11:『夏の悪魔』3:死の舞踏
夏神は日増しに荒れていく。自分を愛してくれたパクスを失った。掛け替えのない友キルシェを失った。
「主様……」
次女パクス……暴力亡き今、夏の娘は三人。長女エテレインは、離れた場所で主を心配そうに眺めていた。
春の国の隣国に、夏神と夏の娘達は引き取られ……国境間際に建った神殿に、夏の悪魔は住まわされている。表面上は親切な隣国の王。衣食住は完備されてはいるが、春の王のように心を尽くしてはくれない。ここにいるなら春の国に仇成すことも出来ると、戦争兵器のように扱われている。
「このような国が、夏の国と呼ばれるようになるとは」
「アエスタス様かわいそー」
強姦……略奪、もとい強奪を司る三女ハイレイン。歪んでいるとは言えまだ幼い笑みを浮かべた妹が、目を凍らせ歯を見せる。
「ここの王様、私の力で遊んであげる」
腹いせに王に不幸を与えるかと彼女は笑うが、戦争を司る末女ベルルムが首を振る。
「無駄です姉様。戦場は男だらけですもの。さほど抵抗はないかと。むしろ喜ぶだけですわ」
先にこの国の王に拾われたベルルムは、王の人となりをそう語る。小さな事では動じないハイレインも少し身体を退かせ、気持ちが引くのを表した。
「そっち系?……それじゃ若い女に襲わせる?」
「それも悦ぶと思います」
「両刀かよ……じゃあ老いぼれ爺と婆に襲わせる」
「それは名案ですね」
「いい加減にしろ!!」
普段は無口なエテレインも、口調を荒げてしまうほど、妹たちの会話は不愉快だった。彼女たちが主を慰めようとしているのは解っている。それでも何時もと同じで何時もと違うこの会話がどうしても、許せなかった。
(こういう時、怒鳴るのは何時もパクスだった)
暴力を司るあの妹。それでも彼女は……少なくとも私達の間の平和を守ってくれていたのだ。
(主様とて……ここまでお怒りになったことはない)
離れた場所に座した主から、感じる凄まじい熱。なんとか気を静めては頂けないか。このままではお側に仕えることもままならない。迂闊に近付けば、大火傷は確実だ。
(こういう時……お前なら)
あの妹ならば、一体どうしただろう?血の繋がりはないけれど、長い間共にいたのだ。姉妹の長女とは言え、エテレインも動揺を隠せない。
(私の力は暗殺……)
しかし神を殺すことは出来ない。精々この国か隣国の要人を殺め、再び大きな戦争の渦を作り出すことくらい。
「アエスタス様……」
*
どうして俺が生きているのか。神殿に座し夏神は……夏の悪魔は考える。
キルシェが散った。パクスが散った。死に行く花の美しさ。心惹かれて無理もない。
(俺は愚かだ)
無い物ねだりを続け、あの王を欲しがった。その結果、こんな自分を慕ってくれたあの娘を永久に失ったのだ。
あの王を手に入れれば、自分は変わる。夏の悪魔から夏の女神に反転し、人に愛される季節に変わるはずだった。しかしパクスは、夏の悪魔としての俺を慕った。忌み嫌われたこの俺を、ありのまま肯定してくれたのだ。
(ウェール……)
春の女神のことを、上に報告するべきか。否。ウェールにはあの国に長く留まった前科もある。今度こそ警告では済まない。上からの指令が届き、春の国には冬神が派遣されるだろう。そうなればウェールは死に、あの国は滅ぶ。キルシェとの思い出のあの国が。
(…駄目だ、報告は出来ない)
しかしそれを静観するには理由が必要。
そう、この戦争は永久に終わってはならない。相性として俺が負け続けることがあれば上に疑問を持たれてしまう。旅人神は、心を持ったなんとも人間くさい神。ならば大切な相手を二人も失った今の自分は、満足に戦えなくても仕方ない。
夏の悪魔は立ち上がった頃、既に日は暮れ夜が来ていた。悪魔は覚悟を決めて、神殿を去ろうとしたが……
「何事だ!?」
突如神殿の外から叫び声。夏神の声にバタバタと駆け寄るは末女ベルルム。
「エテ姉様が、ハイ姉様が!」
「あの二人が……?」
外を見れば戦場に吹き荒れる嵐、その中央であの二人が踊っている。
その風が向かうのは春と夏の両国。殺人事件と強姦事件が発生、一気に国は燃え上がる。
キルシェから玉座を奪った大臣の娘が、夏の国の兵に犯される。王となった大臣は怒り狂い兵を出す。
「許せない……っ、あの人との思い出のこの国を罪で汚すかっ!?」
春の女神も怒り狂う。それでもそれは八つ当たり。恵みの春が司るは恋と愛。無論その中には性愛も含まれる。でなければ、新たな命は生まれない。
しかしウェールは神である。人との間に子を成すことは許されない。天からそういう命令がある。地上に神の子孫が現れて良い時代は終わったのだ。それが火種を生むと神の長は理解した。
男神は呪いの力で人間に手を出すことが出来ないし、女神は子を宿した所で天から堕胎か死産を迫られる。結局愛しい王と結ばれることが叶わなかったウェールは、こうして怒り狂う。正しい愛を交わせない我が身を呪って、間違った愛を振りまいた罪人を呪って!
