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墓守るハカモリ  作者: 苦慮緑了
れべる1:お手紙配達
28/30

侵食する理不尽

 塵すら残らず消え去ったドラムリ山、その破壊の範囲の少し外で、一人の女がいた。


 女は山から持ってきた食神の使徒の死体をじっと見ている。


 ネズミが死体を喰らっている、死体の服の下で蠢くそのネズミは不愉快な咀嚼音を鳴らして一心不乱に喰らっている。


 ネズミの胃の容量を遥かに超える量を……死体の半分ほどを食ったネズミが、食事を止め死体の上で暫く動きを止める。


 直後にネズミの影が広がり死体を覆う、死体は地面に沈み消えた。


 残ったネズミが女の足元に走り、靴を引っ掻く。


 「……ああ、ごめんなさい」


 女がネズミを手で持ち肩に乗せる。


 「……ありがとうございます、幽龍の信徒よ」

 「いいえ、構いませんよ食神の」


 喋るネズミに女……幽龍の信徒はこともなげに言った。


 「あの「天上の槍」……私達は正常な思考を行えませんでした、アレには勝てません、次はアレを放たれない様な対策が必要ですね……」

 「使い手の名は?」

 「ハカモリです、身長は貴女より二回りほど小さく、髪色は白、少々痩せ気味ですかね」

 「次会ったら感謝を伝えましょうかね……?危険すぎる気もしますが……」


 ネズミが動きを止める。


 「……それは、何故?」

 「私は神託に従いドラムリ山を焼こうとしましたが、その必要が無くなった……手間を減らしてくれた事がありがたいのですよ」

 「……?」


 ネズミが首を傾げる。


 「その感覚はよく分かりませんが、まあいいです、今後同じ様な事があったらまたよろしくお願いします」

 「……何故、私は「天上の槍」の影響を受けなかったのですか?」

 「貴女の信望する異郷の神は、我々の食の神とは違い純粋なのです、その影響でしょうね」


 ネズミが女の肩から降りる。


 「……もう終わりですか、ではまた、食神の使徒「食の使い」よ、再びあいまみえる時、今度は神託が貴女たちを焼かない様祈っておきます」

 「「業火の忌み子」、「火の魔女」、「世界を焼く災厄の一人」よ、少なくとも次我々を焼こうとすれば、食神のイを知る事になりますよ」


 ネズミが走り去る。


 「食神のイ……意?威?それとも……胃でしょうか、ふふ、はは、くだらない」


 女は笑いながら歩き出した、次なる神託を待つ間、焼く事は許されていない、大人しくしていなければならない。


 そんな退屈な時を耐え忍ぶ暇つぶしを探しながら、女は歩いて行った。


***


 ネズミが走る、東へ、ただ、東へ。


 途中で力尽き、息を止めるまでネズミは走り続けた。


 息絶えたネズミを、狼が喰らう、ひどく甘美な匂いがするそれを食べた瞬間、狼は群れを抜けて走り出す。


 東へ、一心不乱に、ドラムリ山から距離を取る。


 そうしてまた狼が力尽きる、自ら枝で体を貫き、血を流して息絶える。


 血の匂いに釣られて狐がやってきた、酷く甘美な、抗いがたい衝動に駆られ、狼を喰らう。


 狐は鷹に喰われた。


 鷹は狼に喰われた。


 狼は熊に喰われ、熊はゴブリンに喰われ、ゴブリンは鷲に喰われ、鷲は熊に喰われ、熊は狼に喰われ、狼は狐に喰われ、狐はゴブリンに喰われ、ゴブリンは鷹に喰われた。


 そうして最後、十日ほど続いた食のリレーも終わる、血まみれの鷹は羽を大きく広げる。


 猪はその抗いがたい血の匂いを嗅ぎ、ふらふらと鷹に近づく。


 鷹はなんの抵抗もせず、ただ喰われた。


***


 「ねえ、聞いたぁ?今日の宴会の理由。ソマルが丸々太った猪を捕まえたかららしいよぉ」

 「ソマルが?あの鈍臭がか?なんかの間違いじゃないか?」

 「本当だよぉ!あいつバカみたいに自慢しやがってさぁ!僕も見たけど、信じられないくらい美味そうな猪だったよ!」


 村の畑でロイドとカールが何か話している、あの二人はいつもそうだ、くだらない事でいちいち騒いで、目先の興味のある事を追いかける。


 すでに仕事を終えているリナは怒気を込めて叫ぶ。


 「二人とも!サボってないで手を動かして!」

