り付くような汗ではなく、心地良い汗を生み出す熱だ。
「夏神様、つまらないものですが私が育てた花です。よろしければこちらをどうぞ」
優しく微笑む青年に手渡されたのは見事な花束。夏の旅路では出会ったこともないようなその花に、悪魔は軽い感動を味わう。
「あ……」
感動のあまり思わずその花に手を触れて……悪魔は思い出す。
悪魔が触れた物はこうなる定めだ。枯らしてしまった花を見て、気まずそうに顔を背ける夏の悪魔。
「…………すまない」
「いえ、構いません」
しかし王は気にせず笑っている。悪魔の手から返されたそれを、王は一礼して部屋へと飾り付けて振り返る。鼻孔を擽る華やいだ香りはまだ、そこにある。
「夏神様はドライフラワーというものをご存知ですか?これもなかなか趣があって私は好きです」
「王様はぁー、お花なら何でもいいんじゃないですかぁ?あはははは!」
「……ははは、そうかもしれないな」
旅の一行の中で一番残忍な三女と共に笑い合う優しげな王。一番馬が合わなそうな組み合わせだけに悪魔も開いた口が塞がらない。
「あのハイレインと会話が出来る人間がいるとは……」
「あの男、ただ者じゃありませんね」
長女次女の姉二人も、風変わりな王に驚いている。
「夏神様、それに素敵なお嬢さん方、今宵は歓迎の宴になります。その料理の他に何か食べたいものや、何か苦手な物はございますか?」
「果物!生果物っ!干し果実はもう飽きたのー!」
「す、素敵だなんてそんな……って私にはアエスタス様という方がいらっしゃるのに私ったらもう……」
「…………褒めても何も出ないぞ」
三者三様、姉妹達が顔を赤らめる。三女だけは自身の司る物も忘れたように食欲が優先されていそうだったが。
「……王、何故そこまでよくしてくれるんだ?」
ここまで歓迎されたことはない。そのためよくしてもらいすぎていることが、逆に不安で信用ならない。王の好意は有り難いと思いながらも、警戒心を完全に解くことが出来ない悪魔は王に問いかける。
「聞いたことくらいはないか?あまり夏の悪魔をもてなしすぎると居座られて国が滅ぶと」
それに王はあるともないとも答えずに、花の名前を持ちだした。
「春には桜。夏には朝顔。向日葵もいいですね。秋には藤、そして紅葉。冬には梅と椿でしょうか」
「………何の話を?」
「夏神様、四季には四季折々の風物詩がございます。花も同様。どんな季節にも花は咲きます。そのどれが一番素晴らしいかと聞くのは愚かなことでしょう。全ての花に花言葉があるように、意味のない花などこの世にはありません」
忌み嫌われるべき季節など一つもないのだと王が言う。夏の暑さも花を育てるためには必要なのだと。夏の厳しさは意味のないものでは決してない。
それは忌み嫌われてきた夏の悪魔が人間に……初めて肯定された瞬間だった。
「私は長らく春と共に生きました。故に他の季節を知りません。私の民もそうです。ですから我々は夏神様方にも感謝しているのです。よくぞこの国へ立ち寄ってくださった」
悪魔はようやく理解した。春神に育てられたから、この王は人間らしくないのだ。
神を神として恐れ崇めるのではなく、敬いつつも同じ視線で接する、心通わせる存在としてこれまで彼は春神と仲良くやってきたのだろう。だからこの地を訪れる他の神々とも、同じ風に接していきたいと願っているのか。
「春神の旅立ちの日に植えた夏の花の種が次々に芽吹いて葉を茂らせる。……これまで見たこともない花達に、我々は感動しています。ありがとうございます夏神様」
「……俺はアエスタス。そう呼んでくれても構わない」
四神を平等にもてなすというのなら、まずその敬語をやめて貰おうかと悪魔が許しの言葉を口にする。
「ありがとう、アエスタス!」
握手を求め身を乗り出した王に、さっと悪魔が身をかわす。急に避けられた王は勢い余って転んでしまう。
「俺は女神とは違うんだ。気をつけろ」
「え?」
「残念~!握手してたら今頃王様形死体完成してたのに」
面倒な両手のせいで助け起こすことも出来ないと、肩をすくめる悪魔の傍でけたけた笑うハイレイン。
説明不足すぎる上に物騒な物言いに疑問符を浮かべる王。それを見かねた姉二人が三女の言葉を補足する。
「主様……つまりは夏神、それから冬神の手は危険だと記憶しておけ、王」
「アエスタス様の御手は水分を奪って乾燥させる。ヒエムス様の御手は温度を奪って冷やしてしまう。これは本人が意識しないでも行ってしまう力です。アエスタス様が意識して触れれば燃やせるし、ヒエムスなら凍らせることが出来るという話なんですよ」
「へぇ……大変なんだなぁ」
怖がるどころか驚いたような感心したような王の声は、春の日溜まりのように長閑なものだ。
「それじゃあ食事はどうするんだい?」
「それは私達が」
「はーい、夏神様ぁ!あーんって!」
「なるほど」
「最悪犬猫のように手を使わずに食べるという方法もある」
「だから口移しでも問題ないんですよねぇ夏神様ぁ?」
「こらっ!ハイレインっ!」
「暴力反対ぃー……」
「あはははは」
三姉妹と悪魔のやりとりに、若い王は腹を抱えて笑い出す。それに驚き茶番を中断する悪魔と姉妹。
「神を笑うとはなんとも恐れ知らずな人間もいたものだ」
「あ、いやごめん。つい……」
王の謝罪に悪魔は無言を貫くが、歪みそうになる口元を必死に抑えて仏頂面を守ろうとする意地とプライドの水面下というか顔面下の戦いが繰り広げられていた。
(だが、悪くないものだ)
人間に、まるで人間のように平等に扱われる。それは神のプライドを逆撫でする行為にもなり得ること。それでも旅人神は神の身分でありながら、神というより心は人間寄りの生き物だ。だからこそその扱いをありがたく感じる心が悪魔の中にはあるのだろう。
迎え入れられること。受け入れられること。こんな国は初めてだ。
若すぎる王は、ただの一度も自分から出て行けと悪魔に語ることはなかった。それでも居座るのは迷惑だろう。家臣達は時折何やら言い足そうに此方を見ていることがある。
それでも若い王は、ゆっくりして行けと口癖のようにそう言うのだ。旅支度をはじめると、毎回王はそう言った。この国がどうなのかはわからない。それでも少なくとも彼一人は、夏の一行を歓迎してくれている。心の底から。それを素直に信じられるようになるまでの間、王が悪魔を追い出すことはなかった。
そんな不思議な王と夏の悪魔が友人と呼べる関係になるまで、そこまで時間は掛からなかった。




