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壁は、触れる唇の向こうにある

美佳と離れた後、俺は走り出した。


勿論、片桐を追う為だ。


つまらないことで、時間を使ってしまった。


でも、まだ駅にはついていないはずだ。


走れば、間に合う。


俺は、帰る生徒達を追い越しながら、片桐の後ろ姿を探した。


自転車通学をしている可能性もあったが、なぜかそれは考えなかった。


なんだろう…。


片桐には、自転車通学は似合わない。


そう感じていたからだ。



しばらく、走っていると、俺の目は片桐の背中を見つけた。



なぜだろう。


片桐の後ろ姿は、他の生徒達とはどこか違っていた。


落ち着いているからか。


俺はダッシュし、前を歩く片桐を追い越した。



一応、追い越す時、俺は確認の為、横目で片桐の横顔を確認した。


前を見て、凛として歩く片桐の横顔は綺麗だった。



誰よりも。


誰が見ても、美人と言うだろう。


なのに、俺が心を奪われたのは、その美しさではなかった。


俺ははっとした。


すれ違った瞬間の瞳の奥にあるもの…。


また…あの瞳だ。


俺は、足を止めることができずに、 片桐を追い越してからも、しばらくは走ってしまった。


駅のすぐそばまで、全力で走った俺は、急いで電車に乗りたいだけの生徒に見えただろう。


だけど、俺は足を止め、反転した。


学校の方を睨むように見つめる俺の後ろを、電車が横切っていった。


息を整えながら、俺の目は…近付いてくる片桐だけを見つめていた。


最初は、その視線に気づかなかった片桐も、仁王立ちのように立つ俺の存在に気付いた。


と同時に、俺の目が自分を見ていることにも気付いた。


だからといって、片桐は足を止めることはない。


対角線上にいる俺を避けることもない。


ただ自然に、少しだけ横にずれると、俺のそばを通り過ぎる。


声をかけようとしたが、俺の口から言葉が出ない。


体の自由もきかない。


この瞬間、俺は本当に彼女に惚れてしまったのだろう。


そのことに、その瞬間の俺は気づかない。


ただ…片桐に声をかけなければと、気持ちだけが先走っていた。


片桐が、俺から通り過ぎた…長い数秒後、やっと体が動いた。


「片桐!」


また呼び捨てにしてしまった。


さっきもそうだが、俺と片桐の間にはクラスメイトという接点だけで、話したことはない。


普通なら、聞こえなかったフリをして、そのまま改札を通ってもいいはずなのに…。


片桐は足を止め、俺の方に顔を向けた。


「何?」


少し冷たい言い方だけで、そこに刺はなかった。


だから、俺の足は動いた。


片桐に近づきながら、笑顔を作り、


「いっしょに帰らないか?」


軽く言ってしまった。


さっきが、気をつけて帰れで、今はいっしょに帰ろうか…。


捻りがない。


だけど、それしか言えなかった。


片桐は目を丸くして、近付いてくる俺を見た。


「いっしょに帰らないか?」


もう一度、言ってみた。


軽く言ってみたつもりだったけど、顔が強張っていることに気付いていた。


表情を作る余裕がなかったのだ。


でも、真っ直ぐな気持ちだけを伝えたかった。


そんな俺に、片桐は苦笑した。


「積極的ね」


「え!あっ…え…」


笑われたことが予想外で、しどろもどろになってしまった。


そんな俺の様子に、今度はふきだした。


「ええっと…」


俺は、何も言えなくなってしまった。


そんな俺に、赤い定期入れから定期券を抜くと、片桐はそれを示し、


「わかったわ。いっしょに帰りましょう」


にこっと微笑んだ。


「…ありがとう」


あまりにスムーズな展開に、俺は逆に照れてしまった。


片桐は俺を見つめながら、


「ところで…線はどっちなの?あたしは八瀬方面だけど…」


定期を通した。


「お、俺は…」


ここで、定期を通そうとして…動きが止まった。


定期が切れていたのだ。


