67.ウォーキング大会 困惑!
「ああ、そっちか。綺麗ですよね、鮮やかで」
「えっ」
「えっ?」
釣られるように声を漏らすと、何故か信じられないといったように大きく目を見開いた珠秋と目が合う。
「⋯⋯?」
何か変なことを言っただろうかと咲希も目をぱちくりさせると、珠秋は静かに息を吐いてからぽつりと呟いた。
「先パイ、他にも何か思ってること、ありますよね?」
「ほ、他⋯⋯っ!?えっ、ええと⋯⋯え?とっ、特に、何も⋯⋯」
「⋯⋯、」
どう考えても怪しすぎる咲希に無言で向けられた白い目に内心泣きながら逃げるように横へ目を逸らすと今度はそこで傍観を続けていた夏愛と丁度視線がぶつかって余計に心臓が跳ね、弾かれるように反対側の虚無へ顔ごと視線を動かした。
「⋯⋯先パイ」
「ッ!?」
ゾッ⋯⋯と。
横から届いた声に背筋が凍り付く。
それは今までの少女からは想像もつかない、驚くほど無機質でまるで機械のように冷たく感情の無い声だった。
恐る恐る視線を戻すと、光の消失した真紅の瞳がこちらの目を真っ直ぐに捉える。
「な⋯⋯何ですか?」
「⋯⋯、」
絞り出すように返事をすると、珠秋は一度唇を引き結んでからその一言を突き付けた。
「どうして貴方はうちに向かって、そんな言葉を軽々しく言えるんですか?」
一瞬だけ、思考が停止する。
「⋯⋯はっ?」
辛うじて声という名の喉の音を出すことは出来たものの、少女の言葉の意味も意図も一切分からず言葉が紡げなくなる。
「⋯⋯」
「⋯⋯っ、」
何も言わず瞬きもせずただじっとこちらを見つめる暗い瞳から、底の見えない暗闇の中に引きずり込まれるような感覚に襲われ無意識に呼吸が乱れ始める。
(な⋯⋯ッ!?こ、この感覚は⋯⋯ッ!!)
脳裏に浮かんだ記憶の断片を振り払うように力を込めた右手で心臓の辺りを押さえると、周りに悟られないように引きつる表情筋を無理やり動かして笑顔を形作る。
「ど、どうして、とは⋯⋯?」
「もちろんそのままの意味。黒い髪と黒い瞳──貴方みたいな『普通』の人がうちみたいな『普通じゃない』人に対してそう思える根拠は何?⋯⋯ってことっス」
──普通。
その言葉がぶつけられた瞬間、咲希は自分の口角が上がるのを感じていた。
「『普通』、か⋯⋯」
少女からゆっくりと視線を外し、そのまま下に下げていつの間にか握り締めていた自分の右手を一瞥する。
「⋯⋯別に、深い理由は無いというか。ただ単純に、綺麗だなって思ったからそう言っただけ。⋯⋯ですよ」
包帯ごと無理やり曲げられたことで微妙に痛む人差し指を気遣いつつ誤魔化すように右手を開いたり閉じたりしながらそう言うと、少しだけ間をおいてから声があった。
「⋯⋯それ、本気で言ってるんスか?」
「⋯⋯」
頷くと、珠秋は座っているベンチからおもむろに立ち上がり正面に立つ咲希との距離をぐっと詰めた。
「ッ!?」
「⋯⋯、あはっ」
少女は突然の接近に驚愕する咲希の瞳を下からじっと覗き込むと、小さく声を漏らした直後に大きく吹き出した。
「あはははははっ!!凄い、マジで本心から言ってる!!やっぱクロガネ先パイ、面白い人っスね!」
「えっ、え?」
先ほどまでの重苦しい空気が一変し、少女の周りに漂っていた暗い闇がぱっと明るいオーラに切り替わる。
突然下された謎の評価や状況の変化に理解が追いつかず困惑の声を漏らすと、珠秋は更に楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「だって、灼眼と赤髪っスよ?十万人に一人いるかいないかの激レア容姿っスよ?普通は最初に『珍しい』とか、『目立つ』とかが浮かぶはずなんスけど⋯⋯そっ、それをっ!大真面目にっ、きっ、綺麗って!!あははっ!偏見とかないんスか先パイ!」
「⋯⋯、」
笑い過ぎて涙が出て来たのか目元をこすり出した珠秋を横目に咲希はどうしても微妙な表情を浮かべてしまう。
確かに赤系統の瞳と髪は黒系統や黄系統など他の色に比べて日本の総人口に占める割合が小さいし、髪と瞳どちらか片方が赤というのはそれなりにあっても両方が赤というのはほとんど──具体的には先ほど珠秋が言っていた通り十万人に一人程度しか──いない。
だからこそ真紅の瞳と赤みがかった茶髪を持つ珠秋が珍しい容姿であるのは間違いないし否定するつもりも無いのだが、それは一々取り上げるようなことではないように思うのだ
だって、別に容姿が珍しいからと言って何か特別な能力が宿る訳ではないし、多少の例外はあれど基本的には周りから何か特別な扱いをされることもないのだから。
