3:『夏の悪魔』1:夏神の宿探し
四季を統べるは四人の旅人神。
触れしすべてを燃やし腐らせるは、疫病奏で死の風操る夏の君。
夏の悪魔と呼ばれし彼の傍らで、歌い踊るは四人の従者。四人の従者は四姉妹。決して揃ってはならない四姉妹。
上から殺人、暴力、強奪、戦争。夏神と四姉妹が通り過ぎた後には草木も一本残らない。
生き人神の少女を連れた夏の旅路は辛く険しい。旅の最中に一夜の宿を訪ねる彼らを、快く迎える家など世界の何処にあると言うのか。
砂漠の民が語り継ぐ戒めの言葉。
“夏神と出会ったならば、その頼みを断ってはならん。だが、愛想をよくしてもいけない。
宿は貸しても一番悪い部屋に通せ。物置でも構わない。食事は質素に。ただし、旅の食料と水は最高の物を。
これを守れば夏神は礼を言って立ち去るだろう。
宿を貸さなかった町は、夏神がそのまま通過し全ての人が死に絶えた。それを聞き、夏神をもてなしすぎた町は、彼らが留まり続け水が涸れて滅んでしまった”
夏の悪魔が来たぞ!その一言に宿る人の心は残酷なもの。
それは歓迎などではない。戒めを呼びかける声。
忌み嫌われし季節の神は、心を痛め……それでも希望を信じ旅を続ける。
炎を纏った亡国の……物言わぬ骸が語る、一人の神のお伽話。
*
燃えてしまえ。何もかも。夏の悪魔はそう思う。
人は愚かだ。結局悪魔が居ても、居なくとも……人は争うことを止めないのだ。
死神たる彼を、敬い恐れる気持ちもなくし、悪魔と罵り忌み嫌う。
人は愚かだ。四季神が、なぜ人の姿を模るのかを知らないのだ。
旅人神が、人の姿で旅をするのは……訴えているから。自分たちにも心というモノが存在するのだと、それを人へと伝えるために。
「大丈夫ですか!?アエスタス様!!」
目を開ければ、一人の少女。破滅の四姉妹、別名慈しみの四姉妹……その次女パクス。彼女が司るは暴力。しかしその暴力が夏の悪魔に向けられることはない。今も心配そうに此方の顔を覗き込む。
「パクスか……問題ない」
木陰に寝かせられている自分に気付き、夏の悪魔は状況を悟る。
異形の姿を隠すよう、フードを被った日よけのマント。それでも頭の上に奇妙な形。猫耳のようなシルエット。それでも十分奇妙だが、外套を外せば黒く短い角。人々を恐れさせるには十分だ。
軽装で旅など出来ないと灼熱の大地を歩いている内に、倒れてしまったのだろう。夏を司る自分でも、熱さが平気というわけではない。人の形をしていれば、脱水症状にも陥る。しかし……それでも生身の人間達よりはずっとそれに強いはず。
それでも年若い悪魔はまだ、神の力が弱いのだ。だからこのように醜態をさらしてしまうこともある。半人前とはいえ神は神。それで死ぬことはないが、苦しいことには変わりはない。神など死の痛みでも死ねない身体であるだけだ。
「お前達こそ、無理はするな」
悪魔は顔を上げ、三人の姉妹へと呼びかける。
「夏神様ってば、もう大丈夫なんですかぁ?」
気遣い半分、嘲笑半分。今居る中では一番幼い少女は三女のハイレインがけたけた笑いでこちらを見る。腰掛けた岩から立ち上がる気配はなく、両の足をパタパタと砂と風と遊ばせていた。彼女が司るは強奪。それでも普段はやる気がない彼女は、その気になるまで何かを奪うことはない。今は砂遊びに夢中のよう……その姿は普通の少女そのもの…………というには、少々目の色が物騒かもしれないが。
その少女の隣に立っていた女。悪魔の言葉に静かに頭を下げる、礼儀正しい女は長女のエテレイン。司るは殺人ということもあり、ぱっと見は暗殺者のような服装……それに踊り子の服を足して二で割ったような出で立ち。
「ご無理はなさらぬように……ご自愛下さい主様」
もう一人の妹、四女は今ここにはいない。
全員が揃うことを夏の悪魔は恐れていたが、はぐれた一人を案じる気持ちもある。四姉妹は生き人神。生身の人間なのだ。
彼女たちは神の力を与えられてはいるが、その身は神ではない。人にも殺せる存在だ。
彼女たちが足を運んだ場所には司るに相応しい物騒事が現れる。彼女たちの意思ではどうしようもない、天災。生きた疫病神、それが破滅の四姉妹。
彼女たちを殺せば、その力は世界の何処か……別の少女へと移動する。彼女たちは迫害を受け、自らの力と役目を知る。
