彼女
日光の下にいる…気難しい顔をした三人を見た瞬間、 俺の笑顔は消えた。
つまらないことを言われるな。
覚悟できていたけど、 面と向かって…そいつらの口から言われたら、やはり気分はよくない。
「率直に、きくぞ」
正利は、俺が屋上に顔を出した瞬間、近付いてきた。
渋い顔をした正利よりも、その肩越しから感じる美佳の視線に気付き、俺は目をそちらに向けた。
すると、すぐに美佳は視線を外した。
「…」
俺は、言葉にはできないものを感じて、軽くため息をついた。
「お前は、何を考えているんだ」
正利の強い口調も、どうでもよくなった。
「すまない」
俺は、三人に背を向けた。
「太一!」
俺は正利の声を無視して、屋上から出ていった。
急いで、階段をかけ降り、俺はできるだけ、屋上から離れてることにした。
あのまま、あそこにいれば、何かが壊れる…そんな気がした。
「何…逃げてんだか…」
自分自身に毒づきながら、俺は校舎から飛び出した。
やつらがいる校舎から、離れたかった。
一番近い外への出口へ走った。
そこは、渡り廊下だった。
屋上と同じ日差しなのに、なぜか…少し心が軽くなった。
背伸びをした俺の体を、風が吹き抜けた。
「あっ」
俺は腕を、太陽に向けたまま…動けなくなった。
「うん?」
渡り廊下の手摺に頬杖をついていた生徒が、俺に気付き、微笑んだからだ。
「片桐…」
予想外の片桐との遭遇は、俺の心臓を止めた。
(畜生〜)
俺は心の中で、 感嘆した。
離れて見る片桐は、あんなに触れあった昨日よりも…綺麗に思えた。
俺は、まだ…気づいていない。
自分自身の本当の気持ちに。
悲しみを忘れる為に、恋をするのではなく、 愛する女を大切にする為に、恋するのだ。
例え、傷つくことがあっても、愛するという気持ちが…俺を勇気づける。
この時、 俺の心の底で、 俺は誓っていた。
この愛しく…大切な人を守りたいと。
「よお」
軽く挨拶し、片桐に近づく…一歩一歩が、さっきまでと違うことに、俺はまだ気付いていない。
「何してるの?」
俺が少し緊張しながら、片桐に話かけると、 彼女はクスッと笑い、
「見ての通り…ぼおっとしてるだけ」
手摺から手を離し、背伸びをした。
「1人で?」
俺は、流れるような片桐の体の線に目がいった。
「そうよ」
背伸びを終え、俺を見た片桐から、 思わず視線をそらした。
「という…神谷君も1人じゃない。どうしたの?」
「た、たまにはさ…1人もいいかなって」
「たまにはねえ〜。いつも1人のあたしに対する嫌味ですかな?」
「え?」
俺は驚き、片桐を見た。
少し睨むような片桐の目に、俺は焦ってしまった。
「あ、その…ご、ごめ」
「冗談よ」
謝ろうとした俺の言葉を、片桐は遮った。
そして、俺から視線を外し、昼休みのグラウンドを見た。
もうすぐ昼休みも終わるから、グラウンドから引き上げていく生徒が多い。
「な、何だ…冗談かよ」
片桐の横顔を見つめながら、俺は胸を撫で下ろすフリをした。
本当に…冗談だろうか。
俺に対しては、そうだろうが…自分自身に対しては違うような気がした。
触れることのできない…ガラス細工のような彼女に、 俺はゆっくりと近づいた。
(そう言えば…誰かといるのを見たことないな)
別に、取っ付きにくい訳ではない。
話してるところは、クラスでは何度か見た。
だけど…彼女は1人なのだ。
俺は…片桐と少し距離を開けて、手摺にもたれた。
誰かに見られても、おかしく思われない距離を開けて。
少し…互いに無言になった。
すると、校内に響く音楽が耳に入ってきた。
