口付けの意味
年末の忙しさも、大晦日になると落ち着いていた。
彼女に会ったのは、年が変わる1時間前だった。
二人が待ち合わせたのは、学校だった。
年末の学校は、冬休みの為、入れないかと思ったけど…正門に、鍵はかかっていなった。
中に忍び込んだ僕らは、一応…職員室から離れた場所にいた。
パーティーから会ってなかったし、二人きりで会うことも初めてだから、はにかんで照れ臭かった。
だけど、学校内を歩いていると、昔に戻ったような気がしてきた。
麻衣は、真っ暗な校舎を見上げ、
「去年の今頃は…学校をやめてるなんて思わなかったよ」
校舎の空気を吸い込むように、深呼吸した。
二人きり…学校…すべてのシチュエーションが、僕の鼓動を激しくさせていた。
駄目だと思いながらも、僕は麻衣の唇にしか…目がいかない。
「何か…変わるのが、早いね。止まってほしいよね」
麻衣は、僕の視線に気付いていた。
ゆっくりと、僕に近づき、麻衣はあの時と同じように、首に手を回した。
そして、前より速くキスをすると、すぐに離れた。
抱き締めようとした僕よりも、彼女が離れる方が速かった。
麻衣は僕の顔を見ずに、視線を下に向け、
「この前は、結婚してたけど……昼間に、離婚届けを出したから…今のあたしは、学校にいた頃のあたしと同じ……」
数秒後に、僕を見た。
微笑む麻衣の表情に、僕は初めて気付いた。
彼女の悲しみに。
僕は、一気に浮かれていた気持ちが…落ちていくのを、感じていた。
「何か…ずるいねよ…あたし。一年前にしていたら…」
麻衣は、頭を下げた。
そして、顔を上げると、麻衣の目に、涙が溢れていた。
「伊藤を……好きだったのは、本当。だけど、あたしはあの人を選んだ」
麻衣は、僕から目を離さずに、
「伊藤とあたしは似てるの…不器用なとこ…。本当の気持ちを言えないとこ…。ここしばらく、やりとりしてたメールからも、わかったわ」
麻衣は苦笑し、
「だから…あたしは、強引な彼と出会い…引っ張られて、ああいうことになったの」
麻衣は、流れ落ちていく涙を拭った。
「あたしは、卑怯なの。あたしは……今でも、こんな風になった自分でも、必要としてくれる人がいると、確認したかったの…」
麻衣は、もう涙を拭うのをやめた。
「あたし……本当のことを、あなたに伝えたいけど…やっぱり面と向かっては…無理みたい…」
麻衣は後ろに、下がり始めた。
「か、片桐?」
追い掛けようとする僕を、片桐は制した。
「近づかないで!あなたの優しさは、知ってるから……これ以上…あなたを巻き込みたくない」
麻衣は拒みながらも、精一杯の笑顔を浮かべ、
「あとでメールするね。あたしの真実を…」
麻衣はそう言うと、僕に背を向け、校門に向かって走りだした。
追い掛けようとしたが、足が動かなかった。
彼女が、僕を拒んでないのはわかっていたから。
嫌がってるわけでないから。
理由がある。
追い掛けてはいけない。
僕の足がこらえ……僕はその場から動けなくなった。
そして、どれくらいたっただろうか……。
立ちすくむ僕が、やっと足を動かし、ゆっくりと歩きだし…校門をくぐった時、メールは来た。
学校の前で、メールの内容を見た僕は、走りだした。
すぐに、彼女のもとへ。
DEAR…伊藤翔太様。
あなたとメールをしていたここ数日は、あたしにとって、かけがえのない日々でした。
あたしは、今日離婚しましたけど、実際はもう数ヶ月前から、彼とは別居していました。
あたしが、流産したときから。
生まれるはずだった子供を失い、大きなショックを受けていたあたしが失ったものは、子供だけではなかったのです。
あたしは、あたしは、
もう子供を産めない体となってしまったのです。
結婚できるとはいえ、十六での出産は、危険だったのです。
子供を失い、子供を産めなくなったあたしを、あの人は…最初は慰めてくれました。
だけど…女としては、見てくれなくなりました。
子供を産めない女と、これからずっといられないと。
彼もまだ19歳です。あたし達が出会って、まだ一年もたっていません。
子供というつながりがなくなったとき、二人のつながりもなくなったのです。
子供が産めなくなったあたし。
女としての価値がなくなったあたし。
生きていく気力もなくなっていた時、久しぶりにあなたに出会いました。
あなたはなら、あたしを受け入れてくれると。
もう愛されることがなくなったと思っていたあたしを、あなたなら、愛してくれると。
あたしの思った通り、あなたはあたしを愛してくれるでしょう。
だけど、あなたとメールを重ね、気持ちが落ち着いていく内に、自分の身勝手に気付きました。
あたしと同じ歳であるあなたに、あたしは、足枷をつけようとしているのです。
ただあたしを愛してるくれる。
何があっても、愛してくれるというだけで。
親の勧めで、少し離れたところにある学校に、来年から通うことになりました。
アパートを借り、しばらく独り暮らしをしょうと思っています。
その場所はしばらく、みんなにも教えません。
いずれ…落ち着いたら、連絡します。
ありがとうね、伊藤。
ありがとうって、言葉じゃ足りないくらい、ありがとう。
そして、さようなら。
走りながら、僕は彼女に電話をした。
しかし、ちょうど年が変わる前で、いなかのくせに、携帯は混雑し、通じなかった。
メールも混み合っているからか、送れない。
周りの家から、明けましておめでとうの声を聞きながら、僕はずっと携帯を操作していた。
12時半やっと送れたメールは、宛先不明で返ってきた。
電話は…着信拒否となっていた。
何度もメールと、電話を繰り返したが……彼女に、つながることはなかった。
僕は、道端で泣き崩れた。
どうして、こうなったのだろうか。
どうして、彼女をちゃんと助けることができなかったのだろうか。
今、思えば……彼女は、最初から、瞳の奥に、信号を発していた。
なのに、僕は口付けの感触にとらわれ、気付くことができなかった。
今さら、気付いても遅いんだよ。
馬鹿野郎。
あれから、時がたった。
麻衣がどうなったのか…わからない。
仲間だったやつらも、知らないようだ。
だけど、たまに携帯をチェックしてしまう。
彼女から、メールがいつか…来るような気がして…。
携帯を開け…確認しょうとすると、誰かが携帯を閉めた。
「また…携帯を気にしてる…」
不満げに言う女に、僕は笑いかけた。
あれから、何人かの女と付き合った。
「誰のメールを待ってるの?」
歴代の女は、決まってこうきいてくる。
「誰も待っていないよ」
そう言い…女にキスをしょうとすると、決まって、僕は相手の瞳を一度覗く癖ができた。
「どうしたの?」
「いや…」
僕はキスをした。
あれから、何度目のキスをしているが…彼女のような瞳に出会ったことはない。
そして、キスが終わった後…唇の感触を確かめることもしない。
今なら、彼女のすべてを受けとめられるだろうか……。
答えは、自分の中では、決まっていた。
今も過去も…未来も、イエスだ。
それなのに……メールは、来ない。