69.ウォーキング大会 交換!
その一言が耳に届いた瞬間咲希は天を仰いだ。
初夏の昼下がり、雄大な青空に浮かぶ白い雲と天高く昇った太陽から降り注ぐ光が心地好く、自然と笑顔になった咲希はその表情のまま軽く右手を上げて言った。
「じゃあそういうことで。僕はもう行くので後は頼みま」
「逃がさないっスよ?」
自然な流れで背を向けようとした咲希の左手首が小さなな両手でがしっと掴まれ、半ば強制的にその場に引き止められる。
「なに満面の笑みで何も聞かなかったことにして逃げようとしてるんスか。うち、結構しつこいんで先パイが大人しく連絡先くれるまでこの手は絶対離さないっスよ?」
「⋯⋯僕の連絡先なんか知って何に使うつもりなんですか。自分で言うのも何ですけど僕あんまり友人いないので男子の紹介とかなら無理ですよ」
「いやその辺は間に合ってるんで。⋯⋯てかうちをなんだと思ってるんスか?そういうんじゃなくて、うちがほしいのは正真正銘クロガネ先パイ自身との繋がりっス」
「⋯⋯、」
無言を返した咲希が僅かに上体を捻っただけで即座に手首がぎゅっと締められ無理やり動きを止められる。
(⋯⋯なーんでここまで執心するかなぁ⋯⋯)
一応これくらいなら振りほどこうと思えばいつでも振りほどけるが、流石に両手でがっちり掴まれている状態でそんなことをすれば珠秋の方が怪我をしかねないためその選択肢は絶対にナシだ。実質的に逃走は不可能と言っていい。
ならばどうするか。
(⋯⋯はあ、仕方ないか。他に選択肢無いし)
咲希は諦めてポケットからスマホを取り出しチャットアプリの友達追加画面を開いて机の上に置くと、それをそのままスライドさせて珠秋の方へ差し出す。
「こちらが僕の連絡先です⋯⋯どうぞお納め下さい⋯⋯」
「やったぁ!ありがとうございます先パイっ!」
珠秋は無事要求が通ったことにより満面の笑みを浮かべると、後ろに置いていたらしいリュックから可愛らしい桃色ケースのスマホを嬉々として取り出した。
英数字を打ち込んで追加する方法と二次元コードをカメラで読み込んで追加する方法、どちらでも対応出来るように咲希のスマホの操作権は珠秋の方に委ねたのだが、彼女は後者を選んだらしく自らのスマホを咲希のスマホの上にかざし始めた。
(⋯⋯あれ、)
その時視界の中で揺れたある物に視線が吸い寄せられ、咲希の意識が少女の手元に集中する。
珠秋のスマホに結ばれていたのは淡い桃色の生地にそれより数倍濃い桃色で『縁結び』という文字が記された御守りだった。
最初こそ大きな御守りは若い女性がスマホに付けるストラップとしては些か無骨なように思えたが、よくよく見ると所々に入った白い花の模様や全体的な淡い色合いから感じる華やかな雰囲気によりお洒落なアクセサリーとして少女の若々しい空気の中に綺麗に溶け込んでいることに遅れて気付かされる。
「⋯⋯その御守りって──」
「これっスか!?やっぱ気になるっスよね!!そうっスよね!!」
「えちょっ、」
思わず漏れてしまった程度でしかない咲希の呟きに物凄い速度で食らいついた珠秋は目を輝かせながら再び机から身を乗り出してぐっと距離を詰めて来ると、息つく間もなく咲希が最初に体験した例のアレが始まった。
「桃色生地に桃色文字で『縁結び』ってめちゃくちゃカワイイと思いません?思うっスよね!?思わないわけないっスよね!!?これ実は中学の時にお姉ちゃんに誕生日プレゼントで貰ったものであお姉ちゃんってのはうちとちゃんと血の繋がった家族で一コ上の姉なんスけどお姉ちゃんは凄いんスようちよりずっと可愛くてカッコよくて優しくて頭が良くて背が高くて高校時代は生徒会長もしてたくらいカリスマがあって色んな人に尊敬されててただうちとは通ってる学校が違ったんであんまり会えなかったんスけどそれでも休みの日には毎週絶対会いに来てくれてたまにうちに髪を結わせてくれたりうちの髪を結ってくれたりして一緒にお買い物に行くのが凄く楽しかったんスよちなみにお姉ちゃんはうちと違ってロングヘアなんで色々アレンジの幅があるんスけどどんな髪型になっても毎回喜んでくれるお姉ちゃんは妹思いの理想のお姉ちゃんでうちもそのお姉ちゃんのことが大好きでそれで──」
「まっ、待って村雨さん、ちかっ近いっ!一旦落ち着いて下さい!」
「はっ、!」
超至近距離での怒涛のお姉ちゃん語りを受け止め切れず咲希が慌ててギブアップを宣言すると、珠秋はようやく我に返ったらしく両手で口を押さえていた。
その隙に咲希も一歩下がって最低限の距離を確保すると、あえて視線を斜め下辺りに逸らしながら小さく呟いた。
「村雨さんのお姉さんは、立派な人なんですね」
「⋯⋯っ!!うちのお姉ちゃんなんで当たり前っス!」
大好きで尊敬する姉が褒められたのをまるで自分のことのように喜び誇らしげに胸を張る珠秋の姿が何だか微笑ましくて口許を緩ませていると、「あそうだ忘れてた」という声とともにドヤ顔で閉じられていた目がぱっと開いた。
「友達追加終わったんで先パイのスマホ、お返ししますね。あ、一応言っとくと変な所はどこも触ってないんで安心してほしいっス」
「あっ、はい、分かりました」
物凄い寄り道を経て戻って来た話題に安堵しつつ返却された自分のスマホの画面を見てみると、そこには知らないアイコンから届いた『よろおねっス!』というメッセージとともに、ウサギとウナギを混ぜた謎の黒い生物がそれと同じセリフを喋っている謎のスタンプが表示されたトーク画面が開かれていた。
(う、ウサナギちゃんスタンプ⋯⋯?何これ⋯⋯というか変な所は触ってないとは一体)
スタンプをタップして表示された情報を見て思わず「いや何やねんこのスタンプ、てか思いっきり画面切り替わっとるやんけ」とエセ関西弁でツッコミたくなるのを必死に堪えつつ、流石に既読スルーするのは何か悪い気がしたためとりあえず定型文の『よろしくお願いいたします』を返すとすぐ近くでピコンという音が鳴った後に小さな笑い声が聞こえた。
「めっちゃ定型文!やっぱクロガネ先パイ面白いっスね!良かったらこの後一緒にお昼でもど⋯⋯──」
そこでふと言葉が途切れたかと思うと、珠秋は何故か咲希の後ろの方を見て一瞬だけ目を見開いた。
「や、やっぱり今日はこれくらいにしときますね!これ以上先パイにちょっかいかけるとうちが親友に視線でころされかねないんで⋯⋯だからもう早く行ってください!」
「えっ、ちょ待っ、」
さっきまであれだけ引き止めてたくせに今度は逆にぐいぐい腕を押して追い出そうとして来る珠秋のただならぬ様子に疑問を抱きつつも、結局咲希は抵抗もせずそのまま受付テントから追い出されてしまった。
「⋯⋯え?」
独りになってからもう一度困惑の声を零すと、咲希はきょとんとした顔のままのろのろと歩きながら心の中で思わず呟いた。
(今日はよく追い出される日だ⋯⋯。何でまたいきなり⋯⋯──ん?あれは⋯⋯)
その時ふと視線を感じて顔を上げると、三十メートルくらい先の川沿いの辺りにあった集団の中から見覚えのある長袖長ズボンの黒髪ポニテ少女がこちらをじっと見ていることに気が付いた。
(⋯⋯なるほど。親友に視線で⋯⋯ってそういうことか)
納得した。
距離が遠くて表情すら分からないはずなのだが、何となく冷たい空気がここまで流れて来ているような気がしてならない咲希はそこから逃げるように足早に人のいない土手の方へ向かった。




