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お嬢はやけにぐいぐい来る  作者: 狐白雪
第四章 初夏の訪れ
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78.特大の想定外(1)

「っ、神原(みはら)さん⋯⋯ッ!?」


 鼓膜を揺さぶるその声に(ひる)みつつも半ば反射的にそう叫ぶが、聞こえるのはベッドの(きし)むギシギシという音と苦しそうなうめき声だけで返事が無い。


(⋯⋯っ、何が起こってる!?)


 明らかに尋常ではない様子に電気を点けるのも忘れて歩を進め、薄暗い中ベッドの前まで辿り着いた咲希は目の前の状況に思わず息を呑む。


(何だ、これ⋯⋯)


 蹴り上げられたかのように大きくめくれ上がって半分ほどが床に落ちた掛け布団。元の位置から大きくズレて横の方に転がっている枕。

 それだけでも十分散々な状態と言えるが、何よりの問題は──。


「〜〜ッあああ!!」


 断続的に叫び声とも悲鳴ともとれる声を上げる夏愛(なつめ)はぎゅっと目を瞑ったままベッドの上でじたばたと暴れており、下手に触れられないと判断した咲希はその場で膝を折ってベッドの端に右手を突き、五十センチも無い至近距離で呼び掛ける。


「神原さん!どうした!何があった!?」

「ううううぅ⋯⋯っ!」


 しかしその声から逃げるように身体ごと顔を背けて嫌がる子供のように首を左右に振り始めた夏愛に、これじゃ駄目だと小さく舌打ちする。


(くそっ、やっぱりこの状態じゃまともな会話は無理か!?今の反応からして少なくとも声は届いてる⋯⋯けど、意識がはっきりしてなきゃ何の意味も無い⋯⋯!どうする!?どうすれば──)

「──た、い⋯⋯」

「⋯⋯っ、神原さん!?神原さんッ!!」 


 微かに聞こえた言葉の断片に思考を打ち切り、この機を逃す訳にはいかないと即座に片膝をベッドに乗せて両手を夏愛の横──こちらに向いた背中の前──に突いて半ば覆い被さるような形で真上から連続で呼び掛けると、固く引き結ばれた唇の隙間から苦しそうな声が絞り出された。


「ぅ、あ⋯⋯いた、い⋯⋯」

「痛い!?どこだ!どこが痛いんだ!?」


 咲希の声が届いたのか否か、背けていた身体を仰向けに戻した夏愛はゆっくりと右手で左の二の腕の辺りを押さえた。


(左腕⋯⋯)


 袖で隠されたその部分に彼女を苦しめている原因がある。そう確信して手を伸ばそうとした咲希だったが、ひとつひとつが短く頻度の高い呼吸に混じって聞こえる途切れ途切れの悲痛な声に何かがおかしいと動きを止めて、気付く。


「神原さん駄目だッ!!そんなに強く握り絞めたら腕が⋯⋯!」

「っ、イヤぁぁっっ、!!」

「くっ、こら、暴れない⋯⋯っ!」


 指が真っ白になるほどの明らかに過剰な力で自らの左腕を押さえつける夏愛の右手首を掴んで離させようとするが、悲鳴のような声を上げながらじたばたと暴れて抵抗するだけでその手は微動だにしない。

 その間にも圧迫され続けて指先から段々と青白く血色が悪くなり始めている左手を横目に唇を噛む。


(っ、多少強引になるけど仕方ないか⋯⋯!)


 手首を掴んだままもう片方の手を使って半ば強引に指を(ほど)き、心の中で謝りながら右手が離れた一瞬の隙に左腕の袖を一気に捲り上げる。


「──っ!!」


 その瞬間、咲希は思わず目を見開いた。

 それと同時に後ずさるように僅かに体を起こしたことで袖と手首をそれぞれ掴んでいた手が離れるが、自由になってもその腕は力なく投げ出されたままで、先程のような事態にはならなかった。

 それによりこの薄暗闇の中でも意識を集中させる余裕が生まれ、改めてその光景を冷静に受け止めることが出来た。


(これが⋯⋯痛みの原因⋯⋯)


 袖が捲られ、(あら)わになった夏愛の左腕。細く、日焼けを知らない真っ白なその白磁の肌に刻まれた、あまりにも場違いな異様な影。

 視線の先にあったのは、二の腕の中央に残った赤い痣のような右手の指の跡⋯⋯ではなく、その下。


 二の腕から肘の側面を通って前腕へ。合わせて十センチは超えるであろう大きな傷跡だった。


 どうしてこんなものが、という疑問と同時に咲希の脳裏にある記憶が浮かぶ。


(この傷⋯⋯まさか、創傷か⋯⋯!?)


 長さに対しほとんど横幅の無い細い一本の線のように伸びたこの傷跡は、おそらく鋭利な刃物かそれに近い何かによる切り傷で間違いない。


(だとしても一体、何があったらこんな⋯⋯)


 ここまで大きな傷が日常生活で出来るとは思えない。そのため考えられるのは何かしらの事故や事件に巻き込まれたという可能性だが、ここ数週間以内に近くでそういう物騒なことがあったという話は聞かないし、そもそも夏愛がそんなものに巻き込まれていればいくら咲希でも絶対に気付く。そう言い切れるだけの自信はある。


 ⋯⋯ただ、その自負が裏目に出た。


 実の所、今の咲希は表面上平静を装っているだけで、既に内心では激しく動揺していたのだ。

 自分が対応し、静かに眠りについたはずの少女が目の前で苦しんでいる。それなのに、自分には見ていることしか出来ない。

 ただでさえその無力感と闘いながらギリギリで動いていたというのに、そこに投下された特大の想定外(腕の傷)が残っていた冷静さのほぼ全てを消し飛ばしてしまった。

 それでも今この場にいるのは自分だけで、他人の助けを待つような時間的余裕も無い。


(だから僕がしっかりしないと⋯⋯どうにか、何としてでもこの状況を変えないと⋯⋯!)


 残された精神力を惜しみなく注ぎ込み、極限まで意識を集中させる。

 不安定な思考の海。その中で浮かんでは(はじ)け、繋がりかけては(ほど)けて霧散していく数多の可能性の点。そのひとつひとつを精査し、掴み、引き寄せ、点と点からひとつの線を作り上げていく。


(⋯⋯そうだ。今日の昼間(さいご)に河川敷で見た時からここに来るまで⋯⋯その空白の数時間で何かがあったとしたら⋯⋯?)


 ある種の確信とともに顔を上げ、もう一度夏愛の腕の傷に視線を落とす。


(だとしたら僕が今の今まで神原さんの異変に気付かなかったことに説明がつくし、うなされてるのだって傷が痛むからって納得が出来る⋯⋯!)


 泥沼の底からようやく見えた光明に自然と口角が持ち上がるのを感じながら、咲希はそれ以上深く考えることなく手を伸ばした。いや、伸ばしてしまった。

 自分の立てた推測が、ただ物事の辻褄を合わせるためだけに()()()()創り出された都合の良い想像でしかないとも知らずに。


(とにかく一旦、起こさないと──)


 伸ばした手が肩の辺りに触れる、その刹那。視界の隅で、ずっと固く閉じられていた白百合色の瞳が大きく見開かれた。

 それに気付いて視線を動かそうとした、次の瞬間。

 あまりにも唐突に、夏愛が大きく右手を振り払った。

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