ギフト
「もう…始まってるかな?」
携帯で時間を確認しょうとして、俺は頭を抱えた。
「電池が切れてる…」
休日の土曜日を利用して、学校の許可を取り、一般にも解放されたライブだが、わざわざ来る人は少ない。
学生も少なかった。
なのに、俺は緊張していた。
渡り廊下から、誰もいないグラウンドを眺め、
「学校って…誰もいなかったら、学校って感じがしないな」
呟いた。
まあ…校舎内のどこかには、いるのだけど。
緊張してる癖に、疲れから…生欠伸をしてしまった。
大口を開けた俺の耳に、クスクスと笑い声が聞こえた。
声の方に振り向くと、制服姿の片桐がいた。
「あっ…」
俺は慌てて、口をふさいだ。
「今から本番のボーカリストが、こんなところで…ぼおっとしてるなんて…」
片桐は渡り廊下の手摺にもたれると、 頬杖をつき、
「余裕ですな」
笑顔を向けた。
「よ、余裕なんて…ないよ」
俺は、普段と変わらない片桐をじっと見つめた。
俺の視線を感じ、片桐は自分の体を確認した。
「何か…ついてる?」
埃でもついてるのかと、全身をチェックする片桐に、 俺はため息をつき、
「制服…。休みなのに…」
見に来てくれると思っていたけど…だとしたら、私服だろと期待していた俺の思いは、砕け散った。
「はあ〜」
深くため息をつく俺を、片桐は頬杖をやめると指差した。
「神谷くんも、制服じゃない!」
「お、俺は…一応、学校の行事に参加するから」
土曜日に視聴覚室を貸し出すからといって、生徒に私服を許す学校ではなかった。
でも、それはイベント参加者だけであって、休みの生徒には適応されていない。
いないのに…。
私服ではない片桐に、俺はがくっと肩を落とした。
「べ、別に…いいじゃない!」
片桐はなぜか…恥ずかしくなって、両手で制服を隠した。
俺は、そんな片桐な様子を見て、これはこれでいいか…と思ってしまった。
恥じらう片桐も、かわいい。
ひとしきり…かわいい片桐を見つめた後、俺ははっとした。
「もうすぐ…ライブだ」
テンションの下がる俺に、片桐は目を丸くした。
「行きたくない」
ポロッと出た本音に、片桐はため息をつくと、俺に近づき、
「おい!そこの少年!わざわざ呼んでおいて、それはないんじゃあ〜ないのかな」
少しお姉さんぶった片桐の言い方に、俺は驚き…笑った。
「ごめん、ごめん…そうだよね」
俺は笑いながら、グラウンドの方に顔をやった。
すると、いきなり頬に柔らかいものを感じた。
「え」
片桐が、俺の頬にキスをしたのだ。
突然のことに固まってしまった俺の耳元で、片桐が囁くように言った。
「頑張れ」
ゆっくりと俺から離れると、片桐は笑顔を向けたまま、俺に敬礼した。
「少年の健闘を祈る」
と言うと、片桐は手を振りながら、俺に背中を向け、一足お先に視聴覚室に向かった。
片桐の唇が触れた頬に手を当てながら、俺は渡り廊下から離れていく…片桐の後ろ姿をぼおっと見送った。
「い、いくか!」
しばらくして、はっとした俺はゆっくりと頬から手を離すと、思い切り背伸びをして、歩き出した。
もう緊張はない。
あるのは、片桐に対しての思いだけだ。
あとは…それを歌に乗せるだけ。
君に向けて。
結構足が速いのか…もう視聴覚室についた片桐は、躊躇うことなく、扉を開けた。
音が漏れないように、頑丈な作りになっている扉を閉めると、ライブハウスと化している音の空間が広がっていた。
ちょうど演奏が終わったところで、バンドの入れ替えが始まった。
次のバンドはドラマーがいる為、美佳はセット内から立ち上がると、何気なくステージから、上を見上げた。
すると、美佳の目に、客席と化した席達のちょうど真ん中に座ろうとする片桐の姿が飛び込んできた。
ステージの前列は関係者で埋まっており、片桐が座った中央が…客が座っている最後列となる。
美佳はスティックを握り締めると、ドラムセット内から飛び出した。
そして、真っ直ぐに階段をかけ上った。
「橘!結構良かったぞ」
