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お嬢はやけにぐいぐい来る  作者: 狐白雪
第四章 初夏の訪れ
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76.お嬢の体調不良と看病(5)

「へっ⋯⋯?」


「優しくて、柔らかくて、落ち着く匂い。普段触れ合ってる時よりも濃い匂いに包まれてて、咲希さきくんがいつもここで寝てるんだって思うと──」

「ちょっ、ちょ待っ、ストップ!!待って、恥ずかしいからっ!?」


 慌てて両手を突き出し言葉を遮る。

 男の匂いなんて普通は不快に思われるはずなのにまさかまさかの好きだと言われ、猛烈に湧いて来た羞恥心で一気に顔が熱くなる。


 真っ赤になった咲希の前でくすくすと笑っていた夏愛なつめの方から小さく「かわいい」という声が聞こえたような気がしたが、とてもじゃないが反応出来るような状態ではなかったため気付かなかった振りをしてやり過ごし、代わりにこれだけ言っておく。


「冗談でもそういうことを男に向かって言うのはやめなさい⋯⋯。勘違いされますよ」

「⋯⋯むっ」


 それを聞いて微妙に不貞腐れたような表情を浮かべた夏愛は自分で布団を引っ張り上げて頭まで完全に隠れてしまったので、咲希は思わずため息を零してしまう。


「危ないんだって⋯⋯本当に。もし、万が一があったらどうするんだ⋯⋯」


 心の声が漏れた形で呟かれたその言葉に反応してか不意に布団の山がぴくりと動き、やがて端からそーっと覗いた白百合色の瞳と視線がぶつかる。


「⋯⋯」

「⋯⋯」


 互いに何も言わず、ただじっと見つめ合うこと約十秒。咲希はようやく夏愛が何かを待っているのだということを理解する。


「⋯⋯いや、あの⋯⋯本当にいいんですか?」


 我ながらしつこいとは思いながら最終確認としてそう尋ねると、夏愛は躊躇ためらう素振りすら見せずに小さく頷いて再び目を閉じてしまった。


(⋯⋯ああもうっ⋯⋯!)


 その光景に声にならない空気の音を喉から絞り出した咲希は右手で自分の額を押さえる。


(こっちが断れないって分かった上で⋯⋯っ)


 普段の咲希なら他人──それも女性──のこんな頼みは確実に断っている自信があるのだが、今のこの状況に限っては変に誤魔化したり逃げたりするのは逆効果に思えるし、そもそも最初の段階で一度了承した手前ここでやっぱ無理ですは流石に人としてダメな気がする。


 チラリと視線を前に向けるが、夏愛は相変わらず目を閉じたまま静かに"それ"を待っている。


(⋯⋯っ、ここまでされたら、もう⋯⋯)


 ある種の諦めとともに唇を引き結ぶと、崩していた脚を正座に直して姿勢を正す。


「⋯⋯失礼します」


 心の準備を終えると、一応そう断ってからおそるおそる左手を伸ばし──。


 ぽん、と。

 優しく少女の頭に触れた。 


「んみゅ」


 少しだけしっとりとした黒髪越しの熱い体温が掌に伝わると同時にそんな声が聴こえて一瞬心臓が跳ねたが、そのまま撫でるように腕を揺らすと夏愛の目元がへにゃりと緩んだように見えて何とか大丈夫そうだと安堵する。


「⋯⋯咲希くんの手、大きくて優しくてきもちいいです」

「っ、」


 しばらく髪の流れに沿うように丁寧に撫でていると、心地良さそうな吐息とともにふと呟かれた不意打ちのような一言に咲希は思わず固まって、それからため息混じりの息を吐く。


「⋯⋯それは良かった」


 微かに上擦った自分の声から頬が緩んでいることを自覚して何とも言えない気持ちになるが、その感覚も撫でる手が止まったことに対する夏愛の「んー、」という不服そうな声に慌てて撫で直している間に忘れてしまった。




(⋯⋯眠った、か⋯⋯)


 結局それから五分足らずで穏やかな寝息が聴こえ始めると、咲希は撫で続けていた手を止めてそのまま少し横にスライドさせ、夏愛の目の下辺りまでを完全に覆う形で掛かっていた布団の端を掴んで慎重に彼女の肩の辺りまで引き下げた。


(⋯⋯、大丈夫そうだな)


 一応その状態で少し待って彼女の呼吸に変化が無いことを確認すると、そこでぷつりと緊張の糸が切れたのかいきなり全身の力が抜けた。


(っ⋯⋯、とりあえずこれで⋯⋯役目は、果たしたぞ⋯⋯)


 後ろに傾けた上体を支えるように両手を背中側の床に突き、正座を崩しただけの不格好な胡座をかきながらゆっくりと息を吐くと、チラリと視線をベッドの方に向ける。


 夏愛の着ているジャージの上着は首までしっかりと襟があり正面がファスナーで開くようになっている一般的なタイプなので、顔まで覆っていた布団を肩まで下げた程度では極端に肌の露出が増えるということは無い。ただ少なくとも、これで寝ている間に熱がこもって症状が悪化してしまうという、事態は避けられるはずだ。


(着替えの時にでも飲んだのか経口補水液のペットボトルもほとんど空になってたし、このまま順調に行けば目が覚める頃には全快⋯⋯とまではいかなくても大分楽にはなってるはず。とはいえ──⋯⋯)


