13:『冬の悪魔』4:雪解け
「馬鹿だなぁ人間は。人形が殺されたところで、こうして僕は生きているのに」
春祭りの度、冬の悪魔は笑っていた。自虐であったそれが、シニカルな仮面……何時しか自身の人格に成り果てた。誰にも何も期待しない。望まれない季節だと知っていた。
愚かな人間達の中で、最も愚かな娘を見かけた日のことは……冬の悪魔も覚えていた。時が経ち、別人のような性格になった。そう、振る舞うようになった少女と記憶の彼女がこれまで一度も結びつきはしなかった。
「自分が死ぬかもしれないのにねぇ。こんな雪の日に……僕の人形を攫って、逃避行とは」
「主様がそないな冗談を言わはるなんて」
「冬神の旦那、もしかして嬉しいのか?」
北風と雪が、仲間が減ったとぼやき出す。確かに天候は良くなった。雪道で倒れ遭難している少女を村に返すも容易いことだ。
(人形が焼かれても、僕は死にはしないけど)
ほんの僅かな欠片でも。その都度心が欠けていた。心の全てを失って、冷徹な忌み嫌われる冬神に。人間が恐れ敬う冬そのものになっていたのかもしれない。
ほんの、ほんの……一欠片。誰より愚かな少女が、冬の悪魔の心を溶かした。凍り付き、死んだ心を甦らせた。
「死にたがりのお嬢さん。君が本当に死にたくなったら、もう一度僕に会いにおいで」
意識のない娘に向かい、悪魔は一つ約束をした。他に出来ることも、してやれることも自分は持っていなかった。所詮は死神なのだ。どんな心を抱いても、してあげれることは一つだけ。
「他の死神とは違う。誰より優しいやり方で、君を死なせてあげるとしよう」
嬉しいという気持ち。思い出せたのが。教えられたのが僕は……多分、嬉しかったのだろう。
*
「…………二人とも、そんなに僕を責めないでくれ」
少女の夢を曝いた後、従者達の視線は険しい。
「冬神様、ほんまに気付かへんかったん?」
「君たちも同じだろう?」
「うっ……それを言われちゃお終いでぇ旦那!」
「覚えていた、聞こえていたとは思わないが……約束は約束か」
フィーネは高熱に魘されている。昼間の姿が嘘のように、辛そうだ。触れれば簡単に終わらせることは出来る。
痛みを感じさせないよう、まずは頭の中から凍らせようか。少女の額に手を伸ばし……触れる寸前、冬の悪魔は手を止めた。否。僅かに指先一つ、触れたのだ。
溜息一つ。踵を返す主に向かい、雪と北風は戸惑った。
「冬神の旦那、どちらへ?」
「二人は今晩は其処に居てくれ。彼女の熱も和らぐだろう」
嗚呼、憂鬱だ。溜息も出る。だと言うのに。だと言うのに。外はあの日のように静まり返っている。
「そら――……命令どすか?」
「……ああ。冬神ヒエムスが、配下に命じる」
二人とは長い時を共にして来た。上手くやったつもりだが、結局騙せはしなかった。命令と口にしなければ、彼らは何処までも付いて来てしまう。
不本意だ。本当に不本意だ。僅かに溶けた指先が、勝手に心を物語る。凍って欠けた悪魔より、雄弁に認めたくないことを。
「…………はぁ、約束なら。仕方が無い」
少女の家を飛び出して、夜空を進む。向かう先は……春の国。かつて、そう呼ばれた国だ。
夏神の呪いとは、本来春の女神を呪うために始まった。彼女を封印するために、彼女が春の国以外に出られぬよう広めた病。それが何時しか多くの人間をも蝕む疫病となる。
元々彼は死神なのだから、仕事をしているだけではあると擁護も出来るが――……、冬の悪魔は確信している。夏神も、既に狂ってしまっていると。
自分も大概なので、他人をとやかく言うこともなかろう。共に不干渉で共存をして来たが、それも今日まで。
(フィーネは……まだ、本当に死を願っていない)
僕は人に悪魔と呼ばれる。悪魔であれば、約束を守らなければならない。
彼女が何の未練も残さず満足して死を望むまで、彼女を死なせるわけにはいかないのだ。
*
最後に彼に会ったのは何時の頃か。春と秋を失い、夏と冬の関係は変化した。
四季神であれば、それぞれ有利不利の相性がある物だが。夏と冬は両極。一方的な関係ではなく、互いに互いを滅ぼせる天敵になり得る。故にこうして避けてきた。間に女神が入る間柄の時代では、離れた季節同士……顔を合わせることもそう多くはなく。
(同僚とは言え、よく知っているとは言えないか)