そんな風にここに集まったのがその内三人。この三人は今いる夏の悪魔の先代から下僕として付き従っている。
夏の悪魔は人には殺せない存在。彼の傍へといれば身の安全は保証される。それどころか、力が増し、不老の存在と化す。しかし、時に生きることに疲れた女はわざとはぐれ……死を選ぶ。司る役目の重さから、三女や……そして四女がはぐれることが多い。四番目の彼女が司るは……戦争だ。
まだ若い夏の悪魔は、四女にまだ会っていない。どこかでまだ生きているのか。それとも、新たな少女に代替わりしているのか。探すべきか、探さぬべきか。判断に迷う。だからもし彼女と巡り会ったら、それは天命なのだと受け入れようと悪魔は思ってた。
「アエスタス様、どちらへ向かって居るんですか?」
隣に座したパクスが地図を広げながらそう尋ねる。
歩き続けた世界の地図。地形はもう頭に入っている。しかし国名はよく変わる。世界情勢をちゃんと把握していなければ、旅の難易度が上がってしまう。悪魔は現在地の傍にオアシスがあることに気付き、今日はそこへ向かうことを決めた。
「いやぁ、砂漠の夜は寒いってのに……不思議な夜だ」
「蒸し暑い……ってほどでもないけどねぇ」
オアシスの街の人々はそう囁き合う。
日も落ちたというのに、空気が生温い。小さな太陽が街のどこかにいるかのようだ。
「馬鹿!お前ら夏神様がいらしてるんだよ!」
「夏神様だって!?そりゃあ大変だ!」
「いんや、えらいこっちゃえらいこっちゃ!」
「長く居座られたら、ここの水が涸れちまう!必要な物資を贈って、さっさと出て行って貰おう!」
「いや、贈りすぎてもいけないぞ!この場所を気に入られて居着かれても困るんだ」
厄介者がやってきたと人々は重いため息。邪険にしても丁重にもてなしてもよくないことが起きてしまうのだから、無理もない。
それでも彼らは神である夏の悪魔が、人と同じ心を持っていることを知らずにいる。おそらく気付くことも、気付こうとすることもないだろう。腫れ物を触れるように人々は悪魔を迎え入れた。
「夏神様ぁ、これここの人間達から寄越されました」
宿の中に入ってきたハイレインの手には食料。その一歩後ろから現れたエテレインの手には水。
「他にも足りないモノがあったら言ってください、だそうです」
「…………なんかぁ、この街気持ち悪ぅい」
ハイレインは顔をしかめてくくくと笑う。
幼い彼女も若い悪魔もその意味をよく知らない。ハイレインは年齢的に知っているだろうが、覚える気がないため忘れているのだろうとは悪魔も思った。
その説明を求めるべく、次女を呼ぶ。
「……パクス」
「ええとですね、アエスタス様、それにハイレイン?オアシス付近は夏神信仰が残っているの。……大河の傍もそうですね。夏の氾濫があってこそ、豊かな実りに繋がるんですから。それでここのオアシスには、昔夏神様の機嫌を損ね、滅ぼされた街の言い伝えがありまして……逆に手厚く持てなして、気に入られやっぱり滅んだ街のお話があって……それで」
「なるほど……だからか」
手厚くしすぎても駄目。蔑ろにしても駄目。機嫌を損ねないように、それでも長く留まりたいと思えないように。
宿の主に通された部屋は上等……というより、喧嘩上等と言った方が概ね正しい。倉庫と寝室が一緒くたにされたような、何とも言えない部屋だった。
「ここのベッド最悪ー……」
「我が儘言うんじゃありませんハイレイン、野宿よりマシでしょう?」
久々のベッドが飛び跳ね甲斐もないスプリングの壊れたモノで、ハイレインは不満顔。小声で「煎餅布団だしぃ」と地の底から呪うような声色の言葉。
「止めておけ。食料は貰えたんだ。十分だろう?一夜の宿の礼だ、ここは静かに立ち去ろう」
「嫌ですぅ……せめて宿のおっちゃんが被害者の輪され事件くらいは発生させないと私の気がすみませんー」
三女の司る者が強奪となってるのは、軟らかい表現に変えているため。奪うのは何でも良い。金でも地位でも身体でも。ここにいる中で一番幼い精神と、ある意味一番物騒な力の持ち主は、機嫌を損ねると面倒だ。
しかし四女はこの比ではないと言う姉らの言葉から、やっぱり会わずに越したことはないのではと悪魔は思い始めていた。
「ハイレイン!アエスタスがこうおっしゃってるのよ!解りなさいっ」
ごつんと思いきり次女が三女へ鉄拳制裁。
