それから....そして
バックで叩きながら、美佳は涙していた。
俺の歌は…明らかに練習より上手かった。
その理由は、簡単だった。
その歌を聴かせたい人物がいるからだ。
温かく…素直な歌声は、さっきまでのバンド達にもなかったものだった。
目立つ為や、楽しみたい、聴かせたいではない。
聴いてほしい。
そこは、押し付けがましい気持ちはなかった。
(本当に…好きなんだ)
美佳はミュージシャンとして、ドラムは叩き続けたけど、橘美佳としては…目をそらしていた。
我慢できない。
一曲でよかった。
それ以上は叩けなかった。
絶対に。
天へと昇天するような温かい光を感じながら、演奏は終わった。
俺は思わず、天井を見た。
何かが天へ浄化されたように感じた。
温かい拍手が、視聴覚室を包んだ。
そんな中、ドラムセットの中で、1人…嗚咽する美佳に近づき、俺は言った。
「ありがとう」
だけど…顔を伏せ、泣く美佳はこたえなかった。
「美佳…」
スタンディングオペレーションとなった視聴覚室は、拍手が鳴り止まない。
俺はもう一度、ステージの前に行き、頭を下げた。
「片桐!」
ライブが終わり、生徒達が帰る中、俺は片桐を探した。
アンコールは、美佳が叩ける状況ではなくなったので、演奏されなかった。
「神谷くん」
外の廊下に、片桐はいた。
「片桐!」
俺は片桐に駆け寄った。
「よかった」
片桐は、俺に微笑んだ。
「確かに、幸せになれる歌だった」
「ありがとう」
片桐からの言葉が一番、嬉しかった。
俺も笑顔になり、少しだけ片桐に近付いた。
「もう少し待ってて、一緒に帰ろう」
「それは、駄目よ」
「え」
予想外の片桐の返事に、俺の思考は止まった。
片桐は、俺から視線を外すと、
「橘さん...泣いてたね」
少し深呼吸し、
「今回のライブは、橘さんがいたから...歌えたんでしょ?」
俺に顔を向け、目を見つめた。
「....」
その瞳の強さに、俺は息を飲んだ。
「行ってあげて」
「片桐」
「ちゃんとお礼をいわないと」
俺は、いつもと違う片桐の瞳の色に魅了され...断ることができなかった。
「わかった」
頷いた俺は、片桐に背を向けて、走り出した。
「馬鹿ね..」
俺の背中を見送りながら、片桐は自分に向けて呟いた。
今日だけよ...と言いたかったのに。
いえ...。
本当は、行かしたくなかった。
視聴覚室に背を向けて、歩き出す片桐の頬に涙が流れた。
その涙を指で拭い、確認した片桐は...笑った。
「ほんと....馬鹿...」
後悔しながらも、片桐は嬉しかった。
まだ...涙を流せる自分に。
「美佳!」
力強く開けた控え室のドアの向こうに、美佳はいなかった。
気分が悪いと先に、帰ったらしい。
俺はバックをつとめてくれたメンバーに、ありがとうございますと頭を下げると、控え室を出て、美佳の後を追った。
多分、自転車置き場だ。
特別校舎をでて、真っ直ぐに向うとした俺は慌てて、足を止めた。
なぜなら…目の前に美佳がいたからだ。
腕を組み、校舎の出入口の前で立つ美佳は、真っ直ぐに俺を見つめ、
「かけてたんだ…。太一が、ここに来るか…来ないか。もう後、10分待って来なかったら、おれは帰ってた。そして」
ゆっくりと近付いて来た。
「もう…あきらめるって」
「え」
何のことかわからない俺の反応に、美佳は顔をそらし、
「片桐さんが…来てたよね」
「ああ…」
話題が変わった。
美佳は唇を噛み締めると、顔を上げた。
「あの曲も片桐さんの為だったんだ」
美佳の瞳が、涙で揺れていた。
ああ…そうか。
俺は心の中で、頷いていた。
この時が来たんだと。
俺は…卑怯だった。
あの人と別れた時、美佳に優しさを求めたのだ。
それは、無意識だったけど、残酷だった。
いつも、いつも…美佳には、残酷だったのだ。
なぜなら…俺は、美佳を一番には愛せないから。
それなのに。
「だとしても、おれは!太一のことを!」
さらに近付き、すがりつこうとする美佳を、俺はよけた。
「ごめん…。俺は、片桐が一番好きなんだ」
よけながら、何とか口にした言葉から、美佳は逃げるように走り出した。
だけど、追うことなんてできない。
「本当に…ごめん」
呟くように言った俺の前に、総司がいた。
総司は俺を睨んだ後、何も言わずに走り出した。
美佳が消えた方に。
「そうか…」
俺は改めて、総司の美佳への思いの深さを知った。
そして、それを邪魔していたのは、俺だと言うことも。
「頑張れ…」
俺は総司の後ろ姿に、呟いた。
そして、大きく深呼吸した後、俺も走り出した。
たまらなく会いたい人の許へ。
「太一の馬鹿!」
涙を流し流しながら、走り疲れた美佳に総司が駆け寄った。
「橘!」
総司の声に、振り返った美佳は残念そうな顔をすると、歩き出した。
戸惑いながらも総司が、一生懸命何か話しかけているが、美佳は無視した。
それでも、側から離れない総司は、美佳の少し後ろを歩き出した。
そんな美佳達を、道の外れから姿を現した正利が見送っていた。
「まあ〜大丈夫だろ」
頭をかきながら、美佳達から視線を外すと、今度は俺が消えた方をしばし見つめた後...一人、正門に向って歩き出した。