14:『夏の悪魔』4:夏のない1年
夏神の従者、破滅の四姉妹。
生まれつき、災いである夏の力を持った人間。永遠を持たず、それでも長きを生きる半神めいた存在だ。
先代夏神の時代から存在した彼女らは、生まれたばかりの頃から世話をし育ててくれた乳母のような姉のような者。此方の成長……時の流れにより、妹や娘のように思える者もいる。主従関係でありながら、大事な家族でもあった。そう、そんな風に愛していたと。パクスの死により気付かせられた。
死神である自分が、どうして彼女達を死なせまいと動くのか。いつか死ぬか、今死ぬか。そこに違いは何もない。唯一つ。心が。違うのは心だけ。
辛い境遇に生まれ落ちた姉妹達。せめて「良い人生だった」と思いながら死んで欲しい。自分が本当に神であるのなら。誰に悪魔と呼ばれても……自分を神と慕ってくれた者の前でだけは、神でありたい。
誰もが恐れる異形の姿を晒しても、彼女達は恐れない。自らのため真の姿を明かしたことに喜びさえ感じている。
戦う理由など、もうそれだけで良い。夏神アエスタスは、これ以上失いたくなかった。
彼女ら以外なら、もうどうなっても良かった。
呪え、呪え! 腐らせろ。土地を人を作物を。病で侵して奪ってしまえ!
天へと響いた咆哮は、天体さえも支配する。美しき春の国。優しき王が、愚かな王が招き入れた悪魔は死神。全てを殺すため、ここへ来た。今となっては、そうなった。
*
春と夏の戦いは、熾烈を極めた。能力として圧倒的に有利な夏神が苦戦を強いられたのは、純然たる兵力差。
春神は無数の兵を従えており、個々の能力も洗錬されていた。秋の神殿からの援軍もある。対する夏神は、死神でこそあれ……逃げ惑う旅人神。当人同士の戦いも、戦乙女の春神に軍配が上がる。
夏神。夏の悪魔の恐ろしさは、その能力。死神としての力量である。春神が如何に多くの勇敢な戦士を率いても、夏は病を蔓延させる。死でしか勝利を勝ち取れない哀れな神だ。
敵を討つための呪いは、自陣営をも苦しめた。病の治療も、満足な食糧も……夏神の力では生み出せない。彼に付き従う夏の娘は、災い振り撒く生身の人間。戦いの果てに、彼の傍に仕える者は――……
*
それは不思議な光景だった。花咲き誇る春の国。そこで居合わせた面々を、夏の悪魔は奇妙に思う。エテレイン、ハイレイン、ベルルム。この三人が揃った頃に、彼の国は美しいままであったかと。
「きゃはははは! やっとお腹いっぱい食べられる――!」
「そんなにはしゃいでみっともないですよ姉様。私達は誇り高き夏神様にお仕えする――……」
「これまで無理をさせたんだ。お前だって羽を伸ばせベルルム。戦勝記念には良いだろう?」
華やかな宴の席で、和気藹々とした四姉妹。今となっては三姉妹。そのはずなのだがもう一人。パクスの姿が何故見える?
「アエスタス様……」
「おい、何を……」
「一度だけで良い。たった一度で良い。私は貴方にこうしたかった」
抱きつかれても、彼女の姿に変化はない。死神に触れられる。やはりパクスはもう……死んでいるのだ。
「ずるーい! 私も私も!」
「……では主様、僭越ながら私も」
「でしたら当然私もよろしいですよね?」
「お前達……? ぐぅっ……」
これが夢だとしても些かおかしい。未練を晴らすかのような、四姉妹の行動。強くなる疑念に呼応するよう、ズキズキ痛み出す身体。現で一体何が起こった?