さっきまでは、耳に入らなかったが、少し落ち着いたからだろうか。
「あ、あのさ〜。さっき…かかっていた曲知ってる?」
もう15分くらい前だけど、俺は片桐にきいた。
「アル・クーパーのジョリーって、曲」
その曲名を聞いた瞬間、片桐は驚いたように、目を見開いた。
「いい曲だろ?」
俺は、片桐の方を見た。
片桐は見開いた目を…ゆっくりと細めると、優しく微笑んだ。
「でも…」
片桐は髪をかきあげ、
「悲しい歌よ」
片桐は手摺から離れると、歩き出した。
俺の前を通り過ぎる時、
「そんな曲が…好きなんだ」
呟くように言った。
俺ははっとして、手摺にもたれるのをやめた。
そして、片桐の背中に叫んだ。
「お、俺は!悲しい曲だとは思わない!幸せに一番近い曲だと思ってる!」
俺の声に、片桐は足を止め、振り返った。
「この曲の歌詞と、背景を知ってる?それを知ったら…」
「そんなこと関係ないだろ!俺は歌詞の内容も、背景も知らないよ!だって、英語がわからないから!だけど!」
俺の言葉は止まらない。
「俺は、この曲が好きだ!この曲で、幸せな気分になれた!だから、俺にとっては…幸せにさせる曲なんだ!」
いつのまにか…片桐は俺の方に体を向け、笑っていた。
「あっ…。ごめん」
俺はなんか…謝ってしまった。
「馬鹿ね。謝る必要なんてないのに」
片桐はクスッと笑った。
そして、微笑みながら…反転した。
「最高じゃない」
そう言うと、教室に向かって歩き出した。
俺は興奮が取れずに、片桐の背中を見送った。
見えなくなる頃、昼休みが終わるチャイムが、校内に鳴り響いた。
教室に慌てて戻ると、自然に席に着いている片桐に目がいったけど、俺の周りから向けられる…三つの射ぬくような視線を感じ、自分がしたことを思い出した。
(どうしょう…)
と一瞬思ったけど、 考えるのをやめた。
(まあ…いいか)
だって、あいつらは…片桐と話すことが駄目だと言ってるんだから。
(あいつらは、知らないんだよ。片桐の良さを)
俺は、授業の準備をしながら、片桐が後ろの席であることを呪った。
斜め前ならば自然と、片桐を見てられるのに。
そんなことを考えている時、 その斜め前に座る美佳が…悲しい目で、俺を見てることに、まったく気づかなかった。
上の空の授業がすべて終わると、俺は急いで帰る為に、片付けをしていた。
正利が、俺の方へ行こうかと悩んでいたが…唇を噛み締め、近づくのをやめた。
「た、太一!」
美佳だけが躊躇いながらも、俺に向かって振り返った。
多分、勇気を出して言ったのだろうけど、 その時には俺は…教室から出ていた。
「太一…」
美佳は、俺がいない席を見つめた。
あまりの早さに、総司も驚いていた。
そんなクラスの中を、片桐が悠然と歩いていった。
「?」
変な空気を感じながら、片桐は廊下に出た。
しばらく歩いていると、
「片桐」
俺が後ろから、声をかけた。
身を屈めながら、素早く脱出するという技を初めて使った俺は、 にこにこしながら、片桐に近寄った。
片桐は少しため息をつくと、
「いつのまに…」
呆れたように、俺を見た。
そんな表情も、俺は愛しい。
にっと子供のように笑うと、俺は片桐の手を取った。
「いっしょに帰ろう!」
駅へと向かう正門ではなく、裏口へと片桐を導いていく。
「まったく…」
嫌がるかな…と心のどこかで、そう思っていたけど、 素直についてくる片桐がさらに、愛しかった。
嫌々でもない。
口では少し文句を言ったけど、笑顔だった。
俺は手を引きながら、ずっと片桐のことを思っていた。
浮わついた気持ちではない。
俺といて、彼女に楽しく感じてほしいだけだった。