 再び力を込めて身体を起こし、冷却シートの貼られた夏愛の額に浮かんでいた汗を清潔なタオルでそっと拭ってやりながら、何度目かも分からないため息とともに眉を下げる。


(やっぱり、相当無理してたみたいだな⋯⋯)


 彼女は顔にこそ出していなかったが、やはり身体の方は──それこそこんな短時間で意識が落ちるくらいには──限界だったらしい。

 ただそれは暑い中ウォーキング大会で一日中外を歩いて体力を消耗した上に熱中症にまでなってしまったのだから当然というか、むしろここまでずっと意識を保っていられたこと自体が異常と言っても過言では無いのだ。


 だからそれに関して咲希が何か言うつもりは無いし、結果的に咲希が看病することになったことも全然構わないと思っている。というか咲希は既に一度夏愛に看病してもらった恩があるので、その恩返しとして看病をするのは当たり前のことだと思っているし、正直半ば義務みたいな部分もある。


(まぁ一番は『約束』したから、ってのが大きいんだけどな⋯⋯)


 一週間前、夏愛は気分的に落ち込んでいた咲希をショッピングに連れ出して元気付けてくれただけでなく、その後は咲希の自宅でまったり膝枕という極上の待遇をもって癒してくれた。

 しかもそのまま膝の上で寝落ちした挙句、一時間以上も熟睡してしまうというとんでもない体験もしてしまった。いやさせて頂いた。


「⋯⋯、〜〜っ!」


 その時感じた人肌のぬくもりや柔らかさ、それとゆったりとした優しく甘い空気を思い出してしまい、遅れて襲って来た猛烈な恥ずかしさに両手で顔を覆って悶絶する。


 声を出せない代わりに内心で叫びながら、このままではいけないとぶんぶんと首を振って無理やり意識を切り替える。


(⋯⋯にしてもよく寝てるな⋯⋯)


 すやすやと寝息を立てる夏愛の寝顔を見ながらそう思ったのだから結局何も切り替わってないのだが、咲希自身はそのことに気付かないまま両手で膝を抱えて背中を丸め、小さくなって目を閉じる。


 数分前、咲希が夏愛から受けたお願いは『眠るまで頭を撫でていてほしい』というものだった。

 それを聞いた時は当然困惑したしそもそも他人に触れられながら眠るのはわずらわしくて無理じゃないかとも思ったのだが、当の本人は本当に頭を撫でられながら眠ってしまったので結果的にそれは杞憂に終わった。

 ただ、問題はそこではなく⋯⋯。


(何で男の目の前でこんなに無防備に眠れるんだ⋯⋯)


 今更ながらに状況の異常さに気付いて頭を抱える。


 以前からそうだが、夏愛は何というか異性に対する警戒心というものが欠落しているように思えるのだ。

 ただでさえ会った当初からぐいぐいと距離を詰められて対応に困り続けているというのに、最近はそれに加えて手を繋いだり膝枕をしたり抱き着いて来たり、以前と比べて明らかに直接触れ合うことが増えて来ている。


 別に不快には思っていないし相手が相手なので正直嬉しい気持ちが無いと言えば嘘になるのだが、だからこそ──。


(ふとした時に⋯⋯怖くなる)


 もしも、今よりもっと親しくなって。

 もしも、今よりもっとお互いのことを知って。


(⋯⋯もしも、"あのこと"を知られてしまったら⋯⋯)


 こうして目を閉じていると思い出す。

 嫌悪、軽蔑、拒絶──自分に突き刺さる数々の視線を。凍えるような敵意を。


(⋯⋯そうなれば、僕は──)


 無意識に唇を噛んだ、その瞬間だった。


「うぉわっ!?」


 突如部屋中に響き渡ったポップな音楽に心臓が飛び跳ね、驚いたはずみでつい大声を出してしまった自分の口を慌てて押さえる。


(しまっ⋯⋯!スマホの通知っ、切り忘れた⋯⋯ッ!?)


 聴き覚えのある曲調から瞬時に音源が自分のリュックの中にあるスマホだと理解すると、急いでサイドテーブルの近くに置かれていたリュックの外ポケットに手を突っ込み、そこに入っていたスマホの画面を感覚で操作してまず最優先で爆音の着信音を止める。


 そしてそのままの流れで部屋から出ようと立ち上がってから一瞬だけ視線を後ろに投げると、変わらず眠っている夏愛の姿に何とか起こさないで済んだと安堵しながら早足で廊下に出て後ろ手に扉を閉めた。


「⋯⋯びっくりした⋯⋯」


 普段咲希のスマホは常にマナーモードがオンになっているため着信音が鳴るということは無いのだが、今日は日中に長時間屋外で活動するウォーキング大会があった。そのため歩いている時でも確実に着信に気付けるようにしておく必要があり、その対策として朝のうちにマナーモードをオフにしていたことを完全に失念していた。


『──!──!』

「?⋯⋯あ、」


 とりあえず一旦落ち着こうと扉にもたれて深呼吸をしようとしたのだが、ふと手元から何かが聞こえるような気がして何気なく掴んでいたスマホの画面を見てみると、まず最初に目に入ったのは通話中の三文字と既に一分以上が経過した通話時間のタイマー。それからその上に表示された名前を見て、咲希は何故か反射的に背筋を伸ばしてからおそるおそるスマホを耳に当てた。


「む、村雨むらさめさん⋯⋯?」

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