最前列に座る正利が、ステージを降り近づいてくる美佳に声をかけたが、 思い詰めたような表情をした美佳には聞こえなかったようだ。
そのまま横を通り過ぎた美佳に、正利は首を傾げながら目で追った。
「なんだ?」
正利の隣に座る総司も、心配そうに目で美佳を追った。
席についた片桐の横に、美佳が立った。
「か、片桐さん…」
何とか絞り出したような声に、片桐は驚き、
「はい?」
美佳の顔を見た。
真剣な表情と、真剣な眼差しが、片桐を射ぬいていた。
片桐は少し…首を傾げた。
美佳はしばらく…片桐を見つめた後、おもむろに口を開いた。
「少し…話があるの」
その頃、渡り廊下を出た俺は視聴覚室に向かっていた。
片桐と美佳が、二人で出たことを俺はまだ知らない。
俺は視聴覚室の扉を開け、中を見た。
俺が参加するバンドの一組前であるメタルバンドが、演奏していた。
耳をつんざく爆音に、一瞬顔をしかめ、観客を確認したけど…片桐はいない。
「あれ?トイレかな?」
俺は扉を閉めると、控え室となっている隣の空き教室に入った。
「おはようございます」
次の出番の準備をしているバンドのメンバーに挨拶したけど…美佳がいない。
「あれ?」
俺はその時も、二人がいっしょにいるとは考えなかった。
美佳と片桐。
同じクラスではあるけど、彼女達が話すことはないと思っていた。
接点がないからだ。
しかし、そのないはずの接点が…自分であるとは、思ってもみなかった。
青空の下、美佳と片桐は屋上にいた。
美佳に先導され、屋上に足を踏み入れた片桐は、雲一つない晴天に目を奪われた。
先に屋上に入った美佳は、片桐に背を向けて…空ではなく、足下のコンクリートに視線を落としていた。
美佳は一度目をつぶると、顔を上に上げ、
「こんなふうに…片桐さんと話すとは、思わなかった」
瞳に映る青空も、美佳の頭には映らない。
振り向き、美佳は片桐と対峙する形になった。
「本当は…じっくりと時間をかけて…話したかったけど…」
美佳は、片桐を見据えた。
「…」
何を言われるか…わからなかった片桐だけど、薄々感じていた。
だから、素直についてきた。
美佳から視線をそらすことなく、彼女から向けられたものは、すべて受け止めるつもりだった。
美佳は一度、深呼吸した後、おもむろに言葉を吐き出した。
「太一のことをどう思ってるんですか?」
「太一?神谷くんのこと…」
片桐はそれ以上、何も言えなかった。
そんな片桐を睨みつけ、
「お、おれは!あいつをまた…不幸にするやつがいたら…絶対、許さないからな!」
口調は強いけど、涙でぐちゃぐちゃになった美佳の顔に、片桐は言葉を飲み込むしかなかった。
「それだけは…憶えていてくれ!」
美佳はそれ以上…何も言えなくなった。
止まらない涙が、悔しかった。
片桐に、涙なんて見せるつもりはなかったのに…。
美佳は涙を拭いながら、片桐の前から駆け出した。
立ち尽くす片桐の横を通り、ドアを開けて、階段をかけ下りた。
そして、一番近くのトイレに飛び込むと、美佳は泣いた。
土曜日の為、誰もいないのが幸いした。
声を出して、泣く美佳に気づく者は…誰もいなかった。
次のステージが始まるまで、涙はすべて流さなくてはならない。
そうしないと、太一の後ろで叩けない。
彼は自分ではなく、前に向かって歌うのだから。
「そっか…」
片桐は…振り返ることもなく、しばらく美佳が立っていたところを見つめていた。
彼女の言いたいことは、わかった。
どんなに、彼のことが好きなのかも。
それなのに…美佳には、悪いと思う気持ちが湧かなかった。
彼女の気持ちは痛いくらい、理解はした。
だけど、譲る気はなかった。
「そうなんだ…」
片桐は自分の胸を抱き締めて、目をつぶった。
自分では気付かないように、そうならないようにしていたのに、 美佳の告白で…逆に気付かされた。
「そっか…」
片桐は振り向くと、屋上の扉に向かって歩き出した。
不思議と…嫌とか、嫌悪感はなかった。
そんな気持ちを持ってしまった自分自身に対しても。
そのことに一番…驚いていた。