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お嬢はやけにぐいぐい来る  作者: 狐白雪
第四章 初夏の訪れ
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71.ウォーキング大会 急転!

「うおっ、河館(かわだて)じゃん!どした急に走り込んで来て。(なん)かあったか?」


 どうやら知り合い、というか同級生だったらしくぺしぺしと肩を叩かれながら名指しで声を掛けられるが、咲希(さき)の意識は全く別の方──およそ二十メートル離れた川の真ん中に向いていた。


 「おーい無視は酷いぞー、聞いてるかー?」という言葉も聞き流しつつ、まずいな、と口の中で呟く。


 先ほど聞こえて来た男子達の会話の通り確かに遠目に見える小さな影は楽しそうにこちらに両手を振っているように見える。だが、それにしては腕の動きや回数が不自然だ。


 咲希にはあの動きに見覚えがあった。


(──あれは、誰かに助けを求める人の姿)


 それが今、あそこにいる彼にぴったり当てはまるということは、つまり。


(足でも()ったか、あのままじゃいつ溺れてもおかしくないぞ⋯⋯ッ!?) 


 嫌な予感が的中した。してしまった。


 今は暴れながらも何とか顔は水面から出せているようだがあのペースで動き続ければいずれ体力が尽き、完全に沈むのも時間の問題だろう。


 最悪そうなってもまだ助ける方法はあるにはあるが、万が一それが失敗した場合それを未然に防げなかった、言い換えれば最善を尽くさなかった自分はどうなるか。周りにどう思われるか。


「ねぇあれやばくない?」


「うん、溺れてる?よね⋯⋯」


 一番騒いでいた集団が急に静かになったせいか異変に気付いたらしい学生達が周りに集まって来ているらしく、次第に背後から聞こえるひそひそとした話し声が大きくなり始める。


「溺れ、てる⋯⋯?」


 そのざわつきに混ざって絞り出すような声が隣から聞こえたと思った直後、突然咲希の腕が何者かに掴まれた。


「た、頼む河館!あいつ今、溺れてるんだろ⋯⋯!?なら助けてやってくれ!オレの大事な友達なんだ⋯⋯ッ!なぁ、お前なら行けるよな!?な!?」


「⋯⋯、」


 目を見開き口角だけを無理やり上げた不自然な笑顔で腕に縋り付く同級生の必死の懇願に一瞬息を詰まらせた咲希は、僅かに目を(すが)めてから唇を引き結んだ。


(⋯⋯『助けてやってくれ』、ね⋯⋯)


 正直、どの口が言っているんだと思った。


 そもそもの発端は遊泳禁止のルールを破って川に入り現在進行形で溺れかけているアフロの男子とその場にいながら友人の横行を止めなかった彼ら自身であるからはっきり言って自業自得、完全に彼ら自身で解決すべき事案なのだが、目の前の彼の様子を見るとどうやらそうも言っていられないらしい。


 チラリと視線を周囲に振る。


(⋯⋯やっぱり皆野次馬根性で集まっただけで誰も助けに行こうとはしてないか。見慣れた光景とはいえこれが『普通』の考え方なのか⋯⋯?)


 いざという時に実際に動ける人間は本当に限られている、というのは今までの経験から理解している。


 だからここはパニックになりかけている『普通』の彼らではなく、いくらか人よりこういう状況に慣れている『普通じゃない』咲希が動くのが最善というのは分かっているのだが、自分へのリスクやリターンを考えないまま何でもかんでもはい分かりましたの二つ返事で請け負うのはとても危険な行為だというのもそれと同じくらい分かっているつもりだ。


 だから、迷う。


「なぁ、河館⋯⋯頼む⋯⋯っっ!」


「⋯⋯っ、」


 掴んだ手に力を込めギュッと目を瞑ってもう一度そう呟いた同級生に、咲希は吐き出すようにこう答えた。


「⋯⋯分かった。後は僕に任せて欲しい」


「ッ⋯⋯!!助かる!!」


 まだ頼みを聞くと言っただけで事態が解決した訳ではないというのに何度も礼を言ってくる同級生と視線を合わせないように僅かに目を伏せた咲希は掴まれた手から抜け出すと、そのまま一歩前に出て川に近付きゆらゆらと揺れる水面を見ながらゆっくりと息を吐いた。


(⋯⋯出来ることと出来ないことの区別は自分が一番分かってるはずなんだけどな⋯⋯)


 誰にも気付かれないよう心の中で(あざけ)るように笑ってから目を閉じ、意識を内側に集中させる。


(⋯⋯大丈夫、いける⋯⋯。この辺りの水深は約二メートル、泳ぐには充分だしそれより浅ければ足は着く。⋯⋯大丈夫、僕なら出来る⋯⋯冷静に、着実に──)


