表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お嬢はやけにぐいぐい来る  作者: 狐白雪
第四章 初夏の訪れ
59/79

59.そんな顔しないで

「ッ──!?大丈夫か!?」


 一瞬の空白の後慌てて駆け寄った咲希(さき)がそう呼び掛けるが、夏愛(なつめ)は脚を押さえたままぎゅっと目を瞑って呻くだけで返答は無い。


(な、何が起きた⋯⋯!?)


 流石に勝手に女性の身体に触れる訳にもいかず、ぐっと握りしめた手をソファの座面に押し付けながら思考する。


 あの瞬間、咲希はまるで操り人形の糸が切れたかのように彼女が膝からカクンと崩れ落ちたのを確かに目撃した。


『えっと、その⋯⋯脚が⋯⋯』


 直前に脚を気にするような発言をしていたことから少し前の段階で自覚はあったようだが、突然身体の力が抜ける原因として浮かんでくるのはどれも最悪なものばかりだ。


「ぁ⋯⋯あし⋯⋯」


「っ脚が何だ!?頼む、もう少し具体的に言ってくれ!」


 小さく漏れたその声に、何かに縋るかのように咲希が声を荒らげると、途切れ途切れの呼吸をしながら涙に濡れた白百合色の瞳が助けを求めるようにこちらを見た。


(っ⋯⋯!!)


 嫌な記憶とともに暴れる心臓の辺りを左手で押さえ彼女の口が僅かに動いたのを見て耳と目に全神経を集中させた瞬間、その言葉が呟かれた。


「脚⋯⋯しびれて⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯、え⋯⋯?」


 あまりにも予想外の回答に思わず素っ頓狂な声が漏れてしまったが、これだけではまだ安心は出来ない。


「ま、待って、念のため確認するけどもしかして、痺れって力が入らないとか感覚が無いとかじゃなくって、長時間正座した時とかになる、あの痺れのこと⋯⋯?」


 そう尋ねると、夏愛は控えめにこくりと頷いてから目を逸らした。 


「し、痺れてるのに急に立ち上がったから⋯⋯びりびりしてバランスが⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯、」


 もはや逆に冷静だった。


(⋯⋯なるほどね?痺れてた脚が若干治ってきたくらいの一番敏感な時にいきなり立とうとして一気に動かしたから──⋯⋯そっか⋯⋯)


 最初から悪い方へ悪い方へと考えて色んな病名が浮かんできた自分は一体⋯⋯と若干遠い目になっていると、どこからか『くぅ、』と間の抜けた音が聴こえた。


「⋯⋯?」


 何の音だろうと思って顔を上げると、そこには両腕で自分のお腹を押さえながらぷるぷると震える真っ赤っかの夏愛がいた。


「⋯⋯っ、」


「⋯⋯あー 」


 全てを察した咲希が立ち上がると、それに釣られるように向けられた羞恥と不安で潤んだ瞳に少しだけたじろぎながら、それでも心を落ち着け出来る限りの明るい笑顔を浮かべて言った。


「良かったらでいいんですけど、晩ご飯、ご馳走させてください」


 すると「え」という声を漏らしてぽかんとした表情になった夏愛は一度ごしごしと目元を擦っていつもの表情に戻ると、おずおずと口を開いた。


「あ、ありがとうございます。その、お気遣いは嬉しいんですけど⋯⋯悪いですそんなの。時間も遅いですし、家もすぐそこなのでこのまま帰りますよ」


「⋯⋯」


 夏愛がこう返すだろうというのは実は最初から予想出来ていた。この丁重なお断りが単なる遠慮なのかオブラートに包んだ拒絶なのかで意味合いは大きく変わるし、それと同じくらい咲希の返答次第でもこの後の展開が変わるというのも全て理解している。


