63.ウォーキング大会 相談!
「⋯⋯聞こうとしたら?何でそこで切るんだよ」
何故か一番気になる部分で言葉を切られたことに眉を寄せると何とも言えない微妙な表情が向けられる。
「聞こうとしたけど途中で同級生の女子に捕まったみたいで話しかける前にどっか行ってしもうたんよな。じゃけんサッキーに聞きに来た」
「なるほどそういう⋯⋯ん?」
危うく納得しかけたが、それだと何となく話が飛躍しているような気がする。具体的には──。
「⋯⋯どうしてそこで僕に聞こうと思ったのかが謎なんだが」
「どうしてって言われてもな。俺の知り合いの中でお嬢の事を一番理解しとるのは間違いなくサッキーじゃろ?」
「⋯⋯そんな訳無いだろ、まだ会って二ヶ月も経ってないのに」
その時咲希の目が一瞬だけ泳いだのを見逃さなかった傍武はふと空を見上げて言った。
「──なんかあったか?お嬢のことで」
「っ⋯⋯!?」
独り言のように呟かれたその言葉にぎょっとして傍武の方を見るが、傍武は上を向いたまま視線を合わせない。
この行動には見覚えがある。確か去年、今の咲希が出来上がる前の荒れていた時期に出会ってしばらく経った傍武が咲希の過去を聞き出した時に使っていたものだ。
その時と同じなら、込められた意味は『自分は何も聞いてないから好きに話せ』というものだろう。
咲希の状態に気付いているからこその気遣いなのだろうが、今回ばかりはお節介だ。
「別に、話しにくい重い内容って訳じゃ無いんだ。ただ、僕だけの問題じゃないから他人に勝手に話してもいいものなのか悩んでただけで」
嘘ではない。正確には重い内容ではなく重要な内容だというだけで。
「⋯⋯まず、話の根幹となる一番大事な部分から説明する。⋯⋯この前、本人の口から『今よりもっと前に一度だけ会ったことがある』って言われたんだ。⋯⋯一応、距離感とか行動とかどう考えても初対面の人に向けるものじゃないから薄々そんな気はしてた。けど⋯⋯」
「⋯⋯思い出せんのか?」
僅かに言い淀んだ所ですかさず助け舟を出してくれたことに感謝しつつ、小さく頷く。
「思い出せないというか、本当に記憶に無いんだ。あんなに目立つ子のことなら絶対忘れるはずがないのに⋯⋯」
『私と咲希くんは、一度だけ会ったことがあるんですよ』
約一週間前、夕食を終え夏愛を彼女の自宅まで送り届けた後の別れ際にさらりと告げられた一言。
冷静に考えれば簡単に予測出来たはずのなんてことのないその言葉は、今ももやもやとした塊として頭の中を漂い続けている。これが何とも表現出来ないしこりのような違和感となっているのは言わずもがなだ。
「うーん、とりあえず忘れる忘れないは置いといて、それに関してお嬢は他になんか言っとらんのか?」
「⋯⋯いや、全然。過去の話はその一回限りで、それ以降は向こうが一切触れてこないからこっちも触れない方がいいのかなって⋯⋯」
数日前の電話の時も、今朝会った時もそうだ。必死に思い出そうとしている咲希に反して夏愛はまるで何も無かったかのように今まで通りに接して来る。
それはもう、普通過ぎてあれは夢だったのではないかと逆に不安になってくるくらいに。
もしかしたら地雷が隠れているかもしれないと臆病になっている部分ももちろんあるが、一番大きいのは昔の彼女を思い出せないことの申し訳なさだ。
夏愛の方は覚えているのに、咲希の方は覚えていない。そんな最悪の状況が今まさに出来上がってしまっている。
微妙に落ち込む咲希を横目に傍武は大きなため息をついてから言った。
「まぁサッキーのことじゃけん『覚えてないとかお嬢に悪くて絶対言えんわ〜』って思ってこれ幸いとなあなあにしとるんじゃろうけど、それ多分、思い出せんでもええ事なんじゃないんか?」
「は⋯⋯?いや、何で⋯⋯?」
傍武の言っていることの意味が分からない。思い出せないからこんなに悩んでいるのにそれを思い出さなくて良いとは一体どういうことなのだろうか。