 何度も何度も自分に言い聞かせ、それでも震える手を無理やり動かしスポーツウェアの上着のジッパーに手をかけた咲希がそれを一気に下まで下げようとした、その瞬間だった。


 ぽん、と。小さな衝撃が咲希の肩に走り、すぐ横を誰かの声が通り過ぎた。


「──無理すんな、河館」


「ッ⋯⋯!?(りく)ど──ッ!!?」


 直後にバシャァッ!という大きな水音が鳴り、その水飛沫を至近距離で全身に受けた咲希が慌てて眼鏡のレンズを袖で拭って視線を前に向けると、美しいフォームのクロールで水面をガンガン進んで行く灰色の頭が視界に入り思わず目を見開いた。


 数秒後、遠くから『落ち着け馬鹿野郎ッッッ!!!』という怒声とともに鈍い破裂音が響き渡り、川の真ん中で暴れ続けていたアフロの男子の動きがぴたりと止まった。


『⋯⋯!!』


 やがて灰髪灰眼の男がこちらを向いて右の拳を天に突き上げると、一拍置いて川岸からそれを見ていた学生達からどっと歓声と拍手が沸き起こる。


六道(りくど)ぉ〜!!かっけぇぞ〜!!」


「流石オレらの六道(りくどう)!!やっぱ違ぇわ!!」


「「「(なぎ)様カッコイイ〜!!」」」


「ほえ〜、見事な泳ぎっぷりっスね〜」


「⋯⋯っ、村雨(むらさめ)さん」


 同級生らしき男子達の声とファンらしき女子達の黄色い声援の中に混じって聞き覚えのある声がしたと思って視線を横に滑らせると、咲希の隣にはいつの間にか赤髪灼眼の後輩が立っていた。


「はーいみんなの後輩村雨(むらさめ)珠秋(たまき)っスよーっと。にしてもあの灰色の先パイ、ものすごい勢いで昼休憩から戻ってきたかと思ったらそのまま流れるような大活躍って。何者なんスかね、あの人?」


「⋯⋯六道(りくどう)凪桜(なぎさ)。成績優秀スポーツ万能人柄も良くて男女分け隔てなく明るく接する人格者、おまけに高校時代は生徒会副会長をしてたくらいカリスマもあって大抵の事は何でも出来る本当に凄いヤツですよ。特に泳ぎに関しては習い事の延長で中学時代に県大会に出場してたくらいなのであいつにとってこれくらいの距離はウォーミングアップにすらならないと思います」


「へぇ〜そりゃまたキャラが濃いというかなんと言うか。てかやけに詳しいっスねクロガネ先パイ、知り合いっスか?」


「知り合いというか⋯⋯。まぁ一応、幼なじみという名の単なる腐れ縁ではありますね」


 百歩譲って幼小中高はまだ分かるが、どうして大学まで同じなのだろう。わざわざこんな地方の公立校を選ばなくとも彼ほどの天才ならもっと上の、超有名国立大学だって充分に手が届いたはずなのに。


「いや、幼なじみを腐れ縁て。⋯⋯あ!あの先パイたち戻って来るみたいっスよ!」


 その言葉に川の方に視線を投げると、灰髪の同級生がぐったりしているアフロの男子に肩を貸した状態で水を掻き分けながらこちらに進んで来ているのが見えた。


 正直あの位置ならこちらに戻るのではなく対岸に向かった方が近いように思えるが、救助の後の諸々の対応を考えるとやはり人や物資の多いこちらへ戻る方が良いし実際彼はそう判断したようだ。


「⋯⋯あの、村雨さん、いきなりで申し訳ないんですけどひとつお願いを聞いて貰ってもいいですか?」


「お願い?うちに出来ることなら良いっスけど。って、ちょっ、クロガネ先パイ!?」


 了承の返事を聞くと同時に(きびす)を返して駆け足でその場を離れると背後から「どこ行くんスか〜!」という後輩の不服そうな声が届いて来たが、咲希は構わず自分の荷物のあるレジャーシートまで戻るとそこにあったリュックを引っ掴んで再び川岸へ戻り、それから取り出したある物を後輩に手渡した。


「え、何スかコレ。タオルと⋯⋯服?しかも二セット⋯⋯???」


 いきなり両手に畳まれた男物の服──しかも上下二着ずつ──を持たされて困惑する後輩は疑問符を浮かべながらこちらを見上げて来る。


「僕の予備の服とその予備の服です。自分で飛び込んだアフロの方はともかくそれを助けに行った六道は多分替えの服なんて持ってないと思うので岸まで戻って来たら渡しておいて下さい。お願いします」


「えっと、それは別にいいんスけど⋯⋯わざわざうちに頼むってことはクロガネ先パイはこれからどこかに行くつもりなんスか?」


「⋯⋯。今日って凄く気持ちのいい晴天じゃないですか。こういう日って特に午後二時辺りが一番気温が高くなるので午前に比べて熱中症とか諸々の体調不良者が多くなるんですよね。⋯⋯さっきはアレでしたけどこれでも救護係なのですぐ対応出来る位置にいないといけないというか。⋯⋯では、僕はもう行くのであとは頼みます」


 最後にぺこりと頭を下げると咲希は珠秋の返答を待たずして土手に放置していた荷物を回収するために川岸の集団から抜け出した。


(⋯⋯『無理すんな』、か。初めて言われた気がするな⋯⋯。⋯⋯ん──?)