 もちろん普段ならこんな確証の無いことは絶対にしない。いつもの咲希なら間違いなくここで引き下がっていただろう。


 だが、今回の咲希は一味違った。


「でも今、歩けませんよね?さっきも転びかけてましたし」


「うっ⋯⋯そっ、それはそうですけどっ。⋯⋯あ!でももう治ったみたいです!ほら、これなら立てま──きゃっ!」


「おっと、」


 あからさまな嘘をついて立ち上がろうとした夏愛だったが、案の定まだ万全ではなかったらしくそのまま正面にいた咲希の腕の中にぽすんと収まった。


 咲希は心の中であーほら言わんこっちゃないとため息をつきつつ説得を続ける。 


「そんな調子じゃどこかで絶対怪我するのでせめて痺れが治まるくらいまでは大人しく⋯⋯て、大丈夫ですか?」


 下の方から何かが聞こえると思って視線を下げてみれば、身長差のせいか咲希の胸に耳を当てる形で抱き止められた夏愛が目をぐるぐるさせていた。


「ぁぅぁぅ⋯⋯」


「あ、あのー⋯⋯?」


 呼びかけてみるが返ってくるのは喉から漏れたような声だけでまともな返答は無い。


「⋯⋯はっ!?」


 いきなりどうしたんだろうと考えかけてある事実に気付くと同時にドッと顔の熱が跳ね上がった。


「すっ、すみませんこんな触ったままでっ、!!?すぐに離しますっ」


「〜っ!〜〜っ!」


 こくこくと何度も頷く夏愛をゆっくりとソファに座らせると、咲希はその場から逃げるようにフェードアウトしキッチンへ向かう。


(何やってるんだ僕は⋯⋯ッ!?)


 表面上ではギリギリ致命傷で済んだが、心の中はもはや瀕死だった。


 百歩譲って抱き止めたのは倒れそうだったのを受け止めるという名目であったから良いとしても、安定したならすぐに離すべきものをずっと掴んだままでいたのは流石に擁護出来ないだろう。


(⋯⋯あーもう!)


 いつも触れている手の平とはまた違った柔らかな感覚の残る手を乱暴に冷水で洗い流し、妙に火照る身体を冷やすことしか出来なかった。





「お待たせ致しました」


 約二十分後、そう言って完成した料理の盛られたお皿をダイニングテーブルに置いた咲希は、一足先に席についていた夏愛と反対側の椅子に腰を下ろした。


 本日のお品書きは炒飯(チャーハン)と麦茶。一見手抜きで女性に出す料理としては少し味気ない気もするが、なるべく時短出来てかつお腹が膨れるみんなが好きなメニューという条件だとこれしか思いつかなかったのだ。


 一応冷凍庫には、味は当然として時短という面で圧倒的軍杯の上がるレンチンするだけで完成する市販品が入っていたが今回のこれは一応手作りだ。もちろん味付け全般は炒飯の素に全任せしているのだが、具材を切って炒めてお皿に盛ればそれはもう手作りと言って過言では無いだろう。


 何故わざわざ手間を掛けたのか?()えて補足するなら単純に見栄(みえ)だ。女性の前ではかっこつけたくなるのが男の(さが)というものなのだ。


「い、いただきます⋯⋯」


 あの時の動揺など嘘だったかのようにすっかりいつも通りに戻っていた夏愛は何故か緊張した面持ちでスブーンを持ち上げると、慎重に炒飯に手を付けた。


「⋯⋯!」


 すると急に顔つきが変わり、続けざまに二口、三口と食べ進めてからぱあっと目を輝かせた。


「おいしいです!すっごくパラパラで、味も丁度いい濃さで、まるでお店で出てくるものみたいです!炒飯って自宅でこんなに綺麗に作れるものなんですね!?」


 別に期待も催促もしていた訳では無いが、想像の五倍くらいの勢いで褒められてしまい何だか頭の後ろがくすぐったくなる。謙遜するの違うと思い、その言葉をありがたく頂戴する。


「そこまで言ってもらえると⋯⋯嬉しいですね。ありがとうございます」


「あの、今度また時間が空いた時でいいので、炒飯を美味しく作るコツみたいなの教えていただけませんか?」


「それは全然構わないですよ。僕で良ければ」


「やった!ありがとうございます!」


 きらきらとした笑顔にこちらまで頬が緩むのを感じながらゆっくりと息を吐く。


(こういう所は流石女子だよな。勉強熱心というかなんと言うか)


