第一声 人は欠点こそが愛おしい
高校二年春。
去年のクラスメイトと別のクラスになったことを悔やむ奴や、二年連続で同じクラスになれたことを喜ぶ奴、また今年は同じクラスだなとはしゃぐ奴で教室の声は満たされている中、俺はただ一人黙々と座っていた。
俺には友達がいない。別にいらないと思うほど捻くれてはない。友達がいたら楽しいだろうし、放課後に寄り道するのも青春だろう。でもそれができないのは俺は自分の声にコンプレックスを持っているからだ。普通の人よりも低い声なのだ。話しかけても声が低いばかりに機嫌が悪そうに見えたりと、とにかくいいことがない。それのせいでいざ話そうと思っても上手く言葉が出てこない。
変な声だと思われたらどうしよう、喧嘩売ってると思われたらどうしよう、話しかけんなって思ってるのかなと思われたらどうしよう、そうした不安が際限なく出てきて、最終的には誰にも話せない。
この声のせいで俺は孤独だ。
「君、隣の席なんだね、よろしく!」
そう言ってきたのは、一年生の頃からクラスは違えど名前は誰もが知っている。
すらりと伸びた濡羽色の髪、整った瓜実顔、瞳はどこまでも透き通ったかのように鮮やかで、スタイルも良い、その上成績優秀、品行方正、謹厳実直。つまるところ、何もかもが完璧な高嶺の花。愛上 綾。
「……あ、はい。よろしくお願いします……」
しまった。緊張して声がいつもよりも低めになってしまった。いや、別になんと思われようと今更だけど、せっかく話しかけてくれたのに、不機嫌そうに対応してしまった。そのことが恥ずかしくてならない。
「君、名前はなんていうの?」
「えっと……長田 勇です」
「長田くんね、放課後ちょっと話があるの、よかったらちょっと残ってくれない?」
「……はい?」
拝啓、お父さん、お母さん。
私は今日、この高校生活に本当の意味で終わりを告げるかもしれません。
いや、今までも終わってたみたいなもんだけど、目をつけられちゃいけない人に目をつけられてしまいました。
まぁ完璧な人間なんていないので暴行とカツアゲくらいは甘んじて受け入れます。
あぁ、さようなら、私の青春。あぁ、さようなら、我が母校。あぁ、さようなら、高嶺の幻影。
ビクビクしながら過ごすと、新年度の初日ということもあってすぐに学校は終わった。まだ昼頃と言ってもいい。
教室に人影は少なくなり、いよいよ、俺と愛上さんだけになった。
「あ、あの……話というのは……えっと、今お金そんなに持ってなくて……」
財布を懐から出すと、目の前に一万円札が一枚差し出された。
理解が追いつかないまま顔を上げると確かに愛上さんが俺に金を出していた。
「お願い! 長田くんのASMR音声を私に売って!」
「……はい?」
何を言われてるのか分からなかった。聞き取れてもその意味をうまく理解できない。いや、マジでどういうこと?
「実は私、その……重度の声フェチで……特に重低音の声が好きなの……長田くんみたいな。あ、あのね! 実は趣味で台本も書いてるんだ。収録機材とかは持ってないから後日ウチで収録してもらうことになるけど、これはその前金! ど、どうかな? よ、よければ定期購入もさせてほしい……」
「…………いや、意味がわからないです」
何やら興奮気味に話してるけど、まるで言ってる意味がわからない。汗ばんでるし目も怖いし、何より恐ろしいのはその一万円札だ。
何? ソレ。ちょっと怖いんだけどソレ。しまってソレ。
「に、二万円! いや、三万円出せるよ!! それでもというなら言い値で!!!」
「違う違う、額の問題じゃないです! そもそも、俺の声とか低すぎて気持ち悪いし、不機嫌そうだし、変じゃないですか」
「変じゃない!!!! 素敵な声だよ!! 少なくとも私は長田くんの声大好きだもの!!」
愛上さんの言葉が頭の中で反響する。
この声はずっとコンプレックスだった。いっそのこと話せなくなればいいとすら思ったこともある。でもそれを認めてくれる言葉がどれだけ嬉しかったか。
「…………その、お金は要りません。というか何も要りません。その言葉だけで十分嬉しいです」
「何も……要らない……? そ、そんな……お布施無くしてきょ、供給されるだけなんて……オタクの風上にも置けないよ……せ、せめてご飯奢らせて!」
なんかすごい狼狽え始めた。この人はなんというか貢ぎ体質なんだな。完璧な人はいないと先述したが、まさか、このベクトルで高嶺の花が崩れてくとは思いもしなかった。
「いや、そういうのもいいです! 第一、愛上さんと出掛けてるとこ他の人に見られたらなんで思われるか……」
「なんで?」
「だって愛上さんは……ほら」
「あー……私、陰キャだもんね……」
何言ってんの? この人。
ガチモンの陰キャの俺に対する嫌味かな。
「いや、その対極にいるじゃないですか、愛上さんは」
「私全然陽キャじゃないよ。本当、陰キャだよ、友達いないし。なんか距離取られてるもん。ここ一年ずっとそう。話しかけてもみんな敬語だし、どこまで頑張ってもどこか他人行儀。二年生はそんなことにならないようにって隣の君に声をかけてみたんだ」
ずっと高嶺の花だと思ってた。恵まれた人格を持ち、恵まれた頭脳を持ち、恵まれた人間関係、何もかもがまるで神に愛されているかのような施しを受けてるのだとばかり思ってたが、現実ではそうではなかったみたいだな。
確かに、言われてみれば愛上さんが誰と仲良いという話を聞いたことはない。
「愛上さんって案外、人間っぽいんですね」
「え、何!? それ!! どういうこと!?」
「いえ、想像と少し違ったということです」
「も、もう……意味わからないよ……」
しゅんとする愛上さんを見てるとなんだかおかしくなってくる。
誰にでもコンプレックスはあるけれど、それはそのまま短所というわけではない。短所に見えやすかったり、逆に長所に見えやすかったりするのだろう。
そう考えるとなんだか救われた気がする。
「土日ってことでいいですか?」
「そ、それって!!」
「はい。用意が出来次第というこ───」
「次の土曜日!! で、いい……かな?」
愛上さんは俺の言葉に被せて、やはり興奮気味に少し大きな声を上げた。
「はい。では次の土曜日で」
それに俺は、やはり若干引きつつも、少しばかりの嬉しさを抑えてそう言った。