12:『秋の女神』3:血の杯
「話が違うのではありませんか?」
従者を預け、春と夏の戦いを止めに行こうと考えた。如何に弱っていようと冬神だけでは相性が悪い。一晩滞在した国から立とうとする秋神に、城の門は閉ざされたまま。慌てて駆け寄る城の者を睨み付けるも、男は臆せず神へと言い返す。
「今、あなたに出て行かれるわけにはいかない。それはあまりに薄情ですぞ秋神様」
「……話が見えませんが、何の吉事が?」
「あなたの従者殿の、婚姻の宴です」
「は? そんなこと、私は一言も聞いていませんが? 私の許しもなく私の従者を娶るなど何処の不届き者が!?」
「我が国の王です。陛下は、昨晩あなた方を迎える宴で彼女を見初められ…………セレン殿も陛下の愛に応えられました」
「…………私をこの国から出さないつもりか?」
どんな言葉で拐かしたか。寵愛を受ける従者を娶れば、今後も国は秋神の籠を得て豊かになる。従者を身内にすることで、贔屓にしろと言っているのだ。
セレンの心を無視した婚姻だ。秋神は王の使いに怒りを向ける。
「怒りをお収め下さい。あなたはあの娘と永遠に共にはいられません。しかし血を繋ぐことで彼女の子孫を末長く見守ることが出来る。身寄りの解らぬ娘が、正妃となれるのですぞ? 危険を伴う旅と安住の地、何方が幸福かなど……旅人神のあなた様が一番良く理解しておられるはず」
「…………お前の主もそう言って、あの子を籠絡したか?」
「……フォール姉様」
「セレン!」
秋神の元に姿を見せる、着飾った秋の従者。秋神はこれまでも……自分が見立てた綺麗な服を与えていた。しかし今の彼女は殊更に。光り輝かんばかりに美しい。
「私は無理強いなどされていません。これは私の意思……勿論、私の幸せを願って下さいますよね姉様?」
「セレン……お前は私に何の相談もなく、本気で言っているのですか!?」
「……昨晩の月は見事でした。夕方から飲んでいた姉様はまだ御覧になっておりませんね? 【名月の国】の名に恥じない美しさ。丁度今宵は満月なのだそうですよ。婚姻の宴は今宵より始まります……せめて、月が欠けるまで。私の傍で見守って下さい。それでは……」
話が見えない。一晩眠っている内に、少女は知らない顔をする。彼女はこんな風に笑っていただろうか?
秋神は呆然と、去りゆく少女の背中を見つめる。
「秋神様が二つの顔を持つように、女も二つの顔を持つ。長命の女神様はお忘れでしたか? はっはっは!」
使いの場違いに明るい言葉が、酷く耳障りだった。
*
「……随分と幸せそうに眠っておられる」
「これでも控えられていますよ。直ぐに立たねばなりませんから」
「失礼ですがこうしていると、その方が神様だなんて忘れてしまいそうだ。失礼、良い意味で……です」
若い王に従者は警戒していた。春神と恋仲になった王のように、この王も秋神を狙っているのではないか? 酒と食事に良い気分になって、自分の膝で眠った秋神に……王が向ける視線が気に入らない。
「セレン様。貴女がこの方に、惹かれる気持ちがよく解る」
「ありがとうございます」
「ははは、これは手厳しい」
少女の冷たい受け答えに、王は苦笑い。視線を神から少女に移し……先程よりも熱い眼差しを此方へ向ける。そんな視線を向けられるなど初めてのこと。戸惑う少女に王は窓辺を指差した。
「少し夜風に当たりませんか?」
神の従者として生きて来た娘は、行く先々でその付属物と認識されていた。少女自身を見ようとした人間はいなかった。今度もそうだろう、そう思いながらも足は勝手に動き出す。主の頭には、自身の上着を枕に添えた。
「申し訳ありません……なんだか他人事に思えず、つい」
「……あの、話とは一体どのような?」
「かつてこの国には、貴女のように旅人神へ思いを寄せた者がいました。勿論相手になんてされませんでしたが」
「その方はどうされたんですか?」
「旅人神が寵愛していた神子を娶りました。心を奪えないのなら、恨まれることで……せめて記憶に留めさせたいと。そうすれば長い間忘れずにいて貰えると。なんとも愚か」
「それ以来我が国では、旅人神へ心を傾けることは禁忌とされ……神を軽んじたあまり、今度は夏神の怒りを買ってしまい、この有様です」
「…………それが私と、何の関係があるのでしょう?」