 「へいへい、うっせーな、俺も今終わるとこだったんだよ」

 「え?本当?」


 一人驚いているカールを白けた目で見る。


 「……やめろよぉ、そんな目で見るなぁ、僕もあとちょっとで終わるからさぁ」

 「じゃあ猪は俺が全部食っとくよ」

 「じゃあもう終わりでいいや、今日はもう終わり!」


 ……そういうカールを叱ろうとしたが、思いとどまる。


 少し前からリナの魔眼……「聖人の瞳」が反応している、なんだか村長の家の方が……禍々しい感じがする。


 あの家に行くなら人数は多い方が良い、そんな気がする。


 「……リナ?いつもみたいに怒らないの?」

 「……今日は、良いわ、それよりロイド、剣爺さんどこにいるか知らない?」

 「剣爺ぃ?今日はアランの家に行ってるらしいよ、なんか変な感じがするとかで」


 アランは村長の息子だから、アランの家と言えば村長の家だ、剣爺さんも何かを感じ取ったのだろうか?


 剣爺さんは強い、大陸東側基準でBランクの剣士だ、丸太を剣で真っ二つに切れる、頑張れば岩すらも切れる凄腕剣士。


 歳のせいで衰えたと本人は言っているが、剣爺さんはこの村で最も強い剣士……というかリナは街に出た時でも剣爺さんより強そうな人を見たことがない、ちょっとやそっとの危険は問題無いだろう。


 そもそも剣爺さんを探していたのは一緒に村長の家に行こうとしていたからだ、手間が省けたと言ってもいい。


 「……アラン、大丈夫かな?」

 「おっと……?お熱いね、アイツは幸せだよ、ママみたいに気にかけるリナがいるからな」

 「からかわないで、私は本当に心配してるのに」

 「なあぁ、もう良い!?早くソマルの猪食おうぜ!今日は宴会なんだぜ!?早く行こう!」


 カールが興奮して捲し立てる、ちょっと興奮しすぎなくらいだ、その目は正気を失っている様にすら見える。


 「……一応、武器を持っていって」

 「武器?なんでだリナ?」

 「武器なんていらないでしょぉ、早く行こうよぉ」

 「嫌な予感がするの」


 カールとロイドが顔を見合わせる。


 「ちょっと慎重になった方が良いかなぁ?」

 「カール、農具小屋に非常用の剣あったよな?俺は斧で行く」

 「僕は行くの止めようかなぁ……どうしようかなぁ……」

 「……二人とも、そんな本気にしないでも」


 あっさり信じた二人に面喰らう。


 「そんな大げさにしなくて良いの、ただちょっと気をつければ……」

 「分かってないねぇ、リナ、僕たちは君を信じてるんだよ、ここ一番の勘は、君、ちょっと凄いからねぇ」

 「俺はもう痛い目みんのやだから、そんだけ」


 たかだか予感程度に大げさにかまえすぎだ、とは思うが、否定する理由も無い、精々後で怒られるかもと言った程度。


 「……分かった、私は杖を取ってくるから、ここで待ってて」

 「了解ボス、本隊はここヘイワ村の畑にて待機を行います!」

 「サーイエッサー!!」


 ふざける二人を尻目に家に向かう、少ししか離れていないからすぐだ。


 家の中に入り、少し暗くなってきた室内から杖を持ち出す。


 そうして畑に戻った時には、二人は姿を消していた。


 「ロイド?カール?」


 少し探したが、ロイドとカールは見つからなかった、もしかしたら先に向かっているかもしれないと思い、村長の家まで歩き出した。


***


 ……村長の家に着いた、最早日は沈みきり、辺りは暗く、静かだ。


 家から漏れ出る光だけが、リナを安心させてくれるものだが、今日は違った。


 家からはいつも通り明るい光が漏れ出ている、不安な事はただ一つ。


 静かすぎる事だ、風が吹く音、木々が風で揺れる音、それらの音を除いて静寂に包まれている。


 村人の声も、家畜の鳴き声も、虫の音も、鳥の鳴き声もしない、ただ風の音だけが存在している。


 不気味なその状況を無視して、リナは扉を叩く。


 「……誰だい」

 「ああ、アネロさん、私です、リナです」


 しわがれた声としわくちゃの顔、村の魔法使い、アネロだ、見知った顔に少し安心する。


 「ああ、リナ……ようやく来たか、ひひひ、どうぞ、入りな」

 「……」


 しわがれた声はいつもより上機嫌だ、理由はわからない、どうやら自分を待っていた様だ……一体なぜ?


