70.ウォーキング大会 感動!
(何か物凄い疲れた気がする⋯⋯)
青々とした背の低い草により芝生のようになった土手の緩い斜面にレジャーシートを敷いた咲希はそこに腰を下ろしながら心の中でため息をついた。
つい先ほどまで鋭い視線を向けていた夏愛はいつの間にかいなくなっていたし珠秋やその他の人だかりからも距離を取って一人になれはしたものの、さっきの珠秋の御守りのことが脳裏にチラついてどうにも心が落ち着かない。
(⋯⋯あれ自体は誰でも簡単に買えるしいくら何でもそんな偶然ある訳ない、⋯⋯って分かってるはずなんだけどな⋯⋯)
確かに言われてみれば珠秋と記憶の中の少女とで共通点が無いこともないが、仮にこの予測が合っているとすると咲希は己の運命とやらを呪わなければならなくなる。
(⋯⋯。ここで使える時間はあと二十分くらいか)
これ以上考えても何も良い事は無いだろうと今度は本当にため息をついて思考を打ち切りつつ頭を切り替えるためにとりあえず出したスマホで時刻を確認をすると、それを適当にレジャーシートの端に放り投げた咲希はよっこらせ、と呟きながら背負っていたリュックをどさりと地面に下ろした。
まずは外側のポケットからウェットティッシュを取り出しそれで両手を綺麗に拭くと、今度はリュックの中に手を突っ込んでそこからティッシュ箱大の水玉模様の包みを取り出す。
他の荷物で潰れてしまわないよう一番上に入れていたこの包みの正体は、そう──。
(⋯⋯神原さんから貰ったお弁当⋯⋯)
一応一つ下の後輩ではあるが初めて同年代の女子から貰ったお弁当だという事実に緊張しながら慎重に結び目を解いていく。
包みを開いていくと、まず最初に出て来たのはどこにでもある普通の保冷剤だった。
季節的にも気温的にも食材が傷みやすい以上お弁当に保冷剤を入れるのは当たり前と言えば当たり前なのだが、咲希にとってはその当たり前を誰かが自分のためにやってくれたということ自体があまりにも嬉しくて自然と頬が緩んでしまう。
心の中で感謝しつつそれを横に置くと、いよいよ最後となった布の端に手を掛けて一気に引っ張った。
「おわっ⋯⋯すご⋯⋯っ!?」
その瞬間視界に広がった光景に思わずそんな声が漏れる。
「、、、はっ!!」
あまりの衝撃に数秒間固まっていた咲希が何とか意識を取り戻すと、一旦目を擦ってから改めて視線を手元に集中させる。
水玉模様のランチクロスの中から姿を現したのは透明なプラスチック容器に詰められた六つのサンドイッチ──ハムやレタス、たまごやツナなどそれぞれ内容の異なる六種類──だった。
色とりどりの具材が綺麗に挟まれたそれは見ているだけでこちらの食欲を刺激し、今まであまり感じていなかったはずの空腹感が一気に押し寄せて来る。
「いただきま──⋯⋯す?」
我慢出来ずすぐさま合掌し、ごくりと喉を鳴らしながら輪ゴムを外して早速ご馳走に手を付けようとした咲希だったが、そこで何かの紙が容器の側面にくっついていることに気付いて動きを止めると首を傾げながらそれを手に取った。
「⋯⋯メッセージカード?」
以前置き手紙の形で残されていた薄いメモ用紙とは違ってしっかりとした強度のある少し大きめのカードは二つ折りにされており、内側には丁寧な字でこう書かれていた。
『すみません、アレルギーの有無や好き嫌いについての確認を忘れていたので念のため使った食材を全て書き出しておきます。(種類ごとになるべく違う食材を使うようにしているのでひとつも食べられないということはないと思います!) ・ハム/レタス/⋯⋯──』
そこからサンドイッチに使用された食材がひとつひとつずらりと並んで、最後。
「『食べ終わったら容器は捨ててください。ランチクロスと保冷剤はまた受け取りに行きます』⋯⋯か。めちゃくちゃ丁寧だな」
説明が無くて若干不安に思っていた部分だけでなく咲希本人ですら頭から抜け落ちていた万が一のことや終わった後の対応まで全てが書き込まれており、このカード一枚で夏愛の性格の良さや思いやりが感じられて何とも言えない不思議な感覚になる。
「いっ、いただきます⋯⋯!」
そんな胸の奥のふわふわしたものから意識を逸らすようにもう一度手を合わせると、改めて食材と作ってくれた夏愛に感謝をしてからサンドイッチに手を伸ばした。
そしてすぐ、その手が止まる。
「⋯⋯迷う⋯⋯」
咲希は食物アレルギーは無いし嫌いな食べ物も特に無いので基本何でも食べられるのだが、だからこそどれから食べるかという問題が生じる。
(やっぱり王道のハムレタス?それともみんな大好きたまご?いや、ここはあえてのダークなんちゃらことツナという選択も⋯⋯)