「主様。結果はどうあれ……貴方は私達を守ろうとして下さった。貴方だけ。貴方だけなのです。忌み嫌われた私達を……」
「そーだよアエスタス様。けっこー嬉しかったかも?」
「ええ。ですが我々は貴方の従者。主を死なせて生き延びることなど出来ません」
「ずっとこうしていたいけど、貴方は夏神。私達では縛れぬお方。だから……どうか、行って下さい。貴方が治めるべき場所へ」
離れる四人に手を伸ばし、夢と知っても躊躇う手。長く染みついた習性だ。この手で触れてしまえば永遠に。彼女らの魂まで消えてしまうようで。唯名を呼ぶことしか夏の悪魔には出来ない。
*
飛び起きた先に広がる景色。先程までの光景が天国ならば、此処は地獄である。美しかった花は枯れ、木々は燃え……人々の嘆きばかりが其処彼処に響く。
目覚めなければ良かった。誰一人、夏の悪魔が目覚めることを望まなかった。多くの犠牲を出しながら……相打ちとなった二人の神。辛うじて、互いにまだ息はある。
瀕死とは言え、人に神は殺せない。民は祈ることしか出来ない。
狂ってしまっても、自分達さえ祝福されるならそれで良い。春の女神が立ち上がることを人間達は願っていたのだ。もはや此方を罵る声も持たない人間達は、恐怖に打ち震え……絶望していた。
「夏神様……貴方様を崇めます! 立派な神殿も建てましょう! ですからどうか……もうお許しを!! もう十分我々を貴方は苦しめた。罰せられた。ですからもう……どうか、次の夏まで……」
旅人神。長いことそう呼ばれて来た。同じくらい長く、悪魔と忌み嫌われて来た。……だというのに今更人間は、俺を崇め始める。泣いて乞うのだ。どうかここから立ち去ってくれと。
(俺が立ち去ればどうなるか、もう忘れてしまったのか)
瀕死とは言え眠ればいつかはウェールは目覚める。
負傷で記憶の一部を失って、それで彼女が元の女神に戻る保証はない。復活までは遠のくが、もっと破壊しなければ……記憶まで完全に。
「黙れ。貴様等がこれまで春をどれだけ独占したと思っている! 本来他の土地が受け取るべき祝福を!! 貴様等がウェールを狂わせたのだ!! お前達はその責任を取らなければならない! 春の悪魔を切り刻め。首を切れ。八つ裂きにしろ。肉片になるまで細切りにしろ。そうしてこの荒れ地に蒔くのだ。いつの日かまともな女神が甦るだろう」
「な、なんと恐ろしいことを! 出来るはずがございません……お許しを、お許しをっ!」
「俺がやってはウェールは死ぬぞ? 一列に並べ。やらない者はこの場で殺す」
民達は、泣きながらかつての守り神に攻撃をする。この者達は、所詮我が身が一番可愛いのだ。
「一人一斬りで良い。いつまでやっている?」
「で、でも! もし、ウェール様が覚えていたら……僕ら、殺されるんじゃない? だ、だから少しでも長く眠っていて貰おうと」
神殺しの儀式の際。一人の子どもは恐怖から、何度も剣を振り下ろす。理由を問えば、自分が生きている間は女神が復活しないで欲しいという。
子どもの感じた恐怖は他の者へと伝播して……アエスタスの想定を越える肉塊が仕上がった。春の恵みより、春の怒りを恐れた愚か者共の手によって。
誰もがその手を汚した頃に、夏神を追い出そうと口にする者は一人も居なくなる。
恐るべき怒りを宿した春神が目覚めたら? 彼らには、彼女を殺せる“夏の悪魔”が必要だった。
*
「やぁ、アエスタス。久しぶりだね」
「……何用だ冬神」
久方ぶりの客人は、相も変わらず人形のよう。感情の機微も解らぬ死人のような男。
会うだけで不愉快になる上、どうせろくな話ではない。
「誰も通すなと言っておいたはずなのだがな」
「生憎僕も旅人神。人間に追い返すなんて出来っこないさ」
「……」
「前に来た時はなかったな。良い所だね、立派な神殿だ。いや、これは霊廟のようでもある。君がやっているのは墓守かい?」
この男に会った事は数える程だが、ここまで回りくどい話をする相手だっただろうか? 目的には大凡の察しが付いた。アエスタスは災いの溜め息の後、冬の悪魔をジロリと睨んだ。
「無駄話か世間話をしに来たのか?」
「いや。君の呪いで少々困ったことになっていてね。もう十分気は済んだだろう? あれを解いて欲しいんだ」
建前の話は終わりか。ここで初めて、死人のような男に色が宿った。明るい炎のような色。男の内から燃える炎が二つの瞳の奥にある。夏の悪魔は、そういう事かと理解した。
「この世界をお前一人の物にしたくなったか、ヒエムス」
「それは違うよ。君に消えて貰わないといけない都合が出来た」
武器を構えろと言うように、冬の悪魔が得物を取った。
「優しい君のことだ。呪いをどうにか出来るなら、必要以上に殺しはしない。僕の支配地にまで呪いを広げることもしないはず。つまり君は……一度放った呪いを自分ではどうする事も出来ない。君が死んでしまうまで」
「生憎、殺されてやることは出来ない」
俺にはもう……記憶の中にしか大事な物が残っていない。もう何処にもいない者達を、覚えていてやることしか出来ない。戦い、傷付き……損傷した記憶。名前も顔も思い出せなくなってしまった大事な者達。彼らがいたという事実。その記憶まで失えば、彼らは何処にもいなくなる。
「ヒエムス、どうせ人間は死ぬ。明日死ぬか、何十年後に死ぬかの違いだけ。此処で俺に勝ったとしよう。しかしここで戦えば……お前はその者の全てを失うぞ? その後貴様はどうやって生きるつもりだ?」
「忘れる、上等じゃないか。良いんだよアエスタス。僕はここに死にに来た。君と一緒に死にに来た。忘れる心配なんかない。あの子が僕を、覚えていてくれるなら。それで十分僕は……幸せだろう?」
過去に縋り付く自分とは違う。まだ思い人が生きている冬の悪魔は、自分の全てを献げるつもりだ。
「一人の人間を思うなど……貴様も所詮はウェールと同じ“悪魔”だな!」
氷の鎌を振り上げた、冬の悪魔にアエスタスは応戦をする。触れた瞬間此方の鎌は、腕ごと一気に凍り付く。一方相手の方も同様、燃えていた。
本来ならば天敵ではない、夏と冬が戦えばどうなるか。春と秋が消えた世界で戦うならば、どうなるか。共に死神、ただでは済まない。
戦うこと自体が負けに等しいアエスタスと、死が敗北ではない冬の悪魔。戦いが長引く程此方が不利になるのは間違いない。
(すぐに終わらせなければ!)