 「……リナ?どうしたんだい?」

 「ロイドとカールを知りませんか?逸れてしまって」

 「ひひひ、あの悪ガキどもは中にいるよ、心配する事は無い」


 ……不安だ、何かまずい、何かがおかしい。


 その場で立ち止まっていると、アネロが素早くこちらに近づく。


 「!?」

 「どうしたんだい?リナ?」


 腕を掴まれた、老人とは思えないほど強い力で引っ張られる、突然のことで反応できない。


 家の中に引き込まれて、バランスを崩して転んだ。


 「リナ、大丈夫かい?怪我は無いかい?」

 「……アネロさん、何故」

 「ごめんねぇ、リナ、わざとじゃあないんだよ、つい力を込めすぎてしまって、本当に、ごめんねぇ」


 膝を擦りむいた、少し痛むが、問題は無い。


 直感がこの家の中はヤバいと言っている、ベルトに付けている片手杖を取り後ろの扉に勢いよく下がる。


 何かに背をぶつける、気付かないうちに背後には人がいた。


 「……どうぞ、前へ」

 「前へ」


 背後の二人に腕を拘束される、恐怖を覚え滅茶苦茶に魔法を発動する。


 風が背後の男を襲うが、有効打では無い、男達は構わずリナを押す。


 「離して!「ウィンドカッター」!!」

 「ああ、リナ、暴れるのはよしとくれ、今はあまり余裕が無いんだよ」


 最早隠す気は無いらしい、洗脳か、催眠か、あるいは幻、偽物か?とにかく罠だ、だが抵抗も虚しくどんどんと前に押し出されていく。


 リビングに到達した、扉がひとりでに開く。


 扉を越え、リビングに入ったリナを二人の男が拘束する、手に持っていた杖ははたき落とされた。


 「……ようこそ、リナさん、お待ちしておりました、「聖人の瞳」の持ち主よ」


 リビングの大きなテーブルの向こう側に、女が一人、他にも多くの村人が部屋の中で立っていた、部屋の隅では誰かが拘束されている。


 「誰か!誰か助けて!」

 「……」


 村人は皆一様に虚な目をしていて、誰一人として押さえつけられているリナを助ける様子は無い。


 目を凝らしてよく見れば、小さな蝋燭で照らされている女も村人の一人だと分かった、名前はカーラ、リナよりも若く、まだ子供だった。


 だが今のカーラはまるで大人の様な落ち着きがある、普段の彼女を知るものが見れば、一瞬で異常だと分かるだろう。


 ……それに何より、リナの「聖人の瞳」で見えている目の前のソレの異質さ、禍々しさが、ソレがカーラでは無いことを教えてくれる。


 「……あなた、誰?」

 「カーラですよ、覚えていませんか?」

 「知らないわ、あなた誰?」

 「カーラですよ、外遊びが好きで、綺麗な野花で冠を作るのが得意で、やんちゃでわんぱくで……あなたに憧れている、私ですよ」


 ふざけた演技だ、一瞬で頭に血が上った。


 「うるさい!あなたがカーラじゃないことなんて分かってる!」

 「……」

 「あなたは誰!?彼らに何をしたの!?ロイドとカールをどこへやったの!?何が目的なの!?」


 カーラは……女はリナの怒声を浴びても少しも怯まない、眉ひとつ動かさない。


 ただ冷静に、テーブルの上のナイフとフォークを取った。


 「ここにいますよ」

 「……は、あ?」


 女がテーブルの上……何かを切り、刺して、口に運ぶ、暗くて見えないが、音からして肉だ。


 「先ほどの問いへの答えです、ロイドとカールをどこへやったか……ここです、ここにいます」

 「……どこ、に」


 部屋の中に立つ村人の中に二人はいない、薄暗いが、それは分かる。


 「……現実を直視したくないのですね、もう分かっている癖に」

 「……なにを、分かってなんか」

 「明かりを、つけてください」


 男の一人がテーブルの上、光の魔石に向かって手をかざす。


 薄暗い部屋の中はすぐに明るくなった。


 テーブルの上の肉も、はっきりと見える。


 ソレは人だった、ぐちゃぐちゃにされた人の肉塊が、雑にテーブルにぶちまけられていた。


 肌や眼球の一部、骨、髪、腕、足、顔の一部、ありとあらゆる人の構成要素が混じりあったソレは、不思議なことに匂いだけはしなかった。


 「……ぁ、あ……」

 「食卓は皆で囲むもの、楽しく食べましょう」

 「……あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 何も考えず力任せに暴れる、感情が昂りすぎて魔法は使えない。