「暴力女ー……夏神様ぁ、パクスが虐めるー」
ささっと悪魔の背後に隠れる三女に、次女は為す術もない。
「ハイレイン……主様を盾に使うな」
長女もあきれ顔。
彼は死神。居座るだけで人を殺すことも可能だが、彼自身にも殺しの力は授けられている。
夏の悪魔の両の手は、太陽の手。触れたもの全てを乾かし燃やし風化させる、終わりの手。
神とはいえ生き人神の姉妹達も、その手に触れれば命を落とす。しかし背中にその力はない。今この場にこれ以上の盾はない。
「……果物の香りがするな」
渡された物資の中に含まれていたのだろう。見れば人数分の果実が置いてある。
「ハイレイン、俺の分のをやるから機嫌を直せ」
子供は食べ物で釣れ。この若い悪魔が、三女にとってそれが最も有効だと旅の間に学んだことだった。
「夏神様ぁ!大好きっ!」
あっさり機嫌を直した三女は、そそくさとテーブルへと着き、勝手に食事を始めてしまった。二人の姉は文句を言い出したが、気にするなと夏の悪魔は促した。三女に続き、自分たちも食卓につき、その傍ら地図で旅の道筋を考える。
「春の女神の現在地がここ。秋の女神がここ。……フォールの奴、また遊んでいるな。速度が遅れている」
「秋神様はぁ、お酒好きで足がふらふらだからじゃないですかぁ?」
「そうかもな。しかし変だな。あの堅物のウェールまで……速度が遅れている。このままじゃ近いうちに出会すぞ」
「進路を変更なさいますか主様?」
「そうだな、それなら次はこの国が良いんじゃないか?………ここからずっと北西に行ったところに国がある」
「アエスタス様、そちらはヒエムス様の滞在地に近いようですが?」
「問題ない。俺を殺せるのはフォール……秋の女神だけだからな。冬の悪魔の傍によっても力は拮抗するだけ。確かそうだったな?」
春の女神ウェールに近づきすぎれば、彼女は逃げて、彼女が逃げれば冬の悪魔ヒエムスが逃げる。そうなると秋の女神フォールが逃げてくるので、夏の悪魔のアエスタスも逃げなければならない。
四季は互いに殺し合う力。天敵神の旅とは重ならないよう動く必要が全員にあった。誰かが急げばその分面倒なことになる。
夏の悪魔の場合、春と秋の女神に出会すと、旅のスピードが変わってしまうので……追いつきそうになったときは道から逸れて、二人を避けて旅するのが慣例だった。
「……雪国は、比較的俺たちに優しい。きっと歓迎してくれる。ここより良い宿に泊まれるかも知れないぞハイレイン?」
「行く行く!行きましょお夏神様ぁ!」
「アエスタス様……」
「主様……」
はしゃく三女。しかし二人の姉は、神妙な面持ち。
「どうかしたかエテレイン?パクス?」
「どうか、ご自覚なさいませ。貴方がお辛いだけです主様」
「私達は、貴方が傷つくところを見たくないんですアエスタス様」
傷つく?その意味を夏の悪魔が理解するまで数秒。
彼女たちは希望を抱くな、夢見るな、現実を見ろ。悪魔にそう告げていた。
「貴方は旅人神様。貴方が永遠に留まれる場所は何処にもないんです。私達にも……。でも……私達の居場所は貴方です。貴方がいます。だから私は辛くない。生きていけるんです。私達では、貴方の居場所にはなれませんか?」
寡黙な姉に変わって、二人分の思いを騙る次女。しかし、若い悪魔は信じない。
「パクス……この地図を見ろ」
ペン先でそこに小さな穴を開け……彼は長女と次女にそれを見せてやる。
「世界はこんなに広い。そして俺たちはこの穴よりも小さな存在だ。だからまだ出会えないだけだ。こんなに広いんだ。どこかにきっと、俺たちが居ても良い場所が見つかるはずだ」
尚も納得しない二人に、悪魔は不敵に笑みかける。
「何も永遠に留まるつもりはない。四季は移ろうもの……旅人神の仕事もある。それでも……」
当てもなく彷徨うのと、帰る場所を持って旅をするのとは……まるで意味が異なる。今の辛さも土産話となれば弾むだろう。広い世界の上、どこかに帰る場所があれば……続く旅も苦痛ではない。苦痛ではなくなる。悪魔はそう信じていた。
そこまで言われては、二人の女はそれ以上を言えない。誰かの夢を、信じるものをへし折るのは彼にとっても彼女たちにとっても並大抵な作業ではなく……ましてそれが自分たちの崇める相手だったとしたら、強くも言えなくなるだろう。二人は正にそれだった。