獣の姿に変化して、夏の鎌を牙と爪へと宿らせる。応じる冬の悪魔も人の姿を捨て、己の姿を此方へ晒す。遠目には羊に見えるが、悪魔らしく凜々しい角を持った山羊。長く見事な毛皮は冬の王者に相応しく、同じ神でも見惚れるだろう。
冬の恐ろしさと美しさを体現したその姿に、アエスタスは怒りを覚える。
忌まわしき黒猫とは違う。お前は何にでもなれただろうに。何故今更、俺の敵になることを選んだのだ。
触れて燃やした風は伸び、見事な毛皮を包み込む。燃やされながらも冬の悪魔は此方に突進。奴の攻撃を受けた場所から身体が凍り出す。氷が全身へ広がらぬよう、負傷した片腕を食い千切り……被害を最小限に食い止める。相手はそうはいかないはずだが、炎の先で狂った山羊が笑っていた。
気が狂れた? それともまだ奥の手が?
僅かな恐怖を覚えながらも時間に追われる夏神は、冬の悪魔へ己の腕を投げつけた。爪は何本もの鎌へと変わり、悪魔を狩ろうと飛んでいく。
攻撃を受ける寸前、冬の悪魔は人の姿に。縮んだ身体で鎌の隙間を縫って再び迫る!
「くっ……!」
残る片手で相手の鎌を受け止める……、その刹那、天が光った。雷鳴か。頭で理解した後に、アエスタスは絶句した。
吹雪と熱風、空には巨大な雲が広がって、ぶつかる力は大地に流れる雨となる。此処で戦い、水害で異国の民が大勢死んでも構わないのか。ただ一人の人間のために、何故道を踏み外す?
(まさか、お前はっ!!)
炎によって溶けた鎌を再び凍らせて、奴は得物を剣とした。今の体制では受け止めきれない。此方も変身を解き、逃げること。相手は見越して人型に……戻る場所へと氷の剣を突き刺した。
夏神は大地に落とされ串刺しとなりながら、まだ死んではいなかった。
(こいつを……殺す、だけなら)
まだ負けてはいない。生きている。こうして俺を貫いている間はこいつも傍から逃れられない。溜め息一つで呪ってやろう。
アエスタスが深く息を吸い込んだ時、再び空が光り出す。そうして勢いよく地上に降り注ぐ豪雨。
(違う、これは俺じゃない。これは……“天”だ!)
雷もこの雨も。自分が望み降らせた雨ではない。自分が降らせた雨ならば、夏の火を消しなどしないのだ。夏神の鎌から、冬の悪魔の身体から消えていく。だというのに、これはどうしたことか。冬の剣からは氷がどんどん広がっていき、辺りの水を……遂には夏神の身体全てを封じてしまう。
冬の悪魔の目的は、“踏み外す”こと。これははじめから、敗北する戦いだった。
選べるのは今死ぬか、もうすぐ死ぬかの違いだけ。
「そうだアエスタス。僕らは女神達とは違う。僕らの力は空にも及ぶ。本来戦ってはならない僕らが。夏と冬が戦えば、終わらぬ雨が降り注ぐ。終末の洪水。異変は天に。僕らの監視もしない怠け者……無能な上でも見ぬ振りは出来ないほどに荒れるだろう」
旅人神は天を知らない。地上で生まれ人と語らい、流離うだけの下級神。
四季神制度は一定期間、上手く機能していた。その内に、旅人神は忘れられた神となる。 上位世界の神は、もはや我らを見ては居なかった。そんな創造主まで悪事を伝えることこそが、冬の悪魔の目的だった。
「僕らはみんな、狂ってしまった。旅人神に永遠は必要なかったんだ」
旅人神から永遠を奪わせる。旅人神は欠陥品で、この世界は失敗作だと天に知らしめる。もはやアエスタスには打つ手は何も残っていなかった。残せるのは、一つだけ。
今正に自分を殺めようとする冷酷な神に、恨み言を吐き捨てること。
「何度砕かれ殺されようとっ……!! 例え全てを忘れても……ヒエムス! お前への憎しみだけは忘れるものかっ!!」
「ああ、いいね。それが僕らにとっての……新しい永遠だ」
引き抜かれた剣が、氷漬けのアエスタスへと再び振り下ろされた。
砕ける瞬間、この男が笑った顔を初めて見た。寂しいと嬉しさを感じさせる不思議な笑みで。
夏に関したことわざがないかなーと調べたら、スウェーデンに
“愛のない人生は、夏のない1年のようなものだ。”
ということわざがあるそうで、今回のサブタイトルに。
他作品とも関連するため終わらせたかったものの、なかなか書けなかったこの作品。
そろそろお別れの時間になりました。