 元々あまり力の強い方ではないリナでは拘束は抜けられなかった。


 「なんで、なんでこんなことを!」

 「食べるためです」

 「狂ってる!なんで、こんな、なんで!!」


 意味が分からない、食べ物なんて他にあるのに、なんでわざわざ、なんで、なんで。


 「それでは食事を始めましょう、皆、食べてください」

 「……ぁ、あ、食べ、食べる」


 虚な顔をしていた村人達がテーブルに群がる、くちゃくちゃと、不快な咀嚼音と呻き声が聞こえる。


 リナの拘束は解かれた、今は皆テーブルの上の食……テーブルの上のソレに夢中だ。


 急いで落ちている杖を拾い構える、全部、全部焼いてやる、あれらを生かしておいては駄目だ。


 姿形が村人でも、もう中身が変わっているのだ、化け物だ、焼き殺さなければ。


 「現れるは原初の火!向かうは空、喰らい尽くすは蛇!燃やし尽くし焼き尽くし、全てを灰に――」

 「リナ、やめときな、あんた、後悔するよ」


 アネロが……アネロの姿をした化け物はそう言うが、もう止まらない、止めるつもりは無い。


 「死ねッ!化け物!フレア――」

 「この方、貴女のお知り合いですか?」


 気づけば女は椅子から立ち、部屋の隅で拘束されていた誰かを持ち上げていた。


 リナはその人を知っていた、アランだ、村長の息子。


 「……ッ!この……!」

 「やはり、恋人は殺せませんか、その程度の覚悟では、私達には到底及びませんよ」

 「私が、その程度で止まるとでも!」


 女がアランを捨て凄まじい勢いで近づいてくる、反応すらできずに片手で首を絞められる。


 「止まりましたよ?一瞬ね、それでもう十分です」


 女がヒョイとリナを持ち上げた、馬鹿げた膂力、不可思議な力、足りないのは身長だけだ。


 「ぁ……ッか……ぁッ……!」

 「苦しいですか?苦しかったら言ってください、どうぞ?」


 女が首を絞める力を弱める。


 「はッ……はッ、はぁ……はぁ……!」

 「苦しかったでしょう?息ができなかったでしょう?嫌だったでしょう?辛かったでしょう?不気味だったでしょう?怖かったでしょう?」

 「はぁ……はぁ……」

 「……ねえ、どうなんですか?答えてください」


 リナは答えない、女の目的がなんであれ、何ひとつ思い通りになどしてやるものか。


 「……そうですか、やってください」

 「はいよ、リナ、あんたが悪いんだよ、アランには悪いが……」


 アネロが倒れているアランに近づく。


 「……ま、まって、何を」

 「これから拷問を開始します、貴女が私の質問を無視した数だけ」

 「……ッ」


 アネロがアランの腕を掴んだ、魔法を使う様子は無いが、それでもこれから起こる悲惨な光景が目に浮かぶ。


 「やめて、彼は関係無い!」

 「まあそうですね、ですが関係のない人間でも構わないのです、アネロ」

 「やめて!なんでもする!私ならどうなっても良いから!」


 それを聞いた女は、口が裂けるほどに笑った。


 「アネロ」

 「はいよ、止めるさ、元々あまり気が進まなかったしねぇ」

 「……!」


 アネロがアランを、女がリナを解放する。


 「なんでも……やってくれるのですね?」

 「……それで彼が助かるなら」


 女がリナの顔を……否、目を見る、手でリナの頬をなぞり、髪を退け、瞼を開かせる。


 「あなたの目が、欲しい」

 「……」

 「綺麗ですね、よく見えるのでしょう?……私に、いただけますか?」


 答えは決まっている。


 「……いいわ、何をするつもりか知らないけど、好きにすれば良い」

 「ふふ、ふふふ」


 女が指を伸ばす、片手でリナの頭を抑えた。


 次の瞬間、リナの右目に激痛が走る、何をされたのか、それは見えない。


 「ああああああ!!」


 網膜を直接焼かれる様な痛み、目の中で指が動き回る感覚、ぐちゃぐちゃと音がする、喉が潰れるほどに叫ぶ。


