60.呼び出しと遭遇
「河館って彼女いたっけ」
「⋯⋯は?」
灰色の髪に灰色の三白眼、咲希よりも少し高い身長も相まって言い知れぬ威圧感を与える男が放ったその問いに、猛烈に嫌な予感がした。
「えっと⋯⋯六道?ちなみにその話はどこで⋯⋯?」
「どこでっていうか直接⋯⋯一昨日ショッピングモールに行った時に河館に似た人が知らない女子と歩いてるのを見たような気がしたんだけど⋯⋯違うか?」
「そっ⋯⋯それは⋯⋯」
嫌な予感が的中し、全身からどっと嫌な汗が吹き出す。変にどもれば余計に怪しまれると分かっているのに動揺が抑えられず上手く言葉が紡げない。
「それは?」
「え、えっと⋯⋯」
自分の目線より高い位置からギロリと向けられた三白眼に、不安と焦りがどんどん募ってくる。
(ど、どうしてこんなことに⋯⋯絶対バレないと思ってたのに⋯⋯っ!!)
遡ること約三時間──。
午前の講義を終え昼食のために大学の食堂を訪れていた咲希は、今日の日替わりランチであるカレーの載ったお盆を持ったまま立ち尽くしていた。
「⋯⋯、」
視線の先には定位置であるいつもの窓際の席と、その隣に座る見覚えのある金髪の後ろ姿。
(⋯⋯今日は別の席で食べようかな。うん、そうしよう)
今までの経験に基づきこっそりとその場を離れようとした瞬間、突然後ろを振り返ったそいつとばっちり目が合った。
「おっすサッキー!一週間ぶりじゃな!てかどこ行くん?いつもの席空いとるけん座り〜。⋯⋯って待て待て逃げんな無視せんでって!」
「⋯⋯はぁ、」
聞き慣れた呑気で陽気な方言に小さく舌打ちしてから足を止め、仕方なくその席へ座る。
「ショー、前も言ったけどこういう所で大きな声で呼ぶのはやめてくれ。恥ずかしいし僕はなるべく目立ちたくないんだっていつも」
「すまんすまん久しぶりにサッキーに会えたのが嬉しくてな。お前がおらん間俺がどんだけ寂しい思いをしたか⋯⋯よよよ」
「思っきり被せてきたな今?というか野郎がそんなこと言っても寒気しか感じないし泣き真似に至っては何なんだよ」
「おおう辛辣。てかサッキーって誰に対しても普段あんだけ丁寧なのに俺への対応だけは雑よな」
微妙にテンションのおかしい傍武には着いていけないと察してしれっと視線を外し、負傷中の右手に代わって左手でカレー用のスプーンを持つ。
「まあそれは信頼の裏返しとでも思ってくれ。ショーじゃなきゃこんな砕けた会話なんて出来ないしやるつもりも無い。僕にはショー以外の他人との接し方が分からないからな」
言ってて悲しくなるが咲希の対人関係は狭く深くであるため、極々限られた人達以外は全員『他人』という扱いだ。
だからある意味特別なんだぞ、という意味も含まれていたのだが、傍武は不服そうな顔をしていた。
「嘘つけ俺の他にも親しい人おること知っとるけんな!誰とは言わんけど。⋯⋯誰とは言わんけどなっ!」
「⋯⋯、」
そう言われて自然と頭に浮かんだ少女のことは慌てて思考から追い出してからやけくそ気味に反撃する。
「うるさいうるさい。わざわざ繰り返さなくても言いたいことは分かったって。どうせショーのことだし全部知ってるだろうなとは思ってたよ」
「お前の中の俺は何でも知ってる情報屋か何かなんか⋯⋯?いやまあ知っとるのは本当じゃけど、言うて二人でどっかに出掛けたってことしか把握しとらんで?」
「⋯⋯そうなのか?」
「おう。⋯⋯の割に今日サッキーについての噂は全く聞かんかったけんぶっちゃけデマかと思っとったわ。変装作戦上手くいったんじゃな」
「⋯⋯まぁ、"あっち"の方は分からないけど噂になってないならそうみたいだな」
確かに咲希は今日の朝大学に来てから一度も尋問されてないし、咲希があの人物と一緒にいたのを目撃したみたいな話も一切聞いていない。
眼鏡を外すだけという変装の作戦を最初に聞いた時は半信半疑だったが、周りの対応が四月とは大違いということは本当に上手くいったようだ。
「やっぱサッキーの本体は眼鏡だったか⋯⋯」
「微妙に否定し切れないやつ出すのやめろ?」
眼鏡を掛けていれば周りから河館咲希として見られ、掛けていなければ他人として見られるというのが立証された以上眼鏡本体説もあながち間違っていないと言えるため非常に反応に困る。
「そういえば今日はお嬢、食堂に来てないみたいじゃな。先週は毎日来とったのに」
ふと呟かれたその言葉に反射的に顔を上げるが、傍武がいる状況で後ろを振り返ってまで辺りを見回すのはまずいと判断し力を込めて無理矢理首を固定する。
「⋯⋯まぁ、そんな毎日毎日来るものでも無いだろ。自炊できるならそっちの方が安上がりだし、知らないやつに絡まれることも無いからな」
傍武に何か言われる前にカレーを頬張って誤魔化すと、何やらイヤーな笑みが目に入った。
「⋯⋯何だよ」
「いんや別に?何気に気に掛けとるよなーって。あのサッキーが」
「⋯⋯その話はもう良いからさっさと用件言ってもらえるか?わざわざこんな雑談するために来た訳じゃないんだろ」
咲希がそう返すと今度は随分愉快そうな笑い声が聞こえてきた。
「露骨に話変えたな。やっぱ俺の知らない間に二人の間になんかあったんじゃな?言ってみ?笑ったりせんけん、多分」
「多分とか言ってる時点で絶対笑うから言わない。黙秘権を行使する」
いくら親友の傍武でも、紆余曲折あって同年代の女性と間接なんちゃらをしてしまった事や自宅で膝枕をしてもらってそのまま寝落ちしてしまった事や何かの間違いで抱きしめて(抱きとめて)しまった事なんて、とてもじゃないが言えるはずが無かった。
(⋯⋯いや、改めて考えると文面やばいな?我ながらとんでもないことしてるな?)