 紆余曲折ありはしたが、料理の練習しててよかった、と柄にもなくそんなことを思いながら楽しい時間に身を任せた。





「今日は色々とありがとうございました。無理言って買い物に付き合って頂いた上に夕食までご馳走になってしまって」


 夕食後、完全復活した夏愛に念のため付き添って彼女の自宅までやって来た咲希は、いつかと同じように立派な門に囲まれた格子戸の前で彼女に言われた言葉に目を逸らした。


「いえ、こちらこそ⋯⋯っていうかむしろ僕の方がその⋯⋯お陰様でだいぶ元気になれたので⋯⋯」


 自分が気恥ずかしいことを言っていると自覚しているせいで微妙に目が泳いで声が尻すぼみになってしまうが、夏愛はそんな様子をとても嬉しそうに笑っていた。


「よかったです。ぐっすり眠ってましたもんね?私の膝で(・・・・)


「うっ⋯⋯それは、はい⋯⋯すみません、」


「ふふ。責めてるわけじゃないですよ。私的にはむしろ嬉しかったので。必要ならまたいつでも言ってくださいね?どこにいてもすぐに駆け付けますから」


「えっ、そ、それは嬉しい⋯⋯じゃなくて!僕ばっかりしてもらって申し訳ないので、せめて何かお礼をさせてください」


「むー、そうですか⋯⋯。ちなみにどれくらいの要求までなら大丈夫なんですか?」


「僕に出来る事なら何でも」


「っ⋯⋯!?今何でもって⋯⋯」


 夏愛は一度目を見開いてから顎に手を当て一生懸命考えるような素振りを見せると、やがて何かを思い付いたらしく顔を上げた。


「じゃあ、ここはあえて交換条件でいきましょう」


「交換条件?」


「はい。今回は咲希くんが危ないくらいに弱ってたので私がひと肌脱いで支えさせて頂きました。なので、この先もしも私が弱ってしまうような出来事があった時には──⋯⋯今度は、咲希くんが支えてください。これが条件です。いいですか?」


「⋯⋯」


 即答は出来なかった。何故ならその条件は口先だけで決めるにはあまりに大きく、難しいものであるからだ。


 男性が女性に対してただの他人以上の関係を許すのと、女性が男性に対して許すのではそこにある信用と信頼に天と地ほどの差がある。


 もちろん全部が全部そうとは言い切れないないが、少なくとも夏愛はこんな咲希に対して『支えて』と言ってくれた。


 それはつまり、それだけ信用してくれているということで──。


(⋯⋯それだけ、信頼してくれてるってことか)


 正直に言えば他人とここまで距離を縮めるのは不安だし、怖くないと言えば嘘になる。これ以上進めば以前の自分には戻れなくなる予感もしている。


 それでも、いつまでも足踏みはしていたくなかった。


「分かりました。もらった恩は、全力で返します。例えそれがどんな形でも」


 咲希の力強い言葉に、夏愛はにっと口角を上げた。


「言質とりましたから。これから私のこと、しっかり見ていてくださいね♪」



「あっ、そうだ咲希くん、ひとつだけ言い忘れてたことがありました」


 話を終えて格子戸を閉じた直後、向こう側から夏愛に呼び止められた咲希は隙間から見えた彼女のよく分からない表情に首を傾げる。


「何ですか?そんな改まって」


「ああいえ、別に全然大したことじゃないんですけど、かっこいいところを見せてくれたお礼⋯⋯というか、最初──四月の末に私がはぐらかしたあの質問の答えです。まあ言うならば情報解禁ですね」


「えっと、つまりどういう⋯⋯?」


 眉を寄せて疑問符を浮かべる咲希に、夏愛は悪戯っぽく片目を瞑ってさらりとその一言を告げた。


「──今よりもっと前に私と咲希くんは、一度だけ会ったことがあるんですよ」


「⋯⋯⋯⋯え?」


 一瞬止まった時間が、無意識に漏れた声とともに元に戻る。


「ふふ。そんな信じられないって顔しなくても。少しはそんな気がしてたんでしょう?⋯⋯この先はまた、さきくんがその時のことを思い出したら教えますね。では」


「えっ、ちょ!」


 咲希の理解が追い付かないまま夏愛はそうとだけ言い残すと、ぺこりと頭を下げて玄関の方へ消えて行ってしまった。


「会ったことが⋯⋯ある⋯⋯?」


 突然落とされた爆弾に、その場で一人取り残された咲希はぽつりとそう呟いて夜空に浮かぶ月を見上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