 「ああぁぁあああぁああ!!!!」


 痛みは不意に終わった、何かを思考することもできず床に倒れ伏す。


 一瞬、意識を失った、だが床に倒れる衝撃で意識を覚醒させる。


 右目が痛む、先程よりもずっとマシだが、酷く痛む。


 それでも、歯が割れるほど食いしばり、顔を上げる、苦痛に屈服するなどごめんだ、あの女の思い通りに、ほんの少しでもなりたくはない。


 意地だけで顔を上げる、女の手の中には、目玉があった、右目は見えていない、取り出されたのだ。


 「……おや?意外と元気そうですね」


 残った左目で精一杯睨みつける、女はニヤニヤと笑いながら手に持った目玉を口に入れた。


 「は?」

 「ふむ、悪くはない、いかんせん量は少ないですね」


 背筋が凍る、鳥肌が立つ、目が欲しいと、そう言っていたのに、食べてしまうなんて。


 女が口の中で目玉を転がす、歯で潰し、咀嚼する。


 ……そうしてごくりと飲み込んだ。


 「次は腕を貰います」


 いつのまにか後ろにいたアネロがリナの右腕を掴む。


 「ひッ」


 女が壁際に落ちていた剣を拾い、構えた。


 「……!!」


 女が剣を振るう、腕は何の抵抗もなく切断された、痛みは無い。


 アネロがリナを解放する、バランスを崩して腕の切断面を思い切り床に打ちつけた。


 「〜〜ッ!!」


 声を殺し痛みを堪える、さっきの右目の方が痛かった。


 片手で床をつき体を持ち上げる、右腕は付け根から失われている、血が止まらない、酷く寒い。


 「怖いですか?」

 「……そう、ね、怖いわ」

 「死にたくないですか?」

 「……私が、彼を見捨てることは無いわ」


 女を睨む、女は心外そうな表情を浮かべた。


 「その様なつもりで言ったわけではありません、悲しいですね」

 「……」

 「ねえ、リナさん、提案があるのです」


 女がこちらに歩いてくる、まだ血は止まらない、だが勢いは少し落ちた、意識が無くなりかける、眠い。


 「食事をしていただけませんか?」

 「しょく、じ……?」

 「ああ、もちろん()()ではありません、ただの猪ですよ」


 猪……?ロイドとカールが、そんな様な話をしていた。


 「肉の一切れを、食べていただければそれで良いのです、それだけで良いのです、そうしていただければ、私は貴女をこれ以上傷つけるつもりはありません」

 「……彼は」

 「勿論アランもです!当然じゃないですか!貴女に許可を貰わない限り一切手出しをしないと誓います、契約神にね」

 「契約神に……!」


 もう、あまり思考時間は残されていない、眠気が襲ってくる。


 「……私は、契約神クリナズナリクに誓う、猪肉を食べる、あるいは死ぬ、選択権は私が持つ」

 「……まあ、良いでしょう、私……いえ、この場にいる全員は、リナの許可無しにはリナとアラン両名に一切の手出しをしない」

 『……契約の締結、誓約の言を』


 頭に契約神の言葉が響く。


 「私の、命にかけて誓う」

 「私たちの命にかけて誓います」

 『……ここに、契約は成った』


 再度契約神の声が聞こえる、これで契約は出来た。


 意識が朦朧としてきた。


 「それではリナさん、死ぬ前にどうぞこちらを」


 女がテーブルから皿を持ってきた、倒れたリナに差し出してくる。


 その肉の――なんて美味しそうなことか。


 目が離せない、全神経が全てその肉に集中する、鼻で匂いを嗅ぐだけで頭を殴られた様な多福感がする。


 甘美で、芳醇で、濃厚で、洗練された最高の食べ物だ。


 「ぁ……ぁあ」


 村人が動く死体の様になっていた理由が分かった気がする、これを食べたからだ、これは人の精神を木っ端微塵に粉砕する、一口でも食べればその瞬間味の奴隷になる、食べればきっと永遠に満足出来ない、この世全てが色褪せ、どうでも良くなる。


