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お嬢はやけにぐいぐい来る  作者: 狐白雪
第四章 初夏の訪れ
74/79

74.お嬢の体調不良と看病(3)

「⋯⋯へっ?」


 一瞬聞き間違いかと思って自分の耳を疑うが、聞き返すよりも早く額を差し出すように少し前傾姿勢になって目を閉じた彼女を見てそれが聞き間違いなんかではなく確固たる事実なのだと理解する。


(いやいやいや⋯⋯貼ってと言われても⋯⋯)


 床に膝立ちになっている咲希(さき)はベッドに腰掛けている夏愛(なつめ)と目線の高さが大体同じくらいなのだが、その状態で目を閉じられるとまるで別の何かを待っているかのように思えてしまい何と言うか非常に落ち着かなくなる。


(平常心⋯⋯平常心⋯⋯ただ額にシートを貼るだけ⋯⋯。全然、どこにも、何も問題なんてない。いつも通り、普通にやれば⋯⋯)


 微妙に震える手でシートのラベルを剥がして夏愛の額の前まで持って行くが、肌に触れる直前でその手が止まる。


「⋯⋯綺麗だな」


 シミひとつ無いきめ細やかな絹のような白い肌、整った鼻梁、腰まであるキューティクルばっちりの黒い髪。そして何より目を引くのはやはり、透き通るような白銀色の睫毛だ。


 遺伝の関係で同一人物でも一部の体毛の色が他と異なる場合があるというのはよく聞く話だが、それにしてもここまで綺麗なものを実際に見たのは彼女が初めてかもしれない。


  白系統というのは他系統の色に比べて圧倒的に希少価値が高く、髪だけに限れば現代日本の約一万人に一人、そこから銀髪や灰髪などの混血を除いた純粋な白だけなら約百万人に一人程度しかいないと言われているほどだ。


 一応夏愛の場合は髪ではなく睫毛の方なので若干劣りはするものの、それでも目を引く(目立つ)ことには変わりない。


 ──という風な色々な理由があって咲希は普段はなるべく意識しないように気を付けていたのだが、至近距離だからこそ分かる細部の美しさに改めて圧倒され次第に鼓動が速くなっていく。


 そして咲希の視線は目的の額ではなく、そのまま流れるように薄い桜色の唇の方に吸い寄せられる。


(⋯⋯、)


 その唇は咲希のものとは違いとても潤っていてツヤがあり、見るからにふわふわで柔らかそうなそれはあまりにも魅力的で、思わずそっと指を沿わせたく──⋯⋯。


 という危ない衝動を何とか思考の外に追い出し首を振って煩悩を消し去ってから再び正面を見ると、うっすらと開かれた瞼のカーテンの隙間からこちらを覗く白百合色の瞳と一瞬だけ視線がぶつかった⋯⋯ような気がした。


「⋯⋯。あの、今⋯⋯」


「⋯⋯」


「⋯⋯いや、今更そんなギュッと目を(つむ)っても無理ですよ⋯⋯?」


 何故か頬を色付かせた夏愛が何のことだと言わんばかりに目を閉じたまま無言&無表情を貫くので、咲希は「まぁいつまでも動かなかった僕が全面的に悪いんでこれ以上何も言えないんですけど⋯⋯」と零してからそっと息を吐く。


「⋯⋯じゃあ貼りますけど、結構冷たいので少しびっくりするかもしれませんよ」


 今ので何となく緊張が解れた咲希は彼女の前髪を巻き込まないように気を付けて、今度こそ額にぺたりと冷却シートを貼り付けた。


「んっ⋯⋯」


 案の定ぴくりと肩を揺らした夏愛からそんな甘い声が漏れたが、この後の空気感を考えた咲希はお互いのために気付かなかったことにして素知らぬ顔でベッドから距離をとった。


「お、終わりました〜⋯⋯。もう離れたので大丈夫です」


 両手を顔の高さまで上げた降参のポーズで呼び掛けると、ゆっくりと瞼を持ち上げた夏愛は咲希を視界に収めて、そして。


「⋯⋯ありがとうございます」


 ふわっ⋯⋯と。


 柔らかく微笑んだその姿に思わず息を呑んだ咲希は反射的に顔を背けて、それでも足りずに慌てて部屋の隅っこにあるタンスの前まで這い寄りベッドの方に背中を向けて表情を隠す。


(まずいまずいまずいまずい⋯⋯っ、この感覚は⋯⋯ッ!)


 嫌な汗が頬を伝う。


 脳裏に浮かんだのは以前咲希が体調を崩した時のこと。あの時もこの部屋で、咲希はこの感覚に陥ってしまった。


 荒い呼吸を繰り返しながらせめて最小限に抑えられないかと反射的に自分の心臓の辺りを押さえるが、そこで咲希はある違和感に気付いた。


「あっ、あれっ⋯⋯?」


 思わずそんな声が漏れる。


 呼吸は荒く、心臓は痛いくらいに暴れ、顔はもちろん全身が燃えるように熱くなっている。


 だけど、どういう訳か全然苦しくない。


 そもそも、今までの流れの中にこれを引き起こすきっかけとなるものがあっただろうか?


「咲希くん、大丈夫ですか⋯⋯?」


「っ⋯⋯!だ、大丈夫です!」


 後ろから掛けられた夏愛の言葉にほとんどノータイムで反応出来たことに自分で驚くと同時に、あれだけ荒れていた呼吸と心拍がいつの間にかほとんど正常に戻っていることに気付いて頭の中が疑問符で埋め尽くされる。


 よく分からないがとりあえずこの機を逃す訳にはいかないと思った咲希は目の前のタンスを物色し、良さげなものをいくつか選んで振り返った。


「すみません神原(みはら)さん、僕ちょっとシャワーだけ浴びて来るのでその間にこの服に着替えて貰ってもいいですか?」


「え⋯⋯?」


「あっいや!変な意味じゃなくて!折角綺麗な服なのにそのまま寝るとシワになっちゃうので、一応着替えた方が良いかなって。しっかり全部洗濯してあるので汚くはないので⋯⋯!」


「き、汚いなんて、その心配はしてませんが⋯⋯。そういうことなら分かりました。服、お借りしますね」


 割とすんなり了承してくれた夏愛に感謝しつつ畳まれた上下のジャージやらTシャツやらを手渡すと、咲希はまた別の自分の着替えを持って立ち上がった。


「あ⋯⋯そうだ。十分くらいで上がる予定ですけど、部屋に入る時には必ずノックをするので焦らずゆっくり着替えて下さい。いくらでも待つので時間は気にしなくても」


「⋯⋯お気遣いありがとうございます」


 当然のことを言っただけなんだけどな、と苦笑混じりの会釈を返した咲希はついでに足元にあったリュックから役目を終えたクーラーボックスを回収して部屋を出る。


「⋯⋯」


 音を出さないようにドアノブを捻ったまま後ろ手に扉を閉め、そのまま扉にもたれるように背中を付けて天井を見上げた。


(⋯⋯何だったんだ、あの感覚)


 今も胸の中に感じるこのモヤモヤとしたものの正体は一体何なのだろうか。


 その場にずるずるとしゃがみ込みそうになるのを何とか(こら)えながら自問していると、部屋の中からぱさりと衣擦れのような音が聞こえて来たため咲希はしこりのような疑問を頭の片隅に残したままそそくさとその場を離れた。

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