冷静になって思い返してみると、どう考えても普通の友人関係では収まらないような事をやってしまっている。それも異性と。
こんなのを他者に漏らせば精神的にも社会的にも死ぬのは明確であるため余程のことが無い限りは自分の心の中だけに留めておこうと固く誓っておく。
「まぁええわ。これ以上プライベートには干渉せん。誰だって他人には言えない事のひとつやふたつあるけんな」
「⋯⋯助かる」
あくまでもからかっただけだったらしく、傍武はそれ以上の追求はしてこなかった。代わりにおもむろに自分のリュックに手を突っ込み中から取り出した何かの書類を手渡してくる。
何だろうと表紙を見て、目を閉じた。
「何これーぼくしらなーい」
「はいはい現実逃避やめて現実を直視しような。サッキーがお望みの今回の用件はそれじゃけんちゃんと目通しとけよ?先週の打ち合わせ全部すっぽかしたサボり魔サッキー略してサボッキー。あと言い忘れとったけど俺この後すぐ用事あるけんもう行くわすまんな」
「誰がサボッキーだ⋯⋯っておい待てショー!?逃げるな!!」
制止する暇もなく席を立ち早歩きで離れていく傍武の背中に「説明くらいして行けよ⋯⋯」と小さく吐きつつ渡された書類に目を通す。
「げ⋯⋯手書きで時間指定されてるし⋯⋯」
表紙をめくってすぐの端っこに書かれていた呼び出しのメモにげんなりする。
これがラブレターだったら少しは心が踊ったのだろうが相手はそんな甘ったるいものとは真逆の"あの御方"だ。確かに女性ではあるが、少なくとも恋だの愛だのとは無縁であると言い切れる。
とりあえず咲希が確実に言えるのは、会えばまず間違いなく強制空中浮遊体験ができるだろうという事だけだ。
──そして時間になり、とぼとぼと廊下を歩いて来た咲希が指定場所である保健室の扉に手を掛けたと同時に中から出てきた六道とばったり出くわしてしまった所で現在に戻る。
(そうじゃん眼鏡外すだけで変装になるのはあくまでも僕の素顔を知らない人に対してだけで逆に素顔知ってる人には何の意味も無いどころかむしろ普段と違う格好してるせいで逆に記憶に残るのか盲点だった⋯⋯っ!!)
何の偶然か、六道とは幼稚園から大学までずっと同じ学校に通っている唯一の│同級生《幼なじみ》だ。
志望大学が一緒だというのは高校卒業前に知っていたが、まさか学科も同じとは夢にも思わなかった。もはや腐れ縁とでも言うべきこの関係は一応幼なじみとも表現出来るのだろうが、別に特別仲が良い訳でも無いし性格も真反対のため基本的には最低限の関わりしか持っていないただの友人だ。
だから何の脈絡も無く突然「彼女はいるか」なんて聞かれても驚きの方が大きいというのが本音であるし、そもそもいくら相手が幼なじみでも言えないことと言いたくないことはいくらでもある。ここは無難に否定すべきだろう。
「⋯⋯いや、人違いだと思う。僕は一昨日ショッピングモールなんて行ってないし、彼女なんて⋯⋯いないから」
咲希がそう返すと、六道は一度じーっと咲希の右手の包帯を見てから「そうか。時間取らせて悪かったな」とだけ言って歩いて行ってしまった。
「⋯⋯はっ、」
約十秒後、謎の硬直が解けた咲希はその場で膝に手をついた。
「⋯⋯た、助かった⋯⋯」
深呼吸をして呼吸を落ち着けつつ、思わぬ人物との遭遇を乗り越えて今度こそ咲希は保健室の扉を開けた。
「こんにち」
「遅いッッッッッ!!!!!」
一難去ってまた一難、挨拶を言い終わるよりも早く、ズドンッッ!!という凄まじい衝撃とともに咲希の身体が宙を舞った。
 