 ……怖い。


 「ひッ……ぅあ……!」


 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。


 寒気がする、恐怖で頭がいっぱいで、それでも目の前に差し出されるソレから目が離せない。


 「し、死、私は死を望む、殺して、殺してッ!」

 「……困りますねぇ」

 「け、けいやく、契約でしょう!殺して!私を殺してッ!私は食べない、こんな、こんなものッ!!」


 がたがたと体を震わせ、それでもよだれを口からこぼすリナの前に、女がやってきた。


 「ええ、まあ、契約ですからね、良いですよ」


 女がリナの顔を掴み、自らの顔を近づける。


 女の顔を至近距離で見て、初めて気づく、この女は、肉と同じ。


 …………美味しそうだ。


 女にキスをされる、口に舌をねじ込まれる。


 混乱より先に来たのは味だった、甘い、辛い、しょっぱい、苦い、すっぱい、そのどれとも言い表せない味が、女の舌からする。


 「――!!――!!!」


 痛みも、恐怖も忘れ味に溺れる、美味の暴力、味わうことしか考えられない、抵抗を考えることさえも出来ない。


 心が何かに侵食される、本能が警鐘を鳴らし、それすら圧倒的な美味の前に押し流されていく。


 何かを口移しされる、何をされたかも分からないまま、キスは終わった。


 暴力的な味が去る、精神は正気を取り戻したが、口に残った女の唾液が余韻を訴えてくる。


 吐き気がすぐに込み上げてくる、抵抗する気はない、むしろ、今すぐに口の中のモノを吐き出したかった。


 胃液を床に吐く、ろくに食べていなかったせいで出てくるのは胃液だけだ。


 もう吐けなくなっても、しばらく床に吐こうとする、気持ちが悪かった、口にまだ残っている様な感じがした、出来ることならまだ吐きたい。


 自らが吐いた吐瀉物を見下ろす、それすらも、まるでご馳走のように美味しそうに見えた。


 「はぁッ……はぁッ……!」

 「せっかく毒を食べさせてあげたのに、吐いてしまうとは……それではこちらとしても、こうするほかありませんね?」


 女が、フォークで肉を持っていた、リナの眼前に差し出してくる。


 「ヒッ……!いや、もうやめて、ごめんなさい、ごめんなさい、わたしがわるかったです、ゆるしてください」


 反射的に頭を下げる、謝罪のため?恐怖のため?……否、目の前の肉を見ないためだ。


 「……顔を、あげて下さい」


 なぜだか、抗えない、上がる頭を、全身全霊で押さえ込もうとしても、自然と上げてしまう。


 「どうぞ」

 「…………!!!」


 嫌だ。


 「貴女はこれを食べたいと思っている」


 食べたくない。


 「口を開けて」


 消えたくない。


 「味わってください」


 口に入ってきたソレを、拒絶できない。


 「咀嚼して」


 心を蝕むソレを、無視できない。


 「ほら、あと一歩」


 涙が溢れて止まらない、顔を涎と涙と鼻水でびちょびちょにしながら、気絶しているアランを見る。


 「飲み込んで下さい」


 神様、どうか、彼だけでも助


***


 目の前に女がいる、口の中に残った肉を飲み込む。


 「……ここは?」

 「ああ……どうぞ、これを」


 差し出された指を口に入れる、直近の記憶が読み取れた。


 「……もう大丈夫です、腕を治さなくては」

 「手伝いましょうか?」

 「お構いなく」


 治癒魔術を使用する、右腕の傷を塞ぎ、ゆっくりと腕を生やす。


 次いで右目も修復する、欲しかったのはこの「聖人の瞳」だ、これが欲しかった。


 ただ少し回りくどかったか、わざわざこんな手段を使わなくとも、無理やり食べさせれば良かったかもしれない。


 まあリナに自死を選ばれれば少し困っていただろう、自分達の狙いが「聖人の瞳」だと……「聖人の瞳」を持つリナそのものだと知られるのは避けるべきだった、そう考えればこれも必要な工程だったと言える。