「だって話聞く限り別に思い出せんけんってサッキーに何か都合の悪いことがある訳でも無いし、お嬢のサッキーに対する接し方とか態度とかも全然変わっとらんなら何にも気にせず今まで通り接すればええんじゃないんかって俺は思ったんよ。⋯⋯まぁ、勝手とはいえサッキーが気にして悩んで落ち込んどるのは事実みたいじゃけん親友として一個だけアドバイスしとくわ」
そう言った傍武は一度咳払いを挟んでからそれを告げた。
「お嬢はサッキーのことを以前から知っとって会ったこともあったのに、それを今の今まで隠しとった。隠しとったことには当然理由があるとして、何でこのタイミングでその隠し事をサッキーに打ち明けたのか。多分何らかのきっかけがあったんじゃろうけど、それを考えるのはサッキー、お前の仕事じゃで」
咲希に向かってビシッと指を差した傍武はそうして言葉を切った。
歩くペースは変えず、向けられた指を見ながらぼんやりと考える。
(⋯⋯隠し事を打ち明けるに至ったきっかけ⋯⋯きっかけ⋯⋯あの日⋯⋯普段と違う何か⋯⋯。確かあの日は午後から神原さんと一緒にショッピングモールに行って⋯⋯)
咲希は大学の学生やその他の顔見知りに見つかって騒がれるのを防ぐために変装と称して眼鏡を外していたし、夏愛はキャップにマスクという顔を隠すような格好をしていた。
確かに普段とは違うが、咲希の素顔ならゴールデンウィークの喫茶店バイトの時や風邪でダウンした時に看病の過程で夏愛には見られているし、端正な顔立ちをほとんど全て覆い隠してしまうような夏愛のあの姿も、特に人の多い場所で降ってかかる災難から彼女の身を守るために日常的に使っている手段であって別に特別なことでは無いだろう。
となると次に思い当たるのは買い物をしている時、そしてカフェで休憩している時だ。
前者は特に何も起きなかったから良いとして、問題は後者だ。
『一口どうぞ♪』
あの日、あの場所で。咲希は初めて同年代の女性と──。
(⋯⋯やめようか、この話は)
これ以上はいけない、という本能からの警鐘を受け仏の心で心身の平穏を保った咲希はゆっくりと息を吐く。
最後は帰宅後、咲希の自宅での時間だ。
直感でも何でもなく、紛れもない事実としてあの四時間弱のどこかに全てのきっかけが隠れている。⋯⋯はずだ。
(とは言っても、実際やったことはいつもとそこまで変わらないんだよな)
心の中でそう呟いた直後、咲希の顔面に薄く張り付いていた笑顔がぴきりと引きつった。
(⋯⋯いや、僕は何もしらない。膝枕されたこととかそのまま寝落ちしたこととか不可抗力とはいえ抱きしめるような形になったこととか初めて手料理を振舞ったこととか⋯⋯僕はしらないし)
──あの甘い香りと優しい声。
──あの柔らかい感触と人肌のぬくもり。
色褪せた過去の記憶に重なるように深く深く刻まれたその感覚は、ふとした瞬間に蘇ってくる。
でも、その時はまだ隠し事は隠し事のままだった。
それを知った上で改めて考えると、普通は特別な関係を持った間柄でやるような数々の行為と、その時の咲希に対する夏愛の態度の意味合いも変わってくる。
いや、それよりももっと前──もしかしたら咲希が夏愛に初めて出会ったと思っていた四月の時点から全ては始まっていたのかもしれない。
前々から夏愛はやけに積極的に距離を詰めて来ていたが、その理由が──どれくらいの年月かは分からないが──咲希との再会を喜んでいたからだとしたら?自分のことを覚えているか、思い出してもらえないかと奮闘しているからだとしたら?
(⋯⋯だとしたら、あれは全部、僕が──)
「──さっ、サッキーッ!!」
その時、突然響き渡った誰かの声が静かな思考の壁を突き破った。
「まっまま前ッ!前見ろ前ッ!!」
「⋯⋯前──?」
焦ったように張り上げられたその言葉にハッと顔を上げた瞬間、ゴンッ!!という派手な音とともに世界が回転し、視界の中で星々が瞬いた。