自分のことさえそうなのだ。ましてや他人の心など。冬の悪魔に知る由も無い。それでも噂話程度であれば、旅人神の耳にも入る。良くない噂が聞こえた頃に、冬神は夏神に会いに行った事があった。
「久しいね、アエスタス。それとも“君”とは初めまして?」
「その血の気の悪い面、お前……ヒエムスか。生憎、初めましてではない」
夏神は、僕とは違う。生きた従者を連れた神。それ故彼の心は凍らない。
触れようものなら命を奪う災いを、引き起こすのは同じだろうに。夏神は無愛想な男だが、感情の揺らぎを持つ……不完全で不安定な生き物。神として未熟。しかしそれ故、彼に惹かれる人間がいる。いつの時代も、夏神は孤独ではない。精霊では泣く、血の通った人間が傍に居た。
そんなアエスタスが、あの時は……完全になっていた。代わりに彼の傍らには、唯一人も“破滅の四姉妹”が居なかった。
「ここはウェールが長く治めた国だろう? 僕も久しぶりに足を向けた。君はいつまで此処に留まるつもりなんだい?」
「旅をする必要は無い。俺はここに居ながら、人を殺せる。幾らでも、人を殺せる」
「次の彼女が生まれないということは、ウェールは生きていると言うことだね?」
「……何度も同じ事をするのは面倒だ」
新しい女神が生まれれば、新しい過ちが生まれ……別の国が滅ぶだけ。女神を封じ続けるために、夏神は春の国に留まることを選んだようだ。
「お優しいことで。おめでとうアエスタス。君はそこまでされたのに、心を凍らせたのだろう?」
「何とでも言え」
女神を封印するため彼が支払った代償。春神は既に死神へと堕ちていた。彼女との死闘により、倒れた娘達は二度と生まれ変わらず消え失せた。
「上に知られれば、僕らの仕組みも変わるかもしれない。君のやり方は賢いよ」
「ふん……お前は世界の半分で手を打ってくれるわけか?」
「僕は静かに暮らしたいだけだからね。わざわざ五月蠅い上に知らせる義理もない。拠点を境に半年ずつ季節を交換すれば、僕も手間が省ける」
旅をしなくて良いのなら、初めて安住の地を得られるというもの。力を向ける方角を変えるだけ。ずっと引き籠もっていれば良いわけだ。
世界は夏と冬が支配する。世界がそういう物だと理解してくれたなら、人間はこれ以上僕を嫌わないだろう。幾ら待っても恵みの春も実りの秋も存在しない。そういうものであるのなら。僕の憂鬱だって多少はマシになる。
*
春と秋が失われ……世界は夏と冬、二人の悪魔が巡るだけ。そうなった理由は何だ?
春の女神は狂ってしまった。愛する人を失って、美しき戦乙女は壊れてしまった。それを夏神が犠牲を払って彼女を討った。
(あの頃はそう思ったのだけど……)
当時の夏神は、正しいことをした。壊れた春の女神は、封じるか殺すかしか方法がない。彼女が壊れた原因が“心”にあると上に知られたならば、自分達も創造主から心を消し去られる恐れがある。
夏神が恐れていたのはそのことだ。誰にも触れられない彼は、己の心のみが人と触れ合える全てだった。其処に残された傷も温もりも。彼が永遠を生きるためには必要だった。
では対極である僕には、その機能は備わっているのか?
痛みも眠らせた傷ならば、そこには確かに残っている。失いたくないと思うものなどないままに、自分は永遠を生きている。
人を避け続けながら、知りたいと願っていた。僕を滅ぼすため備わっている機能。春が失われれば、冬の悪魔を殺せるのは恋心だけ。
ウェールが、アエスタスが、フォールが。皆が知っている感情を、僕は知らない。上の思いつきで廃棄処分されるより、アエスタスの計画に乗るのが良い。
凍ったこの心を溶かせるものならば、そんな者がいるなら会ってみたいと馬鹿にして。いつか恋する相手の姿を思い浮かべて時を送った。永遠の暇潰しには丁度良い。
「…………はぁ」
冬の悪魔からここ一番の大きな溜息が出たが、風一つ吹きはしない。
「ままならないものだ」
思い描いてきた理想の人と、恋した相手は別物だった。それでも何故だろう。不思議に思う。勝手に笑ってしまうのだ。彼女を思うと、自分の口が三日月のよう釣り上がる。
(僕は、死神なのになぁ)
『高飛車なピエロ』と関わってくる話なので、そろそろ此方から片付けておこうと思います。
GW中になんとかしたい。