 テーブルで食事をしている男達を見る、テーブルの上の料理は既に無くなりかけている、もう少しで完食だ。


 次は自分の番である、楽しみだ、いくら生きようと食前の楽しみは尽きない。


 リナは……否、食神の使徒は、気絶しているアランを見ながら顔を歪めて笑う。


 「()が許可を出すまで、彼には手出しをしない……契約は、守らなくてはいけませんね、ふふ」


***


 「ぁ……?」


 アランはくちゃくちゃという音を聞き、目を覚ました。


 部屋は薄暗く、辺りは見えない、大まかな間取りからしておそらくは父の家だろう、まあ自分の家でもあるが。


 「俺、なんでこんなとこで……」


 眠る前、自分が何をしていたか思い出せない、頭が微かに痛んだ。


 部屋の隅に誰かがいる、おそらく、音からして何かを食べている。


 わずかにふらつきながら立ち上がり、誰かに近づく。


 近づいてみて分かったが、食事に皿を使っている様子は無い。


 「……あー、おい、聞こえてるよな?お前誰だ?何食ってる?」


 誰かは声に反応して食事を止める、そうしてゆっくり振り返った。


 アランはその顔を知っていた、村一番の美人であり、魔術師、そしてアランの彼女、リナである。


 ただしその顔は血に染まっていて、口の中に入っているナニカをくちゃくちゃと音を立てながら咀嚼している、血の匂いが鼻を突く。


 「!?り、リナ?何をやって」

 「あらあら……起きるまでに食べ切れませんでしたね」


 リナが妖艶な表情を浮かべ笑う、普段の元気な……悪く言えば子供っぽい表情とはかけ離れたものだ。


 精神操作で意識を鎮める、心を落ち着かせ、冷徹に問う。


 「……お前、誰だ?」

 「何を言っているのアラン?私よ、リナよ」

 「嘘を言うのならもっとマシな嘘を言え!誰だお前は!」


 演技が下手すぎる、表情も、声色も、全て違う、ただ姿形はリナそのものだ、幻か、あるいは変化の術か。


 「……誰だと思います?」


 まともに応答するつもりのないらしい事を知った瞬間、天上から吊るされている光魔石に魔力を伸ばし明かりをつけながら落ちている剣の気配をとらえてその方向に跳んだ。


 剣を手に取り明るくなった室内を見渡し……リナが、偽物のリナが食っていたものを見た。


 ソレは人だった、最早半分以上なくなって誰だかは分からないが人だ、腕と腰より下の部分が残っている。


 「!?」

 「つれないですね、私を誰だと思うんですか?」

 「お前えぇぇ!!」


 聞いたことがある、人に化け元の人物を食い殺す魔物の話を。


 だとすれば、今目の前でしゃべっているリナが魔物だとすれば、今食われているのは……!