「何を考えて居るんだ!?早く戻れっ!」
滅びの狂気を操るのが破滅の姉妹達。こうして使い方を絞るなら、季節を操るだけの旅人神を凌ぐことも叶う。旅人神は、人の心を持った神。姉妹の力は神にも影響する力。
夏神が呼ぶは南風。二人を救うため、飛び出した先、ぞわと肌で感じる不気味な気配。
(これは!)
夏神を討てるのは秋の女神だけ。それでも……それでも、春が冬を退けることはある。完全に滅ぼすことは出来なくとも、撃退することならばある。
「行きなさいマルシア!アプリリア!マイアス!」
春の女神はこの日のために、神殿の巫女を呼び寄せていた。今呼ばれたのは、春の神殿を守る三人の巫女。
ハイレインは暗殺、エテレインは略奪と、人間を操る力はあれど本人達は強くなどはない。春神に仕え戦に長けた巫女が相手では……
夏神が二人の元へ辿り着くまでに、二人の用意した人間壁が破られて。
「春神っ、貴様っ!!あいつの民を、お前はっ!!」
「戦に犠牲は付き物です」
冷酷な顔を覗かせる春の女神。あの女は、破滅の力に操られた自国の民を切り捨てることも厭わないのか。
(キルシェ……俺は)
お前の国を守ろうとしたはずのあの女が、あの女の手下がお前の民を殺している。もう訳が分からない。
(俺は……)
俺はここを立ち去ろう。お前の民は殺さない。あの女とは違う。
(俺はもう、俺の従者を殺させたくない!それだけなんだ!)
両手で握りしめた死神の鎌。鎌が纏うは夏の太陽。その温度。灼熱の鎌から巻き起こる熱風が次々と人を吹き飛ばす。春神の神官など、敵ではない。
「退けぇええええええええええええっ!!」
「セプティリヴェーラ!オクティリヴェーラ!ノウェルヴェーラ!」
「ぐあっ!」
春神の喜色に満ちたその声に、俺の乗った風が消える。手にしていたはずの炎は冷たい風に消された。
夏神の周りを舞姫を追えば意識がかすみ出す。その後方、俺を哀れむような悲しい歌声は、子守歌のように優しく眠気を誘う歌。
(これは……)
これは春の力ではない。この、僅かに死の香りを感じさせる眠りの声は。女達の正体を思い出した頃には、俺の傍にひんやりとした冷たい剣があった。
「お覚悟を、夏神様」
冷たい視線の女騎士。その女に覚えはなくとも鎧を見れば思い出す。本能的に察知する、これは天敵の手下!これまで俺の前の俺達が、何度こいつらに取り押さえられ、あいつに殺されて来ただろう。
「おまえ達は……秋神のっ!?何故貴様らが春神に従う!?」
「実りの秋は、恵みの春があってこそ。花が咲き、緑が芽生えなければ……秋に収穫できる物など何もないのですよ、アエスタス」
「ウェール……貴様は、秋の神殿を脅したのか!?従わなければ二度と赴かないと言ったのか!?」
旅人神は世界各地にそれぞれ三つの神殿を持つ。世界には十二の神殿があり、それぞれが一つの月を奉る場所。春神の神殿は二、三、四月。夏神の神殿は六、七、八月。秋神の神殿は九、十、十一月。
本来神殿の巫女は神殿から出ることはない。ましてや戦場に出る者など……女神に仕える者くらい。悪魔と呼ばれる季節神の傍には、巫女であろうと悪魔を恐れ容易に近づけはしないのだ。破滅の四姉妹はあれでも同族。神の末端だからこそ、こうして傍に居られるのであって。
(血迷ったか、春神)
神殿の巫女を呼び寄せるとはなんたる愚行。
そもそも神殿は季節神が拠点として考える第一の場所。旅の中継点なのだ。春神を奉る神殿ともなれば、その来訪の回数も多くなる。つまりは神殿のある国は比較的栄えている。そんな国をだ。神殿の権力者が国を留守にする……その隙に他国に攻め滅ぼされないとも限らない。そこまでしてこの俺を討ちたいか。この国だけをお前は愛するのか。
「貴様はっ……神から女に成り下がるのか春の悪魔っ!!」
戦女神と呼ばれたお前とて、血生臭い話は駄目だろう。そもそもお前は冬を討つため、夏を退けるための戦いしかしてはならない存在だ。それが人を率いて戦を先導するか!?人の世にそこまで関わる権限など俺達は持っていない。司るは季節のみ。
こんな大騒ぎ。いい加減、上に気付かれる。神の位を剥奪されかねないぞと脅しても、春神は破滅の姉妹に殺意を向ける。
「お前はもっと苦しむべきなのです、アエスタス」
「何を!?」