明日買う予定で、今日は自転車で、時間をかけてきたことを…思い出した。


改札の向こうで待つ片桐に、俺は情けない顔を向けた。


別に自転車を置いて、電車で帰ってもいいのだけど…、今日は、持ち合わせもなかったのだ。


ほぼ無一文の俺は、頭をかきながら、片桐に顔を向け、


「ご、ごめん…。いっしょに帰るのは、あ、明日で。教室に忘れものしてさ〜。あはは…」


愛想笑いをしながら、後ろ足で下がると、


「ごめん!」


そのまま…逃げるように、改札から離れた。


もう…片桐の顔は見れない。


情けない自分を悔やみながらも、俺は全力で走った。


ない忘れ物を、取りに帰る為に。


正門に着くと、中から自転車をこぐ美佳が出てくるところだった。


美佳は、俺に向かって舌をだした。


「?」


眉を寄せる俺の横を通りすぎると、駅とは反対側の方へ曲がっていった。



「な、何だよ…」





自転車置場についた俺は、自分の自転車のサドルに貼られた紙に気付いた。


その紙には、馬鹿と走り書きで書かれていた。


貼り紙を外すと、くしゃくしゃに丸めて捨てた。


「ったく!」


毒づきながら、サドルに股がると、俺は自転車をこぎだした。


自分自身の情けなさを噛み締めながら、一時間以上はかかる道程を走り出した。


「こんなときに、定期が切れているなんて」


駅と反対側にある国道にそって、帰らなければならない。


正門を出ると、制服の内ポケットに入っている携帯を取りだし、時間を確認した。


「こんな時間か…」


俺はため息をついた。


駅までの往復や美佳とのやり取りで、時間を使ってしまった。


いつも帰る時間より、二十分遅い。


自転車通学の時は、早く帰らなければならなかったのに…。


「どうしょうかな」


俺は自転車を走らせながら、悩んでいた。


去年までは、雨の日以外は自転車通学していた。


時間はかかったけど、お金はかからない。


それに…国道のそばに、彼女だった人の働く店があったからだ。


その店を避け、さらに心臓破りの坂を避ける道もあった。


しかし、国道を外れると、さらに二十分くらい遠回りをすることになる。


行きは坂も下りだし、店もやっていない。


二十分前なら、まだ準備中だから、会うことはない。


遠回りをすることも考えたが、国道を外れたら…ほとんど街灯がない。


真っ暗な道をひたすら走るだけである。


それに…。


これが一番だが、なんか…逃げてる気がして嫌だった。


だけど…。



「行くしかないだろ!」


俺は、自転車を立ちこぎしだした。


店の前を通るのは、一瞬である。


それに、反対側の歩道を走れば、気づかれない。


そう…気づかれない。


なのに、俺は…。


店の前を通った。


開店したばかりなのに、店の中に客はいた。


客が座るカウンターの向こうに、彼女だった人はいた。


一瞬だったけど、俺の目は確認していた。


唇の色が違う。


一瞬なのに、俺は…俺が知る彼女との違いに気付いた。


派手な色だから、彼女の顔の中で浮いていた。


(結婚したという…男の趣味か…)


前の方が、似合っていたのに。


だからと言って、変えさせる権利はない。


「結婚しても…働かせているんだ」


もういないかもとも思っていたが、ガラス越しの店内で見つけることができた。





「そうか…」


一つ目の軽い坂を登りきった時、なんだろう…なんというか…心がすっきりしていることに気付いた。


何だかんだいっても、元気ならそれでいい。


あんなに近かった唇も、今は別の色になっていた。


そんなことを考えるよりも、俺の目は坂から見える…鉄橋を見ていた。


その上を、電車が走っていた。


「片桐…」


俺の口から、言葉がこぼれた。


勿論…今の電車には乗っていない。


片桐を乗せた電車は、大分前に渡っているだろう。


なのに、片桐が帰る方向と同じ電車を見ると、胸が切なくなった。



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