救い合う行為は愛なのか
電車に乗り込んだ 俺は、そっと…唇に手を触れた。
遠ざかっていく風景から、片桐の住むアパートを探した。
しかし、見つからない。
体に微かに残る…片桐のにおいに、俺は少し安らいでいた。
だけど、 こうなった結果は、愛し合ったからではなかった。
俺は、好きになっていた。
さっきの行為で、さらに好きになるだろう。
でも、片桐は違う。
俺を慰めただけだ。
同じ瞳の色を宿す者として。
だとしたら…。
俺は、窓に映る自分の瞳を見た。
そうだとしたら…俺は今のままでいいのか。
さっきのように、一方的に慰められて。
いいわけがない。
俺は、唇から手を離した。
前で懲りたはずだ。
一方的に、気持ちをぶつけても、 2人の繋がりは太くならない。
俺は、片桐の為に何ができる。
彼女の救うことはできるのか。
そもそも…彼女の瞳の奥にある翳りは、どこから来た。
離婚したからか…。
それとも…。
電車の窓から流れる景色が、俺の瞳に映る。
だけど、それを脳が認識することはない。
最寄りの駅についた俺は、無意識に駅から降り、いつのまにか改札を通り過ぎていた 。
「おい!」
考え込んでいる俺の前に、誰かが飛び込んできた。
まるで、通せんぼをするかのように。
やっぱり…俺の脳は、前にいる者を認識しなかった。
だけど、何度も避けようとしても、邪魔をするので、 やっと俺は、通せんぼをする者を軽く睨んだ。
「太一!」
俺の睨みよりも、鋭い声で睨みつけたのは…。
「?」
一瞬、わからなかった。
「太一!何、無視してんだよ!」
顔を近づけて睨む女に、俺ははっとした。
思わず指差しながら、後退った。
「美佳か!」
「そうよ!」
腰に手を当て、怒っている女は…紛れもなく、美佳だった。
「お、お前…どうして」
すぐにわからなかったのには、理由がある。
今日学校で会った時は、金髪だったのに、 一年前の黒髪に戻っていた。
美佳がキッと、俺を睨みながら、
「お前が、言ったんだろが!金髪が似合わないって!」
「あっ」
確かに、そう言った。
忘れていた。
感情に任せて、思わず言ってしまっただけだから。
「まったく!染め直すのに、時間がかかったぜ…じゃない!かかったわ!」
どうやら…口調も直そうとしているらしい。
思いもよらない美佳の行動に、俺は何も言えなくなった。
唖然としている俺を、びしっと指差すと、
「これで、文句はないな」
「う、うん」
有無を言わせない美佳の迫力に、俺は頷いた。
「よし!」
美佳も頷くと、まだたじろいでいる俺の横をすり抜けて、改札に向かう。
自転車通学の為、定期を持っていない美佳は、あらかじめ買っておいた切符を改札に差し込んだ。
「あっ!それと」
改札を通りながら、美佳は振り返り、
「ロックはやめないからな!」
そう叫ぶと、プラットホームに向かって、走り出した。
「な、なんなんだ」
美佳の姿が見えなくなった頃、俺は振り返った。
「髪…黒に戻したのか」
俺は頭をかくと、歩き出した。
なんか…調子が狂った。
片桐のことで考え込んでいたのに、
「ったくよお!」
いつもの俺に戻ってしまった。
軽く苛立ちながら、少し早足で、家への道程を歩いていった。
バタン。
激しく音を立てて、閉めたドアにもたれながら、片桐はため息をついていた。
「どうして…」
自分でもさっきの行動は、信じられなかった。
靴を脱ぎ、部屋に入ると、まだ布団が敷いてあった。
しばし布団を見下ろした後、その上に倒れ込んだ。
「どうして…」
また自分にきいてしまう。
翔太にキスとして、助けを求めたことを後悔しているのに、また自分は…キスをしてしまった。
それ以上も…。
この学校に来てから、目立たずに、卒業までやり過ごすつもりだった。
本当はすぐに、働こうと思ったけど、 最終学歴が中学では、働ける場所は限られていたから…高校くらいは出ておこうと思っていた。
だって… 多分… 自分は一生… 独りだろうから。
親は、片桐の体を心配していたが、 別に1人で生きるには支障はない。
ただ…この歳で、突き付けられた現実が、これからの幸せを片桐から奪っていただけだ。
だから…。
同じクラスで、神谷を見た時…。
いえ、 神谷の目を見た時、 片桐は心の中で震えた。
同じような苦しみを抱えている神谷の目に。
それは、痛みを知る者しかわからなかった。
それに、神谷は…どこか、翔太に似ていた。
ということは、自分にも。
見た目ではない。
性格だ。
なのに、強引に接近してきた神谷に、片桐はさらなる悲しみを見た。
この人は、何か深い悲しみを振りほどく為に、あたしに近づいたのだと…。
それに気づいた時、片桐は心の中で、泣いていた。
強がりながらも。
壊れた人形である…自分を必要とするならば…受け入れようと思った。
壊れる前からの知り合いだった…翔太にはできないことだった。
穢れてる。
汚れてる。
心のどこかで、自分自身を責める声がした。
「わかってる!」
片桐は布団の上で、うずくまった。
だからといって、 どうすればいい。
壊れた体は戻らない。
あたしは、欠陥品だ。
誰もあたしを、救うことなんかできない。
救ってほしいと願ってもいけない。
あたしは独りで、強くならないといけない。
まだ長い…人生を。
そこから、抜け出すには、死ぬしかない。
…と、何度も思ったが、 片桐は死ぬことを選ばなかった。
いや、選ぶことはない。
浅はかな自分のせいで、 失った命があるのだから。
人はどうすれば…強くなれるのだろう。
痛みや傷や…悲しみを癒せる心があれば…強さと言えるのだろうか。
片桐は知っていた。
それは強さではあるが…そこに、幸せはないと。
なのに…今の自分は。
片桐は寝返りをうった。
穢れたと思いながらも、心のどこかで、温かさを感じていた。
「神谷…太一…か…」
不思議と、太一自身には嫌さを感じなかった。
そう…太一自身には。
もし…2人が、最初から…初めての出会いだったら…。
素直に幸せに感じたのだろうか。