揺れるビート
恋愛を癒すには、恋愛しかないのだろうか?
そんなことを、無意識の奥で俺が考えている頃。
家に帰った美佳は、二階にある自分の部屋でドラムを叩いていた。
部屋のほとんどを占領するドラムセットの真ん中で、激しくビートを刻んでいた。
正確にリズムを刻んでいたのに、途中でバラバラになり、無茶苦茶になった。
まるで憂さ晴らしのような音に、自分自身の苛立ちを感じた美佳は、スティックを置いた。
まだ反響するシンバルを止めることなく、甲高い音を鼓膜の奥で聴いていた。
「やっぱり…やらないのかな…」
美佳はドラムセットから抜け出すと、部屋の隅に追いやられたベッドに倒れ込んだ。
ピアノとドラム…。
ピアノができたら、何でもできるし、需要の少ないドラムを叩けるようになっていたら、太一がバンドをやりたいと思った時、どんな場合でも対応できる。
そんな状態を一年近く保っているのに、肝心の太一がやろうと言わない。
それどころ…太一の心は、自分に向いていないかもしれない。
「馬鹿みたい…」
ドラムセットを見つめ、美佳は呟いた。
意気込んで買ったドラムセットも、虚しく見えてきた。
「買うんじゃなかった…」
ぽつりと呟いた時、 美佳の携帯が鳴った。
「…で?お前は、片桐が好きなのか?」
次日、登校してきた俺の姿を見つけると、正利は俺の腕を取り、屋上まで連れてきた。
屋上のドアを閉まると、振りほどくように俺の手を離した。
「な、何だよ」
突然連れて来られて、訳がわからない俺に言ったのが、上の言葉だった。
「好きなのかときいてるんだよ」
少し苛立つように…そして、呆れながら言う正利の真意を、俺は理解できなかった。
だから、一応素直にこたえた。
「ああ…」
頷く俺を見て、正利は頭を抱えた。
「やっぱり…そうか…」
正利は俺から離れ、屋上のフェンス越しに登校してくる生徒達を見下ろした。
そして、ため息とともに、呟くように言った。
「やめておけ…」
「え?」
聞こえなかったので、俺が聞き返すと、正利はフェンスの網に指を入れ、握りしめた。
「ったくよ!」
フェンスを揺らすと指を離し、俺に振り向いた。
「言いたいことは、たくさんあるけどよ!まずは、一つ!」
正利はフェンスにもたれ、
「らしくないぜ。昨日、駅前で、片桐に声をかけただろう。普段は、奥手のお前がさ!」
吐き捨てるように言い、
「今朝来たら、クラスの女にきかれたよ。お前と片桐のことをさ。香川なんか…泣いてたぜ!ああ、畜生!羨ましいことだ!」
そこまで言った後、フェンスから離れ、俺の目を見つめた。
「悔しいけど…お前は、モテんだよ。だから、片桐はやめておけ」
「はあ?」
正利の言う意味がわからなかった。
俺は顔をしかめ、
「どうしてだよ!どうして、そんなことを言うんだ!」
声を荒げてしまった。
そんな俺を、じっと見つめた後、正利は頭をかきながら、ゆっくりと近づき、
「確かに、片桐は綺麗だよ。それは、認めるよ!だけどな…」
俺の肩に手を置いた。
「綺麗過ぎる」
「は?」
俺はさらに顔をしかめた。
それのどこが、悪い。
まさか…。
それだから、俺とは釣り合わないとでも言いたいのか。
頭にきて、俺は食って掛からうとしたが、肩をぎゅっと掴む…正利の力に、なぜか反論できなくなった。
「太一…」
正利の口調が、優しくなった。
「な、なんだよ」
予想外の正利の変化に、俺は怒れなくなってしまった。
「悪いことはいわない」
正利は初めて、視線を外した。
掴む手の力だけが、強い。
「片桐の綺麗さは…高校生の綺麗さじゃ…ない。それに、あの美しさは」
正利は目を瞑った。
「正利?」
俺は、正利の様子がおかしいことに気付いた。
腕が震えていた。
「太一…」
顔を伏せだした正利は、絞り出すように、言葉を吐き出した。
「俺の姉貴に似ている」
「え」
正利の言葉に、俺は唖然となった。
「死ぬ前の…姉貴に似ているんだ」
正利の姉貴は、自殺していた。
正利に似ず…綺麗な姉貴だったらしい。
しかし、その美しさが災いし、彼女は自殺した。
男には人気があったが、女には嫉妬されたらしい。
その姉貴が、自殺する前の数日は、弟の正利が見ても、美しかったらしい。
ゾクッとする程に。
それは、俺が正利と出会う前の話だ。
教室で、女の美しさを語っていた時に、正利が突然、話しだしたのだ。
(すべてを捨てて…何もなくなった時…心の荷物だったのかな…それをなくした時の女は、美しいよ…。だけど、そこに未来はないんだ)
そんな言葉を思い出している俺の肩を叩き、正利は離れた。
「わかったか?」
少し距離を取った正利は、しばらく俺をじっと見つめてから、おもむろに口を開いた。
「昔のお前の目も…姉貴に似ていたよ」
「え?」
予想外の言葉に、驚く俺にフッと笑いかけると、
「だから…俺と友達になったのかもな」
悲しげな目のまま、俺に背を向けた。
「片桐は、やめておけ…。また、すべてを失うぞ」
そう言って去っていく正利。
「正利…」
俺は正利には、昔のことを話していない。
だけど、何かを感じ取っていたのだろう。
「瞳の色…」
俺は瞼を閉じると、そっと瞳に手を当てた。
自分の色など…気にしていなかった。
俺の色は…片桐に似てたのか。