「秋神は、旅人神の中でも最も気まぐれです。秋神は実りと収穫、二つの顔を使い分けねばなりません。貴女を拾ってから、一つの顔を隠している。貴女は聞かされていないでしょうが、あの方は貴女をここに置いて旅立つと仰った。春の国でもう一つの顔になるためでしょう。その時、貴女に傍に居て欲しくはないのです」
「どうしてですか!? フォール姉様が、女神のままでいけない理由なんて……!」
「豊かな実りが続けば食料が増え、生命が増え、争いが生まれる。秋神が穏やかな顔でいる期間が長引けば、その後の戦もまた長引く。貴女のような孤児も増えることでしょう……貴女が彼女の傍に留まる時間が長いほど」
秋神がずっと穏やかなままではいずれ世に狂いが生じる。ましてや秋神の本質は気まぐれ。コロコロと変わる天候。一つの顔に固執してはならない存在。実りの女神の姿だけを保とうとすれば、世界にも神にも良くないことが起きる。秋神を思うなら、彼女から離れろと若き王は言う。
そんな王の説得よりも、少女に響いたのは――……争いの下りだ。
(……フォール姉様は私を置いて、戦いに行こうとした。また、戦神に戻ろうとした。私の知らないところで、私のような者を生み出し――……何食わぬ顔で、私の所へ帰ろうとした)
少女から家族を奪ったのは秋神。自身の命を救い、これまで寵愛を与えたのも秋神。
「……と、ここまでが建前です。もう一つの話をしましょう」
これまでの話は作り話だと、王は静かに笑った後……真剣な顔になる。
「理由は定かではありませんが、先王が秋神の怒りを買ったのは事実。私は王の直系ではありません。かつて我が国が破壊された時、全てが命を奪われています。しかし王には町家の娘との間に落胤がありました。……貴方はその娘によく似ておられる」
「な、何を言って……!」
「私はもう長らく王家とは交流のない遠縁も遠縁ですが、担がれ王となりました。そして……先王への反体制派は、王に連なる者の唯一の生き残りを生贄に捧げました」
「こ、ここが私の故郷だなんて、そんな……この国は夏神様に滅ぼされたのでしょう!? 名前だって違います!! 私の生まれは……“実りの国”」
「我が【名月の国】は、名を変えたのです……忌まわしき【実りの国】から」
夏の従者が引き起こす戦乱。地図は日々更新され、新たな国が滅びては生まれ……長く生きる者ほど小さな事は忘れてしまう?
(姉様は……私に全てを与えた。私から……全てを奪った。覚えていない? 滅ぼした国の場所も……? 誰を、どれだけ……殺したかさえ?)
忘れていたのは自分も同じ。幼い頃の記憶はあやふやで。思い出したくない過去で。秋神と過ごした美しい思い出で上書きをした。思い出すことで、大事な神を憎みたくなかったのだ。
「夏神と従者が行ったのは死体蹴りに過ぎません。顔を変えた秋神が。破壊神から実りの女神に姿を変えたフォール様が、我が国に来なくなるのは痛手です。例え厄災を招いた仇であっても。我々には彼女が必要でした」
「…………」
「セレン様。秋神を、永遠に貴女のものにしたくはありませんか?」
秋神への憎しみと思慕で、少女はどうにかなりそうだった。王は優しげに、美しい杯を少女に手渡す。
「これは我が国に伝わる話です。秋神の飲む酒に……彼女が愛した者の血を混ぜる。そうすれば、その血が途絶えるまで秋神はその血に眠り続ける。試してみたくはありませんか? 秋神が、貴女を愛しているかどうかを」
私の子孫が続く限り、秋神は【名月の国】に眠り続ける。そうして、かつてお前が滅ぼした国方の償いをさせる。
(もしも、フォール姉様が目覚めなかったなら――……私は憎しみを捨てられる)
一度抱いた憎しみは、簡単には消えてくれない。貴女は本当に私を愛して下さっていたのだと、貴女のことを唯――……慕うだけの私に戻れる。
「…………陛下。その話、謹んで承ります」
*
世界から、ある時秋が消えた。唯一国だけ。【名月の国】は大きく栄え――……他国は貧しくなったという。
程無くして、世界から春も消え――……夏と冬の悪魔のみが巡る、死だけの世界に変わってしまった。
『冬の悪魔』の物語は、第四領主・第五領主の正体……ひいては『高飛車なピエロ』に繋がっているので更新再開しました。7年ぶりです……時の流れって早いですね。更新を待ってくれていた方がもしいたのなら……本当にお待たせ致しました。申し訳ありません。
一番最初に頭の中で生まれた物語が冬の悪魔なので、大事に……このまま完結まで進めたいです。