「私は愛した人を失った。お前が失ったのは小娘一人。お前が真摯に愛してきたわけでもない娘が一人!死んでからようやく省みた程度の相手っ!私のあの人とは釣り合わないっ!」
日を置いて、怒りが静まったのではない。パクスの命で贖えたのは、時間だけだった。
「春が来るっ!恋をするっ!皆が幸せになるっ!それでも私は不幸なままっ!私の恋は返らないっ!」
普通の人間の娘みたいに、この恋を叶えたかった。実を結ばせて新しい花を咲かせたかった。人の形を持ちながら、人の心を持ちながら、人に接することが出来ないこの悲しさ。どんなにか辛いだろう。それだけなら俺にも解る。それでも俺にも解らないことがあるのだ。今、お前がしていることだ。
「ウェール……」
「どうしてっ!?どうして私からあの人を奪ったの!?そんなの許せるはずがないっ!!」
四姉妹は全員殺す。それからお前も殺すのだと笑った女神。
手にした春風のフルートが形を変えて、鎌になる。それでもその柄はまだ楽器の機能を残しているのか、春風は歪なメロディーを奏で出す。名前だけなら聞いたことがある。あの形状、あれは終焉のフルート。春女神の悪魔化が始まっている証。憎い敵を討つまで、彼女は女神に戻れない。この俺が、殺されるまで。
(だが、春神には俺を殺せない。秋の巫女を従えたところで、俺を殺せはしないのに)
精々、半殺し。眠らせるくらいしかできない。
(ああ……)
しかし、俺は死ぬのだ。俺という人格、俺の記憶……大事な思い出、何もかも。キルシェのこと、パクスのこと。他の破滅の姉妹達のこと。目覚めた俺は思い出せない。あいつらから与えられた優しい記憶、全てを俺は眠りに奪われてしまう!
終焉のフルートに春の女神が口付け、息を吸う。花を咲かせる、命を芽吹かせる女神が反対のことを始めたのだ。その姿はもはや女神などではない。美しき蝶の羽を纏ったその悪魔。可憐な花の蜜吸い、命を枯らして殺す、春の悪魔だ。
敵味方もお構いなしに、次々と人が倒れていく。巫女達も従わざるを得ないのだ。女神が正気に返るには、俺という生贄が必要なのだ。
(だがっ……!)
「きゃあっ!」
剣を向けていた巫女が悲鳴を上げる。それもそのはず。狙っていた喉元の位置がおかしい。いやそもそも、そこに男の姿はない。
「ね、猫!?クロヒョウ!?」
突然現れた獣を前に、巫女は恐れ戦き後ずさる。
死神となった季節神には、それぞれ人型ではない本性がある。夏神は人の姿を保つことを止め本性を現したのだ。夏の悪魔の本性は、ライオンほどある巨大な黒猫。走り出した悪魔の前に何万匹という鼠が現れる。これは悪魔が召喚した災い。その一匹一匹が病をふりまく病原菌。戦場を駆け回って、次々に人間達を齧っていく。悪魔は走り、鼠を追い立て戦場を混乱の渦に陥れる。
「きゃあああああ!鼠っ!」
「嫌ぁああああ!こっち来ないでっ!」
神殿の巫女達も、これには驚き退いた。
逃げろ逃げろ。黒死病になりたくないならな。鼻で笑って悪魔は跳んだ。そして姉妹の元まで駆けつける。
「乗れっ!ハイレイン!エテレインっ!」
「アエスタス様!」
「背に乗る分には問題ない!乗れっ!早くっ!」
「しかし……」
「よく、俺の友の仇を討ってくれた。後で幾らでも褒めてやる!」
渋る姉妹を背に乗せて、夏の悪魔は走る。後一人。ベルルムを迎えに行って、またあてのない旅を始めるのだ。
帰る家などなくとも、それはそれで楽しいだろう。これまでそう思えなかった自分の心が貧しかったのだ。それをようやく俺は学んだ。
キルシェに遠慮などしない。もうあいつは死んだ。昨日に囚われ、今日も新たに失うのであればそれはあまりに愚かだろう。友の民を殺してでも、俺はもう俺の従者を失いたくない。
終焉のフルートに負けぬよう悪魔は大声で唸る。散らせた鼠たちにも歌わせる。鼠に齧られた人間達の悲鳴で終わりの歌を掻き消そう。
(例え俺が死のうとも……っ、これ以上!俺の従者を死なせるものか!!)
退路を阻むよう現れた春の悪魔は、もう女の姿もしていない。愛された季節ではなくて、もう人から見放された哀れな悪魔。それでも哀れみなどしない。夏の悪魔は炎のように赤い瞳で、それを睨み付けた。
夏の悪魔のお話、3話目。
冬の悪魔は脚本シリーズの双子の悪魔に繋がる話なので、時々書いて行きたいな。
冬の悪魔の話は決まってても、他の三つの季節の掘り下げがまだ自分の中でいまいちなので……。
夏の悪魔は割と決まってるんだけれども。