 あの瞬間に幼なじみに言われた一言をぼんやりと反芻(はんすう)しながらリュックに荷物を詰め直していると、ふとどこからか視線を感じたような気がして咲希の手が止まった。振り返ると川岸の集団から少し離れた位置からこちらを見る黒髪ポニテの少女と視線がぶつかる。


(⋯⋯っ、そう、か⋯⋯。見られてたのか⋯⋯)


 あることに気付き小さく唇を噛む。


 いつの間にか姿が見えなくなったからてっきりもう次のチェックポイントへ向かったのだと思っていたのだが、どうやらそうではなくて彼女はずっとこの場所にいたらしい。


 助けを求める人が目の前にいるのに動けなかった。そんな情けない姿を一番見られたくない人に見られてしまった、という事実に言い様のない恥ずかしさと悔しさが滲んで来る。


『⋯⋯⋯⋯』


 距離があって細かい表情なんてお互いほとんど分からないはずなのに、こちらを見つめる少女の表情がどこか悲しげに見えて思わず息を呑む。


「⋯⋯っ、」


 その視線が自分を責めているように感じた咲希は後ろめたいものから目を背けるように、嫌なものから逃げるように河川敷を後にした。





「ご苦労だったなキー坊。お前にしてはやけに遅かったような気がするが何かあったか?」 


 午後三時半。スタート地点でありゴール地点である百合(ゆり)(はま)市立大学正門前に設置された運営本部テントにて、二十キロの距離を完走した最後の一人として迎えられていた咲希はこちらをチラチラと見ながら笑いを堪える白衣の女性──養護教諭兼大会総責任者である優奈(ゆうな)を前に微妙な顔をしていた。


「⋯⋯見れば分かるだろ、ちょっと手違いがあっただけだ」


「おいキー坊、素が出ているぞ。それにここは大学だ。子供みたいに不貞腐れている姿を誰かに見られては困るだろう? 」


「⋯⋯、別に」


「へぇ、そうか。お前がそう言うならいいが。まぁその泥だらけの全身を見ればある程度何があったかは察せるかな。大方田んぼにでもハマったか?一応予備の服も渡していたはずだが着替えていないということはどうせまた他人にでも貸したんだろうが」


「⋯⋯流石は優奈先生、僕のことをよく理解してらっしゃる。概ねその通りですよ⋯⋯」


 優奈の指摘に大きなため息をつく。


 実は今の咲希は白基調のスポーツウェアを別の色で染めるように上から下まで広範囲に泥が付いた状態になっているのだが、結論から言ってしまうと優奈の予想通り田んぼに落ちた。


 経緯は単純で、農道の脇に落ちていたペットボトルゴミを拾おうとして屈んだらリュックの重みでバランスが崩れ、手を突くことも出来ずにそのまま田んぼに突っ込んでしまったのだ。


 幸い何も無い場所だったから良かったものの、田んぼの所有者には心の中で謝罪してから落とせる泥は全て洗い落としたのだが、服だけはどうにも出来ず今に至るという訳だ。


「まぁ怪我さえ無いなら服くらいいくらでも(のご)せばいいがな。⋯⋯そうだな、特別に保健室に備え付けられたシャワーの使用を許可してやるからさっさと綺麗にして帰れ。服は朝着て来た分があるだろう」


「え、後片付けとかは──」


「いいから早く行け!これが鍵だ、帰る前に保健室の分かる場所に置いてくれればいい」


「えちょっ、ととっ!」


 放り投げられた小さな金属をキャッチすると、同時に優奈にリュックごと背中を蹴り飛ばされた。


 やり方は荒っぽいがどうやら本当に労わってくれている?らしい。


 何だかんだで良い人なんだよなやり方は荒っぽいけど、と思いつつ咲希は鍵を片手に保健室の方へ向かった。





(よし、これならギリギリ間に合いそう⋯⋯!)


 シャワーを浴びて汚れを落とし、服も着替えて綺麗になった咲希は、どんよりとした鈍色の空の下でパラパラと降り注ぐ水滴の中を走りながら心の中でそう呟いた。


 昼間あれだけ晴れていたはずの空は夕方に近付くにつれて徐々に曇っていき、午後四時を過ぎた今は曇りを超えて遂に雨が降り始めたところだ。


 またもや傘は持っていなかった訳だが幸いここまで来れば程なくして自宅だ。


 角を曲がり、住宅街の細い道を抜けた先に見慣れた屋根が顔を覗かせた瞬間に勝ちを確信した咲希がラストスパートをかけて玄関に続く自宅の塀の間に滑り込んだ瞬間、目の前の光景に一瞬目を疑った。


「えっ、?」


 思わず素っ頓狂な声が漏れる。


 家の前には先客がいた。


 顔を俯かせ扉に背を預けるような形で細い足を抱えて座り込んでいる黒髪ロングの少女。彼女の名前は──。


「⋯⋯神原(みはら)さん⋯⋯?」

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