⋯⋯と言いたいところなのだが、実際は学校や街中など集団の中においては良くも悪くも目立ってしまっている。
現代の価値観では『周りと違う』ことが『普通じゃない』ということとイコールで結ばれてしまうせいで多数が少数を排除──とまではいかなくとも好奇の視線を向けてしまうという問題があるのだが、それに関して咲希は常日頃から「古い考え方だな」という意見を持っている。
だって今の時代、その気になれば髪を染めたりカラコンをつけたりすることで好きに見た目を変えることが出来るのだ。
それは時代の最先端を突き進む都会だけに限った話ではなく、地方都市である百合浜市だって街中を歩いている人の何割が素の容姿を見せているのかは実際のところ分からないくらいだ。
要するに気にしたところで意味は無いから咲希は特に何も考えることなくごくごく普通の一般論(自論)を述べただけのつもりだったのだが、どうやら少数である珠秋本人にとっては咲希のそれが『面白い』と感じる回答だったらしい。
しかしそれが分かったところで安心出来るなんてことはなく、むしろ咲希の表情は余計に陰を増していた。
「⋯⋯」
その脳裏に浮かぶのは冷たく言い放たれたあの言葉。
『貴方みたいな「普通」の人がうちみたいな「普通じゃない」人に対してそう思える根拠は何?』
(⋯⋯あの暗い瞳と声色⋯⋯もしかして、村雨さんは過去に──)
「先パイって、よくお節介って言われません?」
「っ⋯⋯!?」
何の脈絡もなく突然投げ掛けられた声に驚いて意識を外に向けると、張本人である目の前の少女はくすりと笑って続けた。
「そんなに驚かなくても。先パイ、ついさっきまで何考えてるか全然分かんなかったのに急に顔に出るからびっくりしましたよ。⋯⋯それと、さっきのは別に同情してほしいとかそういう訳じゃないんで気にしないでもらえると嬉しいっス」
比較的明るい表情で告げられた言葉ではあったが、その裏に隠された「これ以上踏み込むな」という明確な警告を理解した咲希は何も言葉を返せず、ただただ黙って頷くことしか出来なかった。
「⋯⋯、」
「⋯⋯、」
さっきまで話し続けていた相手との会話が途切れて沈黙が訪れたことで微妙に気まずい空気が流れ始めると、ずっと傍観者を貫き通していた夏愛がふと「あっ!」という声を上げた。
「あの車って、もしかして──」
誘導されるように彼女が指差す方向を振り返ると、いつの間にか公園の入口の前に停車していた大きなバンが視界に入った。そしてすぐにその運転席から見覚えしかない白衣の女性が降りて来ると、咲希は反射的に眉を寄せる。
そんな咲希の様子が向こうからも分かったのかにやりと不敵な笑みを浮かべた女性は急ぐ訳でもなくゆっくりとした足取りでこちらのすぐ近くまで到達すると、開口一番にこう言った。
「喜べキー坊、ついさっき届いたばかりの新しい仕事だ。既に位置は送ってあるから今すぐ指定の場所まで向かってくれ」
「ちょっと待った優奈先生、流石にいきなり過ぎません?僕まだ引き継ぎも状況説明も何もしてないんですけど」
「心配しなくても状況は概ね分かっている。これでも私は医者だぞ?いいからお前はさっさとここを離れろ。近くに男が居ると出来ることも出来なくなる」
「っ、⋯⋯分かりましたよ、行きますよ」
他人が見ている以上無駄に意地を張って下手に言い返す訳にも行かず咲希はなるべくいつも通りの声音になるように意識しながら渋々了承すると、下ろしていたリュックを担ぎながら公園の出口へ足を向ける。
「⋯⋯、」
つい先ほど優奈から送られて来ていた位置情報をスマホで確認しつつ小走りで公園の出口を抜けて互いの姿が見えなくなると、咲希は心の中でため息をついた。
(まさか話も聞かずあんな一瞬で追い出されるとは⋯⋯。いや、優奈先生あれで仕事自体は真面目にやるし腕は確かだから僕が心配するような事じゃないんだろうけど⋯⋯だとしてもなぁ⋯⋯)
優奈が言っていたことは正しいし理屈も通っているのだが、あそこまで露骨に追い出されるのは何気に初めてな気がする。
何だか違和感があったような気がしなくもないが、あくまでも咲希はただの救護係、要するに手伝いだ。そもそも初対面の女性相手にあの短時間であそこまで踏み込んだ会話をした事自体が異常事態なのだから──。
(⋯⋯いや、どうせ考えても無駄か。それより早く向かわないと)
優奈に指定された場所までは一キロも無い。思考を打ち切った咲希は一秒でも早く到着するため走る速度をもう一段階上げた。