ただでさえ美味しそうな色とりどりの具材が段々と輝いているように思えて来てしまい、指先が触れるか触れないかというギリギリの距離感で悩みに悩んだ末に咲希はゆっくりとひとつのサンドイッチを持ち上げると、そのまま一気にかぶりついた。
「──っっ!!」
とたんに響くシャキッという瑞々しい音と口内に広がった濃厚なマヨネーズとハムの旨みに思わず『うまああああああい!!!!』と叫びかけて、しかしすんでのところで周りに人がいることを思い出し代わりに小さく「⋯⋯美味しい」とだけ呟く。
元々今日の昼食は去年と同じように適当に買った菓子パンでも齧って済ませる予定だったので、まさかこんなご馳走にありつけるとは夢にも思っていなかった。
(今度会った時にはまたちゃんとしたお礼しないとな⋯⋯)
心の中でそう決めて絶品と呼べるサンドイッチに舌鼓を打つこと僅か三分。咲希はレタス一欠片残さず綺麗に空っぽになった容器を前に、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
「???」
 
何度見直しても容器は空っぽ。気付いた時にはもうこの状態になっており、何故か味の感想もただ『美味しかった』ということしか残っていない。
「⋯⋯夢中になり過ぎた⋯⋯?」
その結論に至ると同時に謎の虚無感が襲いかかり、こんなことならもっとしっかり味わえば良かったと若干後悔しながら泣く泣くレジャーシートなどの片付けをしていた時、追い打ちのようにそれは起こった。
「⋯⋯ッ!?」
何の前触れもなく突如響き渡った大きな水音に反射的に顔を上げると、咲希からおよそ十メートル先の川岸に集まっていたいかにも陽キャといった感じの数人の男子が目に入る。
『やめとけってお前www』
『やばwまじで泳いでんじゃんwwww』
『この動画後でストーリーに上げようぜw』
余程テンションが上がっているのか大きすぎる笑い声に混じって会話の断片は聞こえて来るのだが、咲希の位置的に彼らが何を見て笑っているのかまでは分からない。
無性に気になってその場で立ち上がると、すぐにその正体が判明する。
「⋯⋯遊泳禁止だぞ、ここ⋯⋯」
呆れたように額に左手を当て思わずそんな言葉を零す。
咲希の視線の先にあったもの。それは遊泳禁止の桜葉川の中央付近で泳ぐ上裸の男子の姿だった。
しかも遠目ではあるがあの特徴的なアフロはどう見ても咲希と同じ学科で同じ講義も受けたことがある同級生のうちの一人だ。あまりにも特徴的過ぎて咲希でも覚えられたくらいなのだから見間違えるはずが無い。
とはいえ、だ。
(監督者不在が悪いのか大学生になってもまだ当たり前のルールすら守れないあの人が悪いのか⋯⋯まぁ考えるまでもないけどよくやるな)
学年学部問わず多くの人が見ているというのにあんな暴挙が出来るのはもはや逆に尊敬してしまう。
桜葉川は百合浜市最大の河川だ。春になると両岸にある桜並木から散った花びらが水面に桜色の絨毯を作るのが一番の特徴であり魅力なのだが、それ以外にももちろん特徴はある。
それが、川の規模だ。
桜葉川は長さもかなりあるため範囲をある程度絞らなければならないのだが、この辺りの川幅は広い所で約五十メートル、水深も最大で三メートルとかなりの規模を持っている。
川幅が広い分基本的に流れは緩やかだが十年以上もかけて底に積もりに積もった泥のせいで同じ川なのに数メートル単位で深さがまちまちとなっており、突然足が着かなくなったり抜けなくなったりといったことが原因の子供の事故が多発したため数年前から遊泳禁止になっていたはずだ。
咲希は二十年近くこの街に住んでいるから当然その辺の事情は知っているのだが、ここは大学から距離がある上に特にこれといった施設も無いTHE・住宅街といった場所だ。もしもアフロの彼が何も知らずに泳いでいるのだとしたら何となく嫌な予感がする。
(⋯⋯まぁ最近大雨が降った訳でもないしこの辺なら確か普通に足は着くはずだから流石に溺れはしないだろ)
ルールを守れないのはもちろん悪いことだが咲希は基本的に困っている人がいない限り自分から動こうとは思わないタイプだ。あの集団の中に突っ込んで注意したところで余計なヘイトを集めるだけで誰も救われはしないだろう。
『おっ!手振ってるw振り返しとこwおーい!』
疑問は解決したしとりあえず座ろうと思って腰を下ろしかけた時、ふと耳に届いた言葉に何となく違和感を覚えて意識をそちらに集中させた。
『アイツめっちゃ楽しそうだなw俺らも来いってことか?』
『んじゃ行くか?替えの服無いけど』
『あーオレはやめと──⋯⋯ん、あれ?なんかおかしくね?アイツ手ぇ振りながら段々沈んでるような──』
「──ッ!?」
その声が聞こえた瞬間、咲希は全力で川岸へ駆け出した。
 