 距離を詰め剣を振るう、手加減も躊躇も一切無い、あるのは純粋な殺意だけ。


 「うわ、危ない」

 「!?」


 リナは剣を片手で止めた、止めた剣を握られ、全く動かせなくなる。


 「危ないですねぇ、少しは話し合いましょうよ」


 衝撃で目を開く、アランはこれでも力が強い、剣を持てば村で三番目には強い、少なくとも自身の振るう剣をなんの苦労もなく受け止められる事は無かった。


 「こんの……!」

 「はい無駄」


 剣が拳で打ち砕かれる、鋼鉄の剣が、あっさりと。


 半ばから折れた剣を逆手に持ち替え、リナの首めがけ勢いよく振るう。


 リナはそれを目で追い……なんの抵抗もせずに受け入れた。


 呆気なく剣が首に刺さる、勢いよく血が流れ、リナは……。


 目玉をギョロリと動かしこちらを見る。


 「はぁ……?」

 「ゴホッ……な、んで……アラ、ン」


 リナが表情を変える、リナの、慣れ親しんだ顔だ、聞き慣れた声色だ、無理解と衝撃で顔を歪めて、アランを見ている。


 首の剣を抜き、血が吹き出すのを見て衝撃の表情を浮かべている。


 「ぁ……?ああ?おま、お前、今更、そんな」

 「痛い……痛い……アラン、助けて……!」

 「……!!」


 リナを……否、リナの姿をした何者かを突き飛ばす、リナの姿をした何者かはバランスを保てず派手に転倒した。


 仰向けに倒れ、首から血を流し、目を見開き天井を見つめている……まだ死んではいない、だが時間の問題だろう。


 「……こいつは、リナじゃない、リナじゃない、偽物だ、俺は、正しいことをしたんだ」


 誰に言うでもなく呟く、返答を期待したものではない。


 「……ひどいですねぇ、リナさんも可哀想に」

 「!?」


 目の前の女が立ち上がっていた、首から血を出しながら、全く平気そうにしている。


 「お、お前……生きてッ」

 「ほっとしました?」

 「は、あ?だ、誰が」

 「良かったですねぇ、恋人を……そしてリナの子供を殺さなくて」


 予想外の言葉に頭が真っ白になる。


 「な……なに、言って」

 「そのままの意味ですよ」


 女が距離を詰めてくる、酷く甘美な血の匂いから、精神操作で気を逸らす。


 女がアランの顔を手で包み、女の口元にアランの耳を引き寄せ囁く。


 「ねえ、アラン?私……私ね……子供が、出来たみたいなの」


 一瞬で頭に血が上る、リナの声で、リナの顔で、コイツは、今、なんと言ったのだ。


 首を掴み押し倒す、地面に倒し、力の限り首を絞める。


 「お前ッ!その声で喋るな!口を閉じろ……!そんなデタラメを……!よくもッ!」

 「現実を直視してよ、アラン」

 「黙れッ!黙れ黙れ黙れ!その口を閉じろ!!」


 狂ったように叫ぶ、歯を食いしばり手に力を込める、それでも、呼吸など到底不可能のはずなのに声は止まらない。


 「お腹に赤ちゃんがいるんだよ?もっと丁重に……」

 「お前の……!化け物の子供なんて死んだ方がいいに決まってる!死ね!死ねよぉ!!」

 「……ふふ、私の、ではありませんよ」


 あらん限りの力を込めて首を絞める、それなのに声が止まる気配は無い。


 「()()()()()()()()です」

 「……ッ!!」

 「私のこの体はリナの物でした、精神を食い、魂を食い、身体を奪ったのです」


 その言葉を、アランは信じなかった、構わず首を絞める。


 「彼女の子ですよ、最早彼女の心は消え去り消化されてしまいましたが、彼女の子は残っています」

 「……黙れ、黙れ、黙れ」

 「私は確かに化け物でしょう、人では無いでしょう、ですがお腹の子は?今はもう亡きリナの子供ですよ」

 「うるさい、黙れ、黙れよぉ!」

 「……ふふ、ふふふ、ふふふふふふ……ねえ、気づいてます?あなたのこの手……全然力が入ってないですよ」


 女がアランを押し返す、予想外の力に、思わず後ろに倒される。


 「それでも……リナの子を殺せると言うのなら、どうぞこちらを」


 女が半ばから折れた鋼鉄の剣を拾い、持ち手をこちらに向ける。


 そうしてアランの手に握らせ、今度は剣先を女の首に向ける、女の首は未だ血が出ている。


 「どうぞ、折れているとは言え剣です、押し込んで首を完全に切り落とせば殺せますよ」

 「……俺に、そんな、そんな事を」

 「それともこちらの方がいいですかね?」


 女が剣先を下げる、ゆっくりと合わせた剣先はは、腹に向かっていた。


 顔を歪ませる、酷い耳鳴りがする、知らじ知らずのうちに涙が溢れ出す。


 答えは決まっていた。


 「…………やめてくれ」

 「……ええ、構いませんよ」

 「…………子供を、子供だけでも、助けてくれ……」

 「ええ、もちろん、構いませんよ」


 女が三日月のように口を曲げ笑う。


 「ただしこちらも条件があります、私は仲間が欲しい、同じ目的に向かう仲間が」

 「俺が……俺だけで足りるのであれば、俺がなる」

 「……ええ、あなたならそう言うと思っていました……大丈夫、仲間になると言ってもそう難しい事ではありませんよ」


 女の目が熱を帯びる。


 「ただ、誓っていただければ良いのです、神への信仰を全て捨て、食神様を崇め奉ると、その心身を捧げると」

 「……契約を……子供には、何もしないと、無事に生むと、そう誓ってくれ」

 「ええもちろん、すぐにでも契約を……」


 女が不意に後ろを向く、先程までの楽しげな雰囲気は消え、警戒心を露わにしながら天井を見ている。


 「……」

 「……どうした?」

 「来る」


 女がアランに手を当て何らかの魔術を発動する、その直後、何かが落下してくる音と共に部屋の中心の天井が崩壊して、爆発的な衝撃波が広がった。


 「!?!!?!」


 隕石でも落ちたかのような破壊は家全体を全て吹き飛ばし、アランもすぐに弾き飛ばされた。


 転がりながら衝撃を殺す、不思議と怪我は無い、女の魔術だろう。


 爆心地であるアランの父の家は完全に崩壊していた、魔術か、あるいは精霊術か、ドラゴンでも襲ってきたのか。


 破壊の中心、クレーターの中には、神官服を着た女が一人と、同じく神官服を着た少年がいた。


 「ハカモリを傷つけた奴!!ここにいんだろ!!?出て来い!!」

 「……師匠」

 「私を師匠と呼ぶな、たとえそれが正しくてもな」

 「シスター、僕は着地をしっかりと、と言ったはずだったんですけど?家に誰かいたらどうするんですか」


 少年が憂鬱そうに言う。


 「はッ!誰が死のうが知らねーぜ、私はハカモリの報復をするだけだ」

 「……ハカモリさんの、師匠……」


 リナの姿をした何者かがいつの間にか首の傷を完治させ、アランの前に立ちそう呟く。


 「ああそうだ、私こそ、ハカモリの師匠」


 女が笑う。


 「ここには報復に来た、ぶっ